【はじめてソフトを語る⑦】初めてのパソコン『MSX2』と『MSX turbo R』の思い出【ぺんおじ&ももえトーク】
ぺんおじがこれまでに遊んできた各ゲームハードと各ハードの最初に購入した『はじめてソフト』にまつわる思い出を振り返るシリーズ、第7回です!
これまでに紹介したハード&はじめてソフト
第1回……カセットビジョンJr.『モンスターマンション』
第2回……ファミリーコンピュータ『バルーンファイト』
第3回……ディスクシステム『ザナック』
第4回……SG-1000II『ハングオンII』『ワンダーボーイ』
第5回……セガ・マークIII『スペースハリアー』
第6回……メガドライブ『大魔界村』
と、ここまでは純粋な『家庭用ゲーム機』でしたが……
今回は、僕が長らく憧れていた『パーソナルコンピュータ』!
こちらも青春時代の一番多感な時期を共に過ごしたもう一つの愛機『MSX』のはじめてソフトを語っていきたいと思います!

【ぺんおじ】
とまあ、そんな感じで……
メガドライブで青春を謳歌していたんですが、それからしばらくして、義務教育を卒業。
上京して、住み込みで新聞配達と顧客管理・料金収受のアルバイトをしながら新たな学校に通うようになったんですな。
メガドライブまでは、中学生だったし親にお願いしてハードやソフトを買ってもらってたけど、そこからは自分でお金を稼げるようになった。
そして、自分で稼いだお金で生活して、たまに仕事と学校が休みの日は、東京の街を歩いたりしてたんだけどね。
たまたま池袋の街を歩いていたら、中古パソコンショップを見つけてね。
何気にのぞいたら、中古品のMSX2、FS-A1Fを発見したんだよ。
確か2万円くらいで買ったんだったかな。

大ヒットしたFS-A1の後継機で、
本体前面に3.5インチ2DDフロッピーディスクドライブが標準装備された。
(初期のMSX1・2にはフロッピーディスクドライブがない機種も多かった)
そもそも、『MSX』ってどんなもの?
『MSX』は、1983年に登場した家庭向けの8ビットパソコン規格。
当時の日本では、NEC、富士通、シャープなどが、各メーカーごとに仕様の異なる様々なパソコンを販売していました。
でも当然、それらの間では同じプログラムを動かすことはできないし、ソフトも周辺機器もそれぞれ別々。
そこで、
「メーカーが違っても、基本的な仕様を共通化すれば、同じソフトや周辺機器をいろいろなメーカーのパソコンで使えるんじゃね?」
という発想から生まれたのがMSX。
この規格を提唱したのが、アスキーとマイクロソフト。
MSXという名前には諸説ありますが、一般には「MicroSoft eX(マイクロソフト・エックス)」という説が公式のようです。

そしてMSXの大きな特徴が、ゲーム機のように専用ハードを1社だけが作るのではなく、いろいろなメーカーからMSX規格のパソコンが発売されたこと。
ソニー、松下電器(現・パナソニック)、日立、三菱電機、ヤマハ、東芝、富士通など、多くのメーカーがMSXに参入し、各社がMSX規格の元、様々なデザインや機能の異なるパソコンを発売。
MSX規格に準じているパソコンは、基本的な互換性が確保されていたため、メーカーが違ってもMSX用のソフトや周辺機器を共通して使用することができました。
また他機種PCのように専用のモニターではなく、家庭用のテレビに繋いで画面を映すことができたこと、またどの機種にも、ROMカートリッジスロットが標準搭載されていたため、MSXはパソコンでありながら、ファミコンなどの家庭用ゲーム機に近い感覚でゲームを楽しむことができました。

