見出し画像

【エッセイ】『ジャグラー/ニューヨーク25時』を観るまでの15年間【無料記事】

15年ほど前、私は『ジャグラー/ニューヨーク25時』という映画の存在を、まず作品ではなく言葉として知った。
町山智浩がこの映画を語り、さらに蓮實重彦がその疾走感を、まるで速度そのものを文章で再現するように論じたという話題からだった。
スクリーンを見ていないのに、すでに映画が私の中で走り出してしまう。
批評が先にエンジンを点火し、映像の不在をかえって強固な像にしてしまうことがあるのだと、そのとき私は知った。

当時の私は、映画に対する情熱が止めどない時分だった。
だから、どうにかして観られないかと、現実の方を動かそうとした。テレビ局に放送のリクエストを送り、TSUTAYAにレンタル化の要望を何度も送った。
いま思えばそれは、一本の映画を追い求めるというより、映画がどこかへ消えてしまうことへの抵抗だったのかもしれない。
しかしほどなくして私は、この作品が著作権の関係で簡単には観られない、しかも日本だけの事情ではなく世界的にも権利が散逸し、正規の流通からこぼれ落ちたままになっているらしい、という現実を知ることになる。

見たい気持ちが強ければ強いほど、入口は固く閉ざされている。
失望は当然として、それ以上に、映画が損失していくということそのものに寂しさを覚えた。
作品が失われるというのは、観客の都合が満たされないという話ではなく、文化の層が薄くなっていくことだ。

けれど奇妙なことに、その映画は死にきらなかった。
ポール・トーマス・アンダーソンやエドガー・ライトといった監督たちが、ときおりこの作品に言及するのを目にするたび、私はもんどり打った。
観られないはずの映画が、作り手たちの記憶の地下水脈では確かに生き延びている。
スクリーンから遠ざかるほど、むしろ輪郭が増していく。
私はそんな気持ちだけを、15年間抱えたまま過ごしてきたのだと思う。

それがある日、アメリカでリマスターされたという報が飛び込んできた。
映画はまずニュースとして帰ってくる。
画面ではなく、情報として、復活の兆しとして。
そして日本公開が決まったとき、念願が叶う驚きとともに、私は震えた。
一本の映画の再上映ではなく、映画が蘇るという伝説的な瞬間に立ち会えるのだという感覚があった。
失われうるものが、取り戻される。
映画というメディアの脆さが、同時にしぶとさとして反転する。

だが、私の中にはもう一つの時間が積もっていた。
この映画を知ったのは15年前、つまり私が映画を好きになった頃である。
その後、数多の映画を観て、私の映画の価値観は変わった。
アメリカン・ニューシネマやヌーベルバーグに熱狂した少年はもういない。
何を見ても面白く感じたころはすでに過ぎ去っていて、面白さは条件付きのものになっていた。
だから不安があった。
こんなB級映画を、いまの私は本当に楽しめるのだろうか。
もしつまらなかったら、待っていた15年は何だったのか。
待望が長くなるほど、鑑賞は祝祭ではなく審判になる。
私はその審判を受けに行くような気持ちで、ようやくスクリーンの前に座った。

そして先日、私は初めて『ジャグラー/ニューヨーク25時』を観た。
結果から言えば、滅法面白かった。
こんなに面白い映画がまだ存在していたのか、と素朴に驚いた。
いや、驚きというより、思い出させられた、という方が正しい。
映画が本来持っている如何わしさ、汚さ、猥雑さ。
怒りと疾走感、そしてアクション、アクション、アクション。
整えられた正しさではなく、はみ出し、擦れ、傷つきながら前へ進んでいく熱。
映画とは、映画を見るとは、これほどまでにカッコいいものだったのだ、と身体の奥で再確認させられたのである。

15年待ったのは、結局この一本のためだけではなかったのかもしれない。
私は“映画を好きだった自分”をどこかに置き去りにしながら、たくさんの作品を観て、価値観を更新し、判断の目を鋭くしてきた。
その過程で失ったものもある。
だが、この作品は、失ったはずの何かを、しかも甘いノスタルジーではなく、汚れた速度と怒りの手触りとして戻してきた。
映画は損失する。
けれどときに蘇る。
そして蘇った一本が、観客の時間を巻き戻すのではなく、別の仕方で前進させてしまうことがある。
『ジャグラー/ニューヨーク25時』が私に起こしたのは、そのような更新だった。
まだまだ映画を辞めるわけにはいかない。
そう思わせるに足る「野生」が、確かにここには残っていた。

いいなと思ったら応援しよう!

かんた【映画批評】 なんらかの発見がありましたら、支援お願いします!無料で発信していくためにどうぞよろしくお願いします!

この記事が参加している募集