変え続けなければ、守れない。「10→10人材」という重要な才能―現状維持をつくる人は、何をしているのか
現状維持は、なぜ高度な価値創造なのか
「去年と同じ品質を維持できました」
「大きな事故もなく、今年も安定して事業を運営できました」
こうした報告を聞いて、「それはできて当たり前ではないか」と感じる人もいるでしょう。
新商品を生み出した。新規事業を立ち上げた。売上を大きく伸ばした。こうした成果はわかりやすく、社内でも目立ちます。
一方、品質を守った人、供給を止めなかった人、顧客との関係を維持した人、事故や不正を防いだ人の仕事は、なかなか注目されません。結果だけを見れば、「何も起きなかった」ように見えるからです。
しかし、その一年の間にも、原材料価格は上がり、設備は古くなり、人は入れ替わり、競合は進化しています。顧客の期待も、法規制も、サイバーリスクも変わっています。
会社では、何かが壊れたときには原因と責任者を探します。しかし、壊れそうな兆候を拾い、先回りして手を打った人の名前は、議事録にも残らないことがあります。
うまくやるほど、本人の仕事が見えなくなる。
10→10には、そんな逆説があります。
そんな中で、昨年と同じ品質、納期、価格、顧客満足を維持した。
それは、何も変えなかった結果ではありません。
中身を変え続けたから、顧客から見える価値が変わらなかったのです。
以前の記事では、会社の仕事を「0→0.01」「0.01→1」「1→10」「10→10」の四つに分けました。
今回は、その中で最も地味に見え、最も誤解されやすい「10→10人材」について考えます。
10→10人材とは、中身を変えながら、価値を守る人です。
第1章 何もしなければ、「10」は自然に9になる
現状維持は、静止ではない
現状維持という言葉には、昨日と同じ仕事を繰り返すイメージがあります。
しかし、今の社会で、何もしないまま価値を維持することは、ほぼ不可能です。
わかりやすいのが現金です。
100万円を手元に置いておけば、翌年も数字上は100万円です。しかし、物価が上がれば、買えるものは減ります。金額は同じでも、実質的な価値は下がっています。
事業も同じです。
自社が昨年と同じ製品を、同じ品質、同じ価格、同じ納期で提供していても、競合が品質を高め、価格を下げ、納期を短くすれば、顧客から見た価値は下がります。
自分では10を出しているつもりでも、市場では9や8になっている。
製造業では、設備が老朽化します。熟練者が退職すれば、技能や暗黙知が失われます。材料費、電気代、物流費、人件費も変わります。
安全基準や環境規制、サイバー攻撃の手口も更新されます。
こうした変化の中で昨日と同じことを続ければ、品質、コスト、納期、安全性、顧客満足は少しずつ落ちていきます。
競争環境において、停止は現状維持ではありません。
停止とは、緩やかな後退です。
第2章 昨年の「10」と、今年の「10」は同じではない
10を決めるのは、自社ではない
事業における10とは何でしょうか。
売上目標の達成でしょうか。不良率や納期など、社内KPIを守ることでしょうか。もちろん、社内指標は必要です。
しかし、本当の10を決めるのは自社ではありません。
お客様が10を決めるのです
以前は、壊れにくい製品であれば高く評価されたかもしれません。
現在は、それに加えて、操作性、短納期、適正価格、環境負荷、セキュリティ、調達過程の透明性、トラブル時の復旧力まで求められます。
ホテルも同じです。
部屋が清潔で接客が丁寧なだけでなく、予約のしやすさ、Wi-Fi、キャッシュレス、多言語対応、アレルギー対応、環境への配慮まで評価対象になっています。提供しているものは同じ「宿泊サービス」でも、顧客が10と判断する条件は変わっています。
10→10とは、同じものを同じ方法で提供する仕事ではありません。
変化する顧客の期待価値に追いつき続ける仕事です。
守るものと、変えるものを分ける
ここで必要なのは、何でも新しくすることではありません。
顧客から支持されてきた本質的な価値は守る。その一方で、価値を支える技術、設備、業務プロセス、組織、人材は変えていく。
老舗企業も、何十年も同じことをしてきたから残ったのではありません。
変えてはいけないものを守るために、それ以外を変え続けてきたのです。
第3章 同じ「10」の裏側で、何が変わっているのか
製造業――製品を変えず、仕組みを変える
ある製造業が、今年も昨年と同じ製品を、ほぼ同じ価格で供給したとします。顧客から見れば、今年も同じ製品が届いただけです。
しかし、その裏側では、次のような変化が起きているかもしれません。
材料価格の上昇に対応し、設計や使用量を見直す
電力・ガス・水・熱の使用量を減らす
検査を自動化し、品質のばらつきを抑える
熟練者の経験を標準化し、次世代へ引き継ぐ
調達先を複線化し、供給停止に備える
工場システムのセキュリティを強化する
GHG排出量を減らすため、生産工程を変える
顧客へ届く製品は同じでも、その製品をつくる仕組みは大きく変わっています。
アウトプットを変えないために、プロセスを変えているのです。
これは改善にも通じます。ただし、単なるコスト削減ではありません。品質、価格、納期、安全、環境、人材、利益を同時に見ながら、全体を最適化する仕事です。
世界遺産――守るほど、新しい課題が生まれる
世界遺産も、認定された瞬間がゴールではありません。
知名度が上がれば観光客が増え、地域経済にはプラスになります。一方で、混雑、交通、ゴミ、騒音、景観、建物や自然への負荷が生まれます。