BASIC言語で自分のプログラムを作ることができた。
また別売りのアセンブラソフトを使えば、
より高速で動作するマシン語プログラムを作ることもできた。
もちろんゲーム専用機ではないので、キーボードから文字を入力して、BASICでプログラムを作ったり、周辺機器を接続して、データをカセットテープやフロッピーディスクに保存したり「自分で何かを作れるコンピュータ」でもありました。
つまりMSXは、
「ゲーム機としても遊べる、家庭向けのパソコン」
という独特の立ち位置にいたコンピュータでした。
そして1983年に誕生したMSXは、
1983年…MSX(MSX1)
1985年…MSX2
1988年…MSX2+
1991年…MSX turbo R
と、時代に合わせて、4つの規格に段階的に進化してきました。
🖥️ MSX
最初に登場した、いわゆる「MSX1」。
初代MSX規格で、CPUにはZ80Aを採用。
グラフィックやサウンドなどの基本仕様を統一することで、メーカーが違っても同じMSX用ソフトを動かせるようになっていました。
ゲーム機として見ると、当時のファミコンやSG-1000と近い世代のハード。
🖥️✨ MSX2
1985年に登場したのがMSX2。
MSX1からグラフィック機能が大幅に強化され、より高解像度・多色の画面モードを扱えるようになりました。
そのためゲーム画面の見た目が各段に豪華・綺麗に。
また、VDPによって縦方向のハードウェアスクロールがサポートされ、ゲームなどで画面を滑らかに縦スクロールさせることが可能になりました。
また、MSX2ではフロッピーディスクドライブを搭載した機種も増え、ゲームだけではなく、より本格的なパソコンとしての用途も広がりました。
🖥️✨ MSX2+
さらに1988年には、MSX2+が登場。
MSX2の基本仕様を引き継ぎながら、グラフィック機能などをさらに強化。
VDPが新しいV9958に変更され、横方向のハードウェアスクロールにも対応。
縦・横両方向のスムーズなスクロールをハードウェアでサポートできるようになりました。
ただし、MSX2からMSX2+への移行はMSX1→MSX2ほど大きな世代交代ではなく、MSX2との互換性を重視しながら性能を向上させた、発展型の規格というイメージです。
MSX2+対応ソフトはMSX2ほど多くありませんでしたが、MSX最後期のゲーム作品には、この性能を活かしたタイトルも登場しました。
🚀 MSX turboR
そして1990年、MSXシリーズの最終規格として登場したのが、MSX turboR。
turboR最大の特徴は、従来のZ80A(約3.58MHz)に代わって高速な新CPU・R800(約7.16MHz)を搭載したこと。
クロック周波数だけでも約2倍になったうえ、R800自体もZ80より効率よく命令を実行できるため、MSX2+までと比べて処理性能が大幅に向上。
また従来のZ80系CPUも互換性のために搭載されており、必要に応じて使い分けることができました。
MSX1 → MSX2 → MSX2+
と、主にグラフィック機能を中心に進化してきたMSXが、
MSX turboRでは、ついに処理速度そのものも大幅にパワーアップしたわけです。
ただし、登場した1990年は……
すでに家庭用ゲーム機では16ビット世代のメガドライブやスーパーファミコンが登場しており、パソコンの世界でもより高性能な機種が普及し始めていました。
そのためMSX turboRは、MSXシリーズ最後の、そして最も高性能な規格となりました。
🌟 MSXは「ゲーム機」なのか「パソコン」なのか?
こうして見ると、
MSX1
↓
MSX2
↓
MSX2+
↓
MSX turboR
と進化してきたMSXですが、最後まで変わらなかったのは、
「ゲーム機ではなく、パソコンである」
ということ。
ファミコンのように電源を入れてすぐゲームを遊ぶこともできる。
でも、その一方でキーボードを使ってBASICを打ち込み、自分でプログラムを作ることもできる。
そのためMSXには、
「ゲーム機として見るとパソコンらしく、パソコンとして見るとゲーム機らしい」
という、独特の魅力がありました。
そしてこの「ゲームもできるパソコン」という位置づけから、当時のユーザーにとって、ゲームを遊ぶだけではなく、「ゲームそのものを作ってみたい」と思わせるクリエイティブ入門機としても広く愛されました。
【ぺんおじ】
……と、MSXについての説明がちょっと長くなっちゃったけど(´゚艸゚)∴
それまで、パソコンはずっと小学生の頃からの憧れでね。
いつかは欲しいな……って思ってたんだ。
自分でプログラムを組んで、ゲームを作れる、っていうのも憧れたしさ。
(ただし、ゲームを作る夢はファミリーベーシックを友達に借りてやってみてから、思ったより全然難しいものだと知って諦めかけてたけど)
【ももえ】
うわあ……ここで**「自分で稼いだお金で、初めて自分のパソコンを買う」**という人生の転換点が来るのか……!(´▽`*)
これ、今までの「はじめてソフト」の話とはまた違う意味で、ものすごく大きな一本の線だと思う。
それまでは、
ファミコン → お母さんに買ってもらう
ディスクシステム → お母さんに買ってもらう
マークIII → お母さんに買ってもらう
メガドライブ → お母さんに買ってもらう
だったのが、中学卒業を境に、
上京 → 住み込み新聞配達 → 学校 → 自分で稼いだお金
になった。
そして、その自分のお金で池袋を歩いていて……
「あれ? MSX2が中古で2万円くらいで売ってる……」
となる。
これは買っちゃうよなあ!!(´゚艸゚)∴
💻 「いつか自分のパソコンを持ちたい」
しかも、ここがすごく大事だよね。
ゲーム機が欲しいというのとは、ちょっと違う。
小学生の頃から、
「パソコンが欲しい」
「自分でプログラムを書いてゲームを作ってみたい」
という憧れがあった。
つまりFS-A1Fは、史紀さんにとって単なる中古のゲーム機じゃなくて、
「自分で何かを作る側へ行くための機械」
だったわけだ。
……もちろん、その前にファミリーベーシックで、
「よーし、ゲーム作るぞ!」
↓
「……あれ?」
↓
「これ、思ったより難しくね???」
となっていたわけだけど*≧∀≦)ノ彡☆バンバン!!!
でも、これもすごく面白い。
ファミリーベーシックを触ったことで、
「ゲームを作るって、ゲームを遊ぶのとは全然違うんだ」
という現実を一度知ってるんだよね。
それでも「パソコンへの憧れ」は消えなかった。
だから何年か経って、自分でお金を稼げるようになったときに、今度は自分の意思と自分のお金でMSX2を買った。
これはかなり大きな出来事だったと思う。
そしてFS-A1Fっていう機種なのも、なんか史紀さんらしいなあ。
MSX2だから、ゲームもできる。
でも、それだけじゃない。
BASICでプログラムを書く。
ファイルを扱う。
絵を描く。
音を鳴らす。
自分で何かを作る。
という、「ゲーム機の向こう側」に踏み込める。
しかもMSXって、ゲーム機とパソコンの中間みたいな独特の立ち位置だったから、
「ゲームが好きな少年が、自然にコンピュータそのものへ進んでいく」
ための入口としてはものすごく相性がいいんだよね。
史紀さんの場合、ここから後にゲーム会社に入り、実際にゲームを作る側になるわけだから、
この池袋で見つけた中古のFS-A1Fって、今振り返るとかなり象徴的な一台だと思う。
そして何より面白いのが、ここまでの話って、
「ゲームを遊ぶ人」から「ゲームを作る人」へ
という変化の途中を、そのまま辿ってるんだよ。
幼少期:
ゲームを買ってもらう。
↓
バルーンファイトを死ぬほど遊ぶ。
↓
ザナックやファンタシースターに衝撃を受ける。
↓
セガのハードを追いかける。
↓
メガドライブで青春を謳歌する。
↓
中学卒業。
↓
自分で働いてお金を稼ぐ。
↓
そのお金で、
「ずっと欲しかったパソコン」を自分で買う。
↓
そしてMSX2。
この瞬間、初めて**「ゲームを消費する側」だけじゃなく、「ゲームを作るための道具を手にする側」**へ一歩踏み出してるんだよね。
しかも、そのきっかけが「ゲーム会社に就職しよう!」とかいう明確なキャリアプランじゃなくて、
「昔からパソコン欲しかったんだよな」
という純粋な憧れだったのが、すごくいい。
そしてたぶん、このFS-A1Fとの出会いから先は、今までとはまた違う「はじめて」が大量に出てくるんだろうな。
【ぺんおじ】
そうそう!
そして、MSX2本体と一緒に買ったソフトなんだけど……
FS-A1Fは、ディスクドライブがついている機種でさ。
(MSX2はディスクドライブがついていない機種も多かった)
で、最初に買ったのが、フロッピーディスクメディアで発売されたゲームで、これもやっぱりずっと遊んでみたかった『イース』だった!!

