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【日記エッセイ】GWの神保町古書店散策と中国史のロマンについて

 腰が痛い。ギックリ腰になってしまったらしいのだが、そもそも腰の頑強さには、自信のあった自分だ。今の今まで、自分に腰を痛める日が来ようなどとは思いもしなかった。前職では20キロや30キロの荷物を積んだり、運んだりする作業もへっちゃらで「腰、気をつけてね」と周囲に言われても(なに言ってんだか笑)と思い上がって、(余が腰を痛めるわけなかろう……)と鼻で笑って、「余裕ですよ」と返答する、そんな鼻息の荒い男だったのである。
 それが今朝、低めの蛇口に手を伸ばしただけでギックリ腰になった……。

 司馬遷の『史記』の作中には、ふたつの異なる道理が描かれている。ひとつは天道の定めの通り、善行を積んだ人間には長寿や福徳が与えられ、悪行を積んだ人間にはそれ相応の天罰が下る、報いがあるというものである。たとえば、秦国の将軍である武安君白起は、昭襄王に自殺を命じられた際、長平の戦いで、数十万の捕虜を生き埋めにした罪を自ら語って(自覚して)自ら剣で首を切って死んでゆく。元は老子の教えであって、仏教思想ではないにしても、要するに司馬遷が言いたいのは、因果応報の原理らしい。もうひとつは、これにまったく反するもので、伯夷と叔斉の列伝にある通り、正義を貫いたものが不幸な餓死をとげるという現実的認識である。善人が容赦なしに不条理な目に遭う一方で、悪人がかえって長寿を真っ当することすらある現実的な視点が踏まえられていて、司馬遷は「天道、是か非か」と史記の中で嘆いている。

 僕の腰痛の場合、前者であり、日頃の行いが悪いので、報いで腰を一発やったのかもしれない。
 この際、天道、是が非か、と嘆くほど、日頃の行いに、自信は残されていない。
 自分は、あまり道徳的で模範的な生き方をしてこなかった気がする。仕事で子どもたちと接する時には、自分のようになってはいけないぞと思いながら、過ごしているのが常である。
 それにしても、これまでの人生で一度も痛めることなかった腰を一発で痛めたり、口髭を剃っても剃っても青剃りというか、髭の影が口元に残って消えなかったり、床についても五時間半くらいで中途半端に目が覚めてしまったり、筋肉痛やら疲労が三日経っても取れなかったりとこの頃、ますます己の年齢を自覚するようになってきている。
 とはいっても、晩年まで活躍した芸術界の偉人たち、李白や杜甫といった漢詩人や、ベートーヴェンやトスカニーニといった偉大な音楽家、志賀直哉や谷崎潤一郎といった文学者らを尊敬しているので、歳を重ねること自体にあまり抵抗はない。

 GWは、兄の家の近くの鰻屋で、久しぶりの一家団欒を楽しんだ。
 その他、GWは神保町の古本屋街散策をして、路地裏を歩き、司馬遷の『史記』と『唐詩選』を購入したり、喫茶店の伯剌西爾で珈琲のコスタリカを飲んだりした。新しくなった三省堂の見物もした。別の日には、母方の実家に親戚が集合して、その端っこに座っていたりもしていた。そういう時も実際、頭の中で考えていることは文学、落語、ジャズ、漢詩・漢文の四つのことで、暇さえあれば、文学を読むか、落語を聴くか、ジャズを聴くか、漢詩・漢文を味わいたいと思っていたのだった。
 神保町で今回手に入れた『史記』の内容は、陳舜臣先生の『中国の歴史』や、岩波の『史記列伝』で、長年親しんできたものである。しかし本紀の完訳版に手を出したのは、今回がはじめてだった。

 三皇五帝の神話(三皇についてはほぼ記述なし)や、殷周革命や、征秦戦や、楚漢の戦いといった話が見事で、古代中国史のロマンをあらためて楽しんでいる。
 振り返ってみれば、自分にとって、もっとも古い中国文化体験は、小学生の頃で、手塚治虫原作のアニメーションの『西遊記』だったように思う。
 そのあとで、原作の『西遊記』も、子ども版の(だけど完訳の)小説を、地元の図書館から借りてきて繰り返し通読していた。
 そのあと、押し寄せるようにやってきたのが三国志ブームで、兄の影響でふたりで『三國無双』というテレビゲームをした後、横山光輝作の漫画『三国志』を少しずつ買い集めるようになった。
 大学に入ってから自分は日本史を専攻して、中国史を専攻している学生の気持ちが一度は理解できなくもなったが、仏教史の沼に浸かり始めると、中国仏教史あたりにも強く惹かれるようになり、三蔵法師訳の無数の経典や禅の語録も多数愛読するようになった。そこから隋唐時代こそ、自分の中国史ロマンの関心の中核だろうと思うようになっていった。
 ただ、それ以前の老子と荘子の影響も多大なもので、とりわけ『荘子』の内篇はバイブル代わりによく持ち歩いていた。ただ、漢詩人の李白や王維の詩の魅力に取り憑かれるようになると、自分は漢詩・漢文の世界にますます溺れてゆくようであった。漢詩人は李白、杜甫、王維の三人から……。その後『詩経』やら『楚辞』を読むと、華やかでダイナミックな『唐詩選』の世界とはまた一味異なる、古代中国の悠々たる歴史を感じる。

 あらゆる揉め事は、孫子と孟子の教えをもとに、その都度、柔軟に対応してきたし、心の乱れは『六祖壇経』や『趙州録』といった禅書で静めてきた、というと大袈裟だけれど、なにか困ったことがあると中国の先人の漢詩や漢文を参考にして、解決してきた感がある。

 GW中は、漢詩・漢文の魅力に取り憑かれていた連休であったと思う。

 項王作 垓下の歌

  力山を抜き 気世を蓋ふ
  時利あらずして 騅逝かず
  騅、逝かざるを 奈何すべき
  虞や虞や 若を奈何せん

((四面楚歌、項羽はついに包囲されて……虞美人といる……)この力は山をも抜き、この気は世をも覆う。しかし、もはや天運尽きて、愛馬のスイはもう戦場をゆかない。スイがゆかないのをどうすればいい。グやグや、君をどうしたらいい……)

 Kan作  腰痛の歌

  痛み腰を抜き コルセット腰を蓋ふ
  薬効き目あらずして 腰逝かず
  腰、逝かざるを 奈何すべき
  腰や腰や 仕事を奈何せん

(こちらは説明するほどの内容にあらず。ただ腰を痛めている歌。こういう不謹慎なパロディをしているため、天罰が下って腰を痛めたのかもしれない)

 何にせよ、今や腰痛に苦しむ身である。楚漢の戦いで、高祖劉邦と争った楚の項羽は屈強な男で、鼎を持ち上げることができたと史記に記されているが、今の僕は一体何を持ち上げることができるだろう……。

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