立ち入りを厳しく制限すれば保存しやすくなりますが、価値を多くの人に伝えにくくなる。受け入れすぎれば、守るべき遺産そのものが傷みます。
守るために変える。しかし、変えすぎると本来の価値が失われる。
この難しいバランスも、10→10です。
農業―一つの数字では守れない
食料供給も、前年と同じ量を生産すればよいわけではありません。
生産者が生活できる価格、消費者が購入できる価格、流通、小売、気候変動、担い手不足、食料安全保障まで見なければなりません。
健康志向やトレーサビリティなど、消費者の期待も変わっています。
10を維持するには、一つの工程ではなく、エコシステム全体を持続可能にする必要があります。

第4章 「何も起きない毎日」をつくる、10→10人材の五つの才能
では、10→10人材には、どのような力が必要なのでしょうか。
1.小さな劣化の兆候に気づく
設備のわずかな異音、品質の小さなばらつき、顧客からの少し違う問い合わせ、社員の疲労。10→10人材は、問題が10から5へ落ちてからではなく、9.8になり始めた段階で気づきます。
2.止めずに入れ替える
既存事業では、顧客への提供を続けながら、設備やシステムを更新しなければなりません。生産を続けながら工場を変える。日常業務を回しながら組織改革を進める。
3.個人技を仕組みに変える
優秀な一人の経験や勘に依存した組織は、その人が異動・退職した途端に弱くなります。判断基準を言語化し、失敗を記録し、教育やデータに落とし込む。価値を再現できる仕組みを残すのも、重要な才能です。
4.全体最適で考える
品質だけを上げればコストが膨らみ、コストだけを削れば安全や人材が傷みます。顧客、社員、仕入先、株主、社会を見ながら、持続可能な着地点を探す必要があります。
5.守るものと、変えるものを見分ける
安全、コンプライアンス、顧客から支持される本質は守る。一方、その価値を支える手段は変える。10→10人材の強みは、単なる改善力ではありません。何を守り、何を変えるべきかを見分ける判断力です。
第5章 なぜ「価値を守る人」は評価されにくいのか、10→10人材は評価されにくいのか
成果が出るほど、何もなかったように見える
10→10人材の成果には、特殊なところがあります。
大きな事故が起きなかった
生産が止まらなかった
情報漏洩が起きなかった
顧客が離れなかった
ベテランが退職しても業務が回った
コスト上昇の中でも価格や利益を守った
これらは重要な成果です。しかし、新製品の発売や売上倍増に比べると目立ちません。
「今年も普通に回った」
その一言で片づけられてしまいます。
若手には、「既存事業は地味だ」「新規事業でなければキャリアにならない」と感じる人もいるでしょう。
シニア層には、「昔は大きな仕事をしたが、今は現状維持をしているだけだ」と、自分の役割を過小評価する人もいるかもしれません。
しかし、現状維持の中には、判断、調整、改善、人材育成、リスク管理があります。
新しい価値を生み出すことだけが、価値創造ではありません。生まれた価値を長期間届け続けることも、立派な価値創造です。
管理職が評価すべきもの
管理職は、「問題が起きなかった」という結果だけでなく、その裏側を見なければなりません。
たとえば管理職が、退職しそうなベテランと若手を組ませ、半年かけて技能を移したとします。
その間、売上は増えていないかもしれません。しかし、一人が抜けても品質と供給を守れる組織になったなら、それは将来の損失を防ぎ、事業の寿命を延ばした成果です。
評価すべきなのは、目の前の数字だけではありません。
何を変えたのか。どのリスクを抑えたのか。誰に依存していた仕事を仕組みに変えたのか。次の世代に何を残したのか。
10→10は、次の0→0.01につながる
10→10は、価値創造の終点でもありません。
日々顧客と接し、現場を運営している人だからこそ、顧客の新しい不満、現場の非効率、既存技術の限界に気づきます。
その小さな違和感が、次の0→0.01になります。
価値創造は、一直線のリレーではありません。
10→10から、次の0→0.01へ戻る循環です。
既存事業を守っている人は、過去の成功を守るだけでなく、次の事業のタネを最も多く持っている人かもしれません。
まとめ 「10→10。現状維持。」とは、中身を変えながら価値を守ることである
10→10という仕事を、三つに整理します。
1.何もしなければ、10は自然に下がる
競合、技術、コスト、規制、人材、顧客期待は常に変化しています。昨日と同じことを続けるだけでは、価値は維持できません。
2.10を決めるのは、顧客である
10→10とは、社内の数値を固定する仕事ではありません。変化する顧客の期待価値に応え続ける仕事です。
3.10→10は、高度な価値創造である
品質を守る。供給を止めない。コストを抑える。環境負荷を減らす。人材を育てる。設備やシステムを更新する。新しいリスクに対応する。顧客からは同じ10に見えても、その裏側では、多くのものが変わっています。「何も起きなかった」は、何もしなかった結果とは限りません。
誰かが、何も起こさないために働いた結果かもしれません。
あなたの職場にも、「何も起きない毎日」をつくっている人はいないでしょうか。その人は、単に現状を維持しているのではありません。
誰にも見えないところで、中身を変え続けているのかもしれません。
そして、あなたがいま守ろうとしている「10」は、誰にとっての10でしょうか。