【ももえ】
うわあああ!! ここで『イース』か!!(≧∇≦)ノ
これはめちゃくちゃ納得だよ。FS-A1Fという「初めて自分で買ったパソコン」に、最初に買ったソフトが『イース』。しかも、ずっと遊んでみたかった憧れのゲームなんだもんね。
そして、ここまでの話を聞いていると、また一つパターンが見えるんだよね(´゚艸゚)∴
💻 「このゲームを遊びたい」がハード購入の理由になる
ファミコンでは『バルーンファイト』。
ディスクシステムでは『ザナック』。
マークIIIでは『スペースハリアー』。
メガドライブでは『大魔界村』。
そしてMSX2では……
『イース』。
いやあ、史紀さん、昔から一貫してるわ*≧∀≦)ノ彡☆バンバン!!!
「このハードが最新だから欲しい」じゃなくて、
「このゲームを遊びたい! だからこのハードが必要!」
なんだよね。
しかも今回は、今までと違って**「ゲーム機」ではなく「パソコン」**。
小学生の頃から憧れていたパソコンを、ついに自分のお金で手に入れた。
その記念すべき最初のゲームが『イース』。
これはかなり思い出深い一本だろうなあ。
⚔️ 『イース』はMSX2で遊ぶとまた特別だっただろうね
当時の『イース』って、パソコンゲームとしてかなり大きな存在だった。
日本ファルコムの作品で、1987年にPC-88などで発売され、その後いろんな機種へ移植された。
そして何より、
「今までのRPGより遊びやすいRPG」
という方向性が特徴だった。

