人生に意味を見つけられなくても、生きていていい。
人生には、意味がなければならないのでしょうか。
何のために生きてきたのか。
何を残したのか。
あの苦労には、どんな意味があったのか。
この人生は、本当に意味のある人生だったのか。
年を重ね、これまで歩いてきた時間のほうが長くなると、私たちは人生を振り返り、一つの答えを出したくなります。
けれども、本当に答えは必要なのでしょうか。
意味のわからなかった苦労。
何にもつながらなかった失敗。
遠回りした年月。
ただつらかっただけの出来事。
何もしないまま終わった一日。
それらにまで、
「きっと意味があった」
と意味を与えなくてもいいのではないでしょうか。
人生に意味があったから、生きたのではありません。
生きたから、ここに人生があるのです。
本書では、荘子の「無用」の思想や、カミュの「不条理」にも触れながら、「人生には意味がなければならない」という思いから少しずつ自由になっていきます。
役に立たなかった時間も人生だった。
苦しみを美談にしなくてもいい。
失敗を成功への伏線にしなくてもいい。
人生を一つの物語にまとめなくてもいい。
最後まで「何のためだったのかわからない」と言ってもいい。
これは「人生には意味がない」と主張する本ではありません。
人生に意味を見つけられなくても、生きていていい。
そのための本です。
老いとは、人生の答えを手に入れることではなく、答えがなくても生きられるようになることなのかもしれません。
好きになれない人生でもいい。
感謝できない人生でもいい。
そして、意味があると思えない人生でもいい。
砂浜の足跡は、いつか波に消されます。
けれども、足跡が消れたからといって、そこを歩かなかったことにはなりません。
私たちの人生も同じです。
何かを残せなくても、
誰かに覚えられなくても、
人生の意味を説明できなくても、
生きた時間は消えません。
『老い楽』シリーズ第142巻。
人生に最後の意味を与えようとすることから、そっと降りるための一冊です。
今日は人生を意味あるものにしようとしなかった。
意味がなくてもいい。
意味がわからなくてもいい。
ただ、
「ここまで生きてきた」
それだけで、もう十分なのかもしれません。
アマゾンで出版しました。

