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「中国の笑話」4選【古典編】


祭文

ある男が妻の母を亡くした。

男は私塾の先生に頼んで「祭文」(死者を弔う文章)を書いてもらった。

ところが、先生は古い文例を真似て書いた際、間違えて「妻を弔う祭文」を書いてしまった。

男がおかしいと思って問いただすと、先生は言った、

「ちゃんと出版されてる本の通りに写したんだ。間違ってるはずがない! 奥方の実家で死ぬ人間を間違えたんだろう。わしの知ったことではない」


一人喪妻母,托館師作祭文,乃按古文誤抄祭妻文與之。其人怪問,館師曰:「此文是刊本定的,如何得錯!只怕倒是他家錯死了一人,這便不関我事。」

(明・馮夢龍『笑府』より)

✍️ 「私塾の先生」(原文は「館師」)は、村の小さな寺子屋に雇われたり裕福な家庭に住み込んだりして子供に読み書きを教える先生のこと。科挙に合格できずに落ちぶれたインテリであることが多く、プライドが高く融通の利かない頑固者のステレオタイプです。

昼寝

ある師匠が真っ昼間にうとうとと眠ってしまった。

目を覚ますと、
「夢の中で周公に会っていたのだ」
とごまかした。

翌日、弟子の一人が師匠の真似をして昼寝をした。

すると、師匠は定規で弟子を叩き起こし、叱りつけた、
「お前、何をやっておる! 昼寝などしおって!」

弟子は答えた、
「私も周公にお会いしに行ったのです」

師匠は問い詰めた、
「ほう、周公はお前に何とおっしゃった?」

弟子は答えた、
「周公がおっしゃるには、昨日お師匠には会っていないと」


一師晝寝,及醒,謬言曰:“我乃夢周公也。”明晝其徒效之,師以界方撃醒,曰:“汝何得如此!” 徒曰:“亦往見周公耳。” 師曰:“周公何語?” 答曰:“周公説昨日不曾會尊師。”

(明・馮夢龍『笑府』より)

✍️ 周公(周公旦)は、孔子が最も理想とした儒家の聖人です。『論語』「述而篇」で、孔子が、「甚だしきかな、吾が衰えたるや。久しきかな、吾また夢に周公を見ず」(私もひどく衰えてしまったものだ。夢の中で周公にお目にかからなくなって久しいことだ)と語っています。

臭い足

ある男が家で客をもてなしていたところ、突如ひどい悪臭が漂ってきた。

男は召使いの童子を呼び寄せて尋ねた、
「おい、この臭いは一体何事だ?」

童子は主人の耳元で小声で言った、
「奥様が靴をお脱ぎになりまして・・・」

男は声を潜めて呟いた、
「いくら靴を脱いだからといって、これほどまで臭うわけがなかろう」

童子は再び耳元で囁いた、
「両方の足をお脱ぎになりまして・・・」


一人方款客,忽聞臭甚,呼童子問之。童子附耳曰:“是娘子脱脚。” 其人低聲沉吟曰:“即脱脚,臭未必至此。” 童子復附耳曰:“両脚倶脱耳。”

(明・浮白主人『笑林』より)

✍️ 明清の裕福な家の女性は、幼少期から足を布で固く縛って足を小さくする「纏足てんそく」をしていました。纏足した足は性的な象徴性があり、客人の前で露出するのは極めて無礼とされました。纏足は通気性が悪く、頻繁に洗うこともなかったため、靴を脱いだ時の悪臭は強烈だったと言われています。

僧侶と士人

ある士人が寺に入ると、僧侶たちはみな立ち上がって迎えたが、一人だけ座ったままの僧侶がいた。

士人、 「なぜ立ち上がらないのだ?」


僧侶、 「立ち上がるということは立ち上がらないということであり、立ち上がらないということは立ち上がるということです」

それを聞いた士人は、禅杖で僧侶の頭をピシャリと叩いた。

僧侶、「なぜ叩くのですか!」

士人、「叩くということは叩かないということであり、叩かないということは叩くということだ」


有士人入寺中,衆僧皆起,一僧獨坐。士人曰:“何以不起?”僧曰:“起是不起,不起是起。”士人以禪杖打其頭。僧曰:“何以打我?”士人曰:“打是不打,不打是打。”

(明・趙南星『笑賛』より)

✍️ 「士人」は、科挙による官僚候補で、儒教の学問を修めた特権的な知識階級の者を指します。この話では、「起是不起、不起是起」という禅問答のような屁理屈を言う僧侶に対して、士人が同じ屁理屈でカウンターを喰らわしています。詭弁を弄して高尚ぶっている坊主の滑稽を描いたものです。


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