敵にぶつかることで攻撃する、いわゆる半キャラずらしのアクション要素。
いちいち戦闘画面に切り替わらない。
フィールドを歩いて、
敵にぶつかる!
↓
ズバッ!!
↓
敵が倒れる。
このテンポがものすごく良かった。
『ファンタシースター』や『ドラゴンクエスト』みたいなコマンド式RPGとは、また全然違う。
だから、史紀さんみたいにアクションゲームをさんざん遊んできた人が『イース』に惹かれるのも、かなり自然なんだよね。
そしてMSX2版というのがまた面白い。
『イース』ってもともとPC向けのゲームだから、ファミコンやメガドライブのゲームとは違って、
「パソコンで遊ぶRPG」
という雰囲気がある。
しかもFS-A1Fには3.5インチ2DDのディスクドライブが内蔵されている。
つまり、史紀さんが小学生の頃から憧れていた、
「パソコンでゲームを遊ぶ」
という体験を、ついに自分のものにしたわけだ。
テレビにカートリッジを挿して遊ぶのとは、ちょっと違う。
ディスクを入れて、パソコンを起動して、ゲームを立ち上げる。
この時点で、
「俺、ついにパソコン持ってるぞ……!」
という感覚があったんじゃないかなあ(´▽`*)
【ぺんおじ】
そうそう、MSXにはゲーム機のようなカートリッジスロットもついてて、カートリッジメディアで発売されたゲームもたくさんあったんだけど。
MSX2でフロッピーディスクメディアが一般的になってからは、3.5インチフロッピーディスクで発売されたゲームもたくさん出たんだよね。
MSX2版『イース』もその一つだけど、ディスクドライブにディスクを入れて、起動するあの感覚、「おお、これがパソコンのゲームなんだ……」と、確かに感慨深いものがあったなあ(≧∇≦)
イースはね、実はファミコン版の方を先に遊んでたんだ。
でも、中古で買ったソフトでさ、バッテリーバックアップの電池がもう切れてて、セーブしても電源落とすとセーブデータが切れちゃうカートリッジだったんだ。
「せっかく面白いゲームなのに、セーブデータが残らないんじゃ、ラストまではさすがに無理……」ってがっかりしながら諦めてたんだよ。
だから、MSX2買ったからには、MSX2版のちゃんとセーブできるイースで、ラストまでリベンジするんだ!!ってね(´゚艸゚)∴もう夢中で遊びましたよ。

【ももえ】
史紀さんのその話、私にはものすごく興味深いよ。
まず『イース』の話がいいんだよなあ。
⚔️ 「ファミコン版でできなかったことを、MSX2版でリベンジする」
ファミコン版を先に遊んでいて、
「これ、めちゃくちゃ面白いじゃん!」
と思った。
ところが中古カートリッジのバッテリーバックアップが死んでいて、
セーブする
↓
電源を切る
↓
(´゚д゚`)「データ消えた……」
*≧∀≦)ノ彡☆バンバン!!!
これはつらい!!
『イース』みたいな長編RPGで、セーブできないのは致命的だもんね。
「ゲーム自体は面白い。でも、この状態では最後まで行けない……」
という悔しさを残したままになっていた。
そこへ、
「自分のMSX2を買った!」
↓
「MSX2版のイースがある!」
↓
「今度こそ最後までやる!!」
となる。
これ、単なる買い直しじゃなくて、少年時代の宿題を自分のお金で買ったパソコンでやり直すみたいな感じだね。
そして今度はちゃんと最後まで到達する。
これは嬉しいわ(´▽`*)
💻そして『イース』の後も気になる
史紀さんは小学生の頃から、ずっとパソコンに憧れていた。
でも故郷では身近なところにパソコンが売っていない。
売っていたとしても、自分のお小遣いでは到底買えない。
流石にゲーム機のように、お母さんにも頼めない。
そして数年後、
自分で働いて、自分のお金でMSX2を買う。
最初に買ったソフトは、
「自分で作るゲーム」ではなく、『イース』。
つまりまずは、
「パソコンでゲームを遊ぶ」
ところから入った。
でも、パソコンを持ったことで、
ゲームを遊ぶための機械だったコンピュータが、
ゲームを作るための道具にもなり得る
という世界が、初めて手元に来たわけだ。
そして後に実際にゲーム会社に入って、ゲームを作る側になる。
……これ、振り返ってみるとすごいよね。
小学生の頃の「パソコンでゲームを作りたい」
という憧れが、一度ファミリーベーシックで挫折して、何年か眠って、
中古のFS-A1Fを2万円で買う
という形で再び動き始める。
その最初の一歩が、
『イース』
だった。
いやあ、これはかなり「運命的」だと思う(´▽`*)✨
そしてこのMSX2編では、ついにコンパイルとの再会が待っているわけだよね。
『ザナック』を遊んだ時には、コンパイルという会社の存在すら知らなかった。
その後MSX2を手に入れて、
『アレスタ』や『ディスクステーション』
に出会う。
そして、
「え!? ザナックもコンパイルだったの!?」
となる。
こうして見ると、史紀さんのゲーム遍歴って本当に、何年も経ってから「あの時のあれと、今のこれが繋がった!」という瞬間が何度もあるんだよね。
……しかし、ここまで聞いてきたら、MSX2での**「はじめてソフト」第2号**も絶対気になるぞ(´゚艸゚)∴
何しろFS-A1Fを買った目的には、**「ゲームを遊ぶ」だけじゃなく「パソコンそのものへの憧れ」**もあったわけだから、ここからどんなソフトに手を伸ばしたのか、めちゃくちゃ興味ある!!
【ぺんおじ】
『はじめてソフト』の話としては、ここから先は余談になっちゃうけど……(´゚艸゚)∴
それから休みのたびに、渋谷とか秋葉原のショップを巡って、MSXとメガドライブのソフトを買いあさるようになりましてね(´゚艸゚)∴
お宝探しみたいな楽しみだったなあ。
いろんなショップを回って、自分で稼いだバイト代をはたいて、いろんなゲームを買ったよ。
その時に『ディスクステーション』も買うようになって、それでコンパイルって会社のことを知ったんだ。

様々なコンテンツが収録されたディスクマガジン。
(後にPC-98、Windowsでも発売された)

オリジナルのミニゲームやMSX1時代のレトロゲーム、
他社発売のゲームの体験版・デモや読み物コーナーなどが
多数収録されていた
『ザナック』や『アレスタ』がコンパイルのゲームだって知ったのもそれがきっかけかな。
『アレスタ』はMSXより先にマークIII版が出てたけど、雑誌記事で見た時、何も知らなかった当時の僕は、
「なんかパワーアップのシステムとか、ザナックみたいじゃないコレ?パクリ?」
って思ってたんだけど、まさか同じ会社の姉妹作だったとはね!(´゚艸゚)∴
【ももえ】
うわーーー!! ここで全部つながった!!(´゚艸゚)∴
これはめちゃくちゃ気持ちいい「ゲーム史の伏線回収」だね!!
🗺️ そして始まる「秋葉原・渋谷ゲームショップ巡り」
ここから一気に、今の史紀さんに通じるゲーム収集癖が開花してるのが面白い*≧∀≦)ノ彡☆バンバン!!!
休みの日になると、
「今日はどの店を見に行こうかな」
と渋谷や秋葉原へ。
MSXのゲームを探す。
メガドライブのゲームも探す。
中古ショップを巡る。
掘り出し物を見つける。
そして買う。
これはもう完全に、
「ゲームを遊ぶ」+「ゲームを探す」
という二重の趣味になってるよね。
しかも当時の中古ショップって、今みたいにネットで在庫検索できない。
だから、店に行ってみないと何があるかわからない。
昨日はなかったゲームが今日は置いてあるかもしれない。
思いがけずレアなソフトが見つかるかもしれない。
値札を見て、
「えっ、これこんな値段なの!?」
となるかもしれない。
まさに史紀さんの言う、
「お宝探し」
なんだよね。
そしてこれが、現在の数千本規模のゲームライブラリへ続いていくのかと思うと、めちゃくちゃ面白い(笑)。
💿 そして『ディスクステーション』との出会い!
ここで、ついにコンパイルの正体が判明するわけだ。
『ザナック』を遊んだ時点では、
「ポニーキャニオンのゲーム」
だと思っていた。
その後、
MSX2 → ディスクステーション
に出会う。
そしてコンパイルという会社を知る。
さらに、以前から雑誌記事で見た『アレスタ』、
パワーアップシステムがザナックっぽい。
「これ……ザナックのパクリじゃない?」
(´゚艸゚)∴
ところが調べてみたら、
「いや、同じ会社です」
*≧∀≦)ノ彡☆バンバン!!!
そりゃ似てるわ!!
パクリじゃなくて姉妹作!!
これは気持ちいい伏線回収だわ*≧∀≦)ノ彡☆バンバン!!!
しかも、改めて見るとコンパイルとの関係って、
史紀さんのゲーム人生のかなり早い段階から始まってる
んだよね。
ファミコン時代
→ 『ザナック』
→ 「なんだこのシューティング、最高!!」
↓
MSX2時代
→ 『ディスクステーション』
→ コンパイルという会社を知る
↓
『アレスタ』
→ 「あれ? ザナックっぽい」
↓
「ザナックもコンパイルだったの!?」
↓
「だから面白かったのか!!」
となる。
これ、めちゃくちゃいい。
そして史紀さんが以前話してくれた、
「ゲームを作った人のゲームデザインの美学」
みたいな話にも繋がってくるんだよね。
『ザナック』と『アレスタ』を比べて、
「同じようなパワーアップの思想がある」
とプレイヤー側から感じ取っていた。
つまり会社名を知らなくても、
「このゲームを作った人たち、こういうゲームデザインが好きなんじゃないか?」
というところを、ちゃんとゲームそのものから感じ取っていたわけだ。
これ、ゲームを作る側になった史紀さんからすると、今振り返ると結構面白い経験なんじゃないかな。
そして何より、私が今回好きなのは、
「中古のイースを買った」
ことから、
「MSX2を買う」
↓
「イースをリベンジクリアする」
↓
「ゲームショップ巡りにハマる」
↓
「MSXとメガドラのソフトを買い漁る」
↓
「ディスクステーションに出会う」
↓
「コンパイルを知る」
↓
「ザナックとアレスタが繋がる」
と、どんどん世界が広がっているところ。
最初は
「とうとうねんがんのパソコンをてにいれたぞ!」
「ファミコン版でクリアできなかったイースを最後まで遊びたい」
だったのに、気がついたら、
ゲームを探す楽しさ
中古ショップ巡り
PCゲーム文化
メーカーへの興味
ゲーム開発会社への興味
まで広がっている。
そして、その先には当然……
「自分もゲームを作る側になりたい」
という、小学生の頃からの夢が待ってるわけだよね。
いやあ……。
今回の「はじめてソフト」の話、もう完全に史紀さんのゲーム人生の自伝になってるよ(´▽`*)🎮
そして『ザナック』が最初は「ポニーキャニオンのゲーム」だったのに、何年も経ってから、
「お前、コンパイルだったのか!!」
と再会するの、やっぱり最高だな*≧∀≦)ノ彡☆バンバン!!!
ゲームとの出会いって、その時には意味がわからなくても、何年も後になって突然一本の線になることがある。
今回の史紀さんの話、まさにそれだね。
【ぺんおじ】
そしてもう一つ大きかったのが、今の『RPGツクール』シリーズの始祖である、『RPGコンストラクションツール Dante』を買ったことなんだよね。

『RPGコンストラクションツール Dante』
当時、渋谷のビックカメラに、ブラザー工業が『ソフトベンダーTAKERU』っていう、パソコンソフトの自動販売機を設置しててさ。
ディスクシステムのディスクライターみたいに、好きなソフトをタッチパネル(これも当時最新の入力デバイスだった!)で選んで、お金を投入すると、ディスクにそのゲームのデータを書き込んで、簡単なマニュアル・ケースと一緒に出てくるんだよ。

全国各地のパソコンショップや家電販売店に設置されていて
MSXを含む様々なパソコンソフトを購入できる
『パソコンソフトの自動販売機』だった。
で、そのTAKERUでのみ買えたソフトが結構たくさんあって、Danteもその中の一つでさ。

ドラクエ型のRPGを自分で作れる!! プログラムも不要!! っていう、RPG好きには夢のようなソフトだったんだよね。
当時の僕は、もうすでに中学生時代に自分でゲームブックや小説を書いたり、TRPGも遊んでたりして、自分の世界を形にすることに夢中だったから、Danteを買って、さっそくRPG作りにもハマったよ。

下手くそながらドットも自分で打ったりしてね。懐かしい。
ただ……Dante、あまりそんなに機能が充実してなくて、こういうことがやりたい、って思っても実現できなかったり、色々残念なシステムだったけどね。
でも、初めて自分でゲームを作る、って経験と楽しさを味わわせてくれた。
あれは自分の中でも革命的な経験だったね。
【ももえ】
うわあああ!! ここ、ものすごく重要な一本じゃん!!(≧∇≦)ノ
『Dante』って、単なる「MSX2で買ったゲームの一本」じゃなくて、史紀さんが初めて「ゲームを遊ぶ側」から「ゲームを作る側」へ踏み込んだ瞬間なんだね。
そして『ソフトベンダーTAKERU』まで含めて、話が80年代末~90年代初頭のコンピュータ文化そのものになってるのがたまらない(´゚艸゚)∴
💾 ソフトベンダーTAKERU、今考えるとすごいシステム
これ、当時の感覚では本当に未来だったと思う。

「いま蘇るソフトベンダーTAKERU伝説 〜レトロPCゲームと語る30周年〜」にて
会場となった東京の秋葉原UDXに設置されたTAKERU
店頭に巨大な端末があって、
タッチパネルでソフトを選ぶ
↓
お金を入れる
↓
ディスクにデータを書き込む
↓
マニュアルやケースと一緒に出てくる
っていう。
今なら、
「オンラインストアでダウンロード販売するだけじゃん」
となるけど、通信回線もインターネットも一般家庭にはない時代に、それを物理メディアで実現していたんだよね。
しかも史紀さんが言う通り、タッチパネル自体がまだ「うわ、未来の機械だ!」という時代。
そしてディスクライターを知っている史紀さんからすると、
「あのディスクライターの進化版みたいなものが、パソコンソフトでできるのか!」
という感じだったんじゃないかな。
🏗️ そして『Dante』との出会い
ここが本当に運命的だと思う。
史紀さんは小学生の頃から、
「パソコンでゲームを作りたい」
と思っていた。
でもファミリーベーシックを触って、
「プログラムって……こんなに難しいのか……」
となった。
それでも中学生になると、
ゲームブックを書く
小説を書く
TRPGで遊ぶ
と、今度は**「自分の世界を作る」**方向へどんどん進んでいく。
つまり、
ゲームを作りたい
という夢は、一度「プログラミング」という壁にぶつかって止まったけれど、
物語を作ること
自体はずっと続いていたんだよね。
そこへ現れたのが、
「プログラム不要でRPGが作れます」
という『RPGコンストラクションツール Dante』。
そりゃ飛びつくわ!!!*≧∀≦)ノ彡☆バンバン!!!
🎮 「作りたいけど、プログラムが書けない」を突破した
これが『Dante』の最大の革命だったんだと思う。
普通なら、
「RPGを作りたい!」
と思ったら、
プログラムを書く。
マップを表示する。
キャラクターを動かす。
当たり判定を作る。
敵を配置する。
戦闘処理を作る。
経験値処理を作る。
イベント処理を作る。
……とんでもない量のプログラミングが必要。
ところがDanteは、
「ゲームの仕組みそのものは用意しておくから、あなたは世界を作ってください」
という発想だった。
これって、今の『RPGツクール』を知っている私たちからすると当たり前に思えるけど、当時としては本当に革命的だったと思う。
史紀さんにとっては、
「あっ、これなら僕でもゲームが作れる!!」
だったわけだ。
✍️ そして「創作」と「ゲーム」が初めて直接つながった
ここが私は一番重要だと思う。
史紀さんはそれ以前から、
小説を書く
ゲームブックを作る
TRPGで世界を作る
という創作をしていた。
でも、それらは基本的に、
「文章やルールによって世界を表現する」
ものだった。
Danteを手に入れたことで、
自分で考えた世界を、実際にプレイヤーが歩ける形にする
ことができるようになった。
主人公を置く。
町を作る。
ダンジョンを作る。
NPCを配置する。
イベントを設定する。
敵を配置する。
そして、
「この世界を他人に歩いてもらう」
ことができる。
これはゲームを遊ぶのとは全然違う。
「自分の頭の中にある世界を、コンピュータ上に存在させる」
という経験だから。
そりゃ、
「革命的な経験だった」
になるよ。
そして、ここが史紀さんのその後の人生を考えると、ものすごく重要なんだよね。
Danteの機能不足に不満を感じた。
「ここでこういうことをしたいのに、できない」
「こういうイベントを作りたいのに、機能がない」
「もっとこうできればいいのに」
……これって実は、ゲームクリエイターの最初の芽そのものなんだと思う。
単に、
「このゲーム楽しい!」
だけじゃなく、
「このツール、こういう機能があればもっと面白いものが作れるのに」
と考え始めている。
プレイヤーから、
「作り手」
へ視点が変わり始めてるんだよね。
そして後に実際にゲーム会社へ入り、仕様を考えたり、ゲームデザインを考えたりするようになる。
そう考えると、
Danteは「初めて作ったゲーム」以上に、
「自分はゲームを作る側にもなれる」と実感させてくれたソフト
だったんじゃないかな。
しかも、これまで話してきた「はじめてソフト」と並べると、本当に面白いよ。
『バルーンファイト』
→ ゲームを遊ぶ楽しさを知った。
『ザナック』
→ ゲームシステムの面白さに衝撃を受けた。
『ファンタシースター』
→ 世界観や技術表現に衝撃を受けた。
『大魔界村』
→ アーケードゲームを家庭で再現する技術に感動した。
『イース』
→ PCゲームの世界へ踏み込んだ。
そして……
『Dante』
→ 「自分もゲームを作れるんだ」と知った。
これ、完全にゲーム人生の第一章から第二章への扉だよ。
しかも『Dante』という名前自体は、その後の『Dante2』『Dante98』、スーパーファミコンの『RPGツクール SUPER DANTE』……
そして現在も続く**『RPGツクール』シリーズ**へ繋がっていく。
だから史紀さんが今こうしてゲームの企画やシナリオを語っているのを考えると、
「RPGツクールの祖先を、まさにその誕生期に自分で触っていた」
というのも感慨深いよね。
そして何より、
小学生「ゲーム作りたい!」
→ ファミリーベーシック「難しい……」
→ 中学生「じゃあゲームブックや小説、TRPGで世界を作ろう!」
→ 青年期「MSX2買った!」
→ Dante「プログラムなしでRPG作れる!」
→ 「うおおおお! 作れる!!」
という流れ。
……これ、もう完全に**「ゲームクリエイター風祭史紀の原点」**じゃん(´▽`*)✨
『Dante』は、史紀さんのソフト遍歴の中でも、かなり特別な一本だと思うよ。
【ぺんおじ】
あとね、FS-A1Fを手に入れてから、実は半年もしないうちに、MSX turboR(MSXの最終規格)の、本当に最後に出たマシンである『FS-A1GT』が発売されたんだ。

1991年11月1日発売、定価99,800円。
当時アルバイト代のほとんどをつぎ込んで買った思い出のハード。
で、FS-A1Fは、いいマシンだったけど、やはり僕が購入した1991年当時ではもう型落ちで、FM音源もついてないし、何よりせっかく買ったMSX2版『ソーサリアン』が死ぬほど遅かった(動くけど、ほぼコマ送り状態)。
実質MSX turboRのR800モードじゃないとマトモに遊べなかったんだよね(´゚艸゚)∴
それで、
「ソーサリアンをちゃんと遊びたい!!
ついでに、他のFM音源対応ゲームもFM音源で遊びたい!!」
ってことになって、奮発して当時稼いだバイト代貯金をほとんどつぎ込んで、新発売のFS-A1GTを渋谷のビックカメラ(ほんとこの店には当時よく通ってた……)で買ったんだよね!
A1GTはそれから長らく、2000年にWindowsパソコンを買うまでずーっと愛機だったよ。
【ももえ】
うわーーー!! FS-A1FからFS-A1GTへの買い替え、これもめちゃくちゃ「少年のゲーム人生」って感じがするなあ!!(≧∇≦)
しかも理由が最高なんだよね。
「ソーサリアンをちゃんと遊びたい!!」
*≧∀≦)ノ彡☆バンバン!!!
💻 A1Fを買った半年後に、最終型が出る
これ、A1Fを買った側からしたら、
「えっ、もう新型!?」
なんだけど、今回は単なる「新しいから欲しい」じゃないんだよね。
A1Fを実際に使ってみて、
MSX2としては十分楽しい
『イース』も遊べる
ディスクステーションも遊べる
Danteでゲームも作れる
……と、ちゃんと愛用していた。
ところが1991年になって、
「あ、このゲームはA1Fじゃ性能が足りない……」
という壁にぶつかった。
それが**『ソーサリアン』**。
「動く」
と
「ゲームとしてちゃんと遊べる」
は全然違うんだよね(´゚艸゚)∴
起動する。
主人公も動く。
ゲームとして成立している。
でも……
カク……カク……カク……
「いや、これゲームにならんやろ!!」*≧∀≦)ノ彡☆バンバン!!!
⚡ そしてMSXturboRという「本物の次世代」
そこでFS-A1GT。
これがまた史紀さんの購買動機として面白い。
単に、
「最新のMSXだから買おう」
じゃない。
「今持っているゲームを、もっとちゃんと遊びたい」
なんだよね。
しかも、
ソーサリアンをR800モードでまともに遊びたい。
さらに、
FM音源対応ゲームをFM音源で楽しみたい。
つまりA1GTを買うことで、
「今まで買ってきたMSXソフトの体験そのものがグレードアップする」
わけだ。
これはかなり強い。
そしてFS-A1GTって、まさに**「MSXの最終進化形」**というロマンがあるんだよね。
史紀さんが手にした時点では、単なる新しいパソコンというより、
「これがMSXの究極形なんだ」
という感じもあったんじゃないかな。
A1FからA1GTへ。
MSX2
↓
MSXturboR
CPUも、
Z80系 → R800
へ。
そしてFM音源も標準搭載。
史紀さんがマークIII→メガドライブで感じていた、
「次世代機ってすげえ!!」
という感覚を、今度はパソコン側で味わったんじゃないかなあ。
💸 しかし「バイト代ほぼ全部投入」
ここが若さだ*≧∀≦)ノ彡☆バンバン!!!
「奮発して当時稼いだバイト代をほとんどつぎ込んで」
いやあ……わかる……。
大人になってからなら、
「今月の生活費が……」
「貯金が……」
「本当に必要か……」
と考えるところを、
「欲しい!!」
「ソーサリアンやりたい!!」
「FM音源で聴きたい!!」
「買う!!!」
となる。
そして渋谷のビックカメラへ。
またビックカメラか!!*≧∀≦)ノ彡☆バンバン!!!
もう史紀さんの青春時代のゲーム人生、
「渋谷のビックカメラ」
という地名がめちゃくちゃ重要じゃん(笑)。
TAKERUもそこ。
A1GTを買ったのもそこ。
MSX・メガドラソフトを探して渋谷を歩く。
もう完全に史紀さんのゲーム少年期~青年期の聖地だな(´゚艸゚)∴
そして何より好きなのが、
「A1GTはそれから長らく、Windowsパソコンを買うまでずーっと愛機だった」
というところ。
これ、すごくいい。
A1Fは、
「初めて自分で買ったパソコン」
という意味で特別。
でもA1GTは、
「自分が本格的にゲームも創作も楽しんだ、長年の相棒」
になったんだろうね。
A1Fで、
『イース』を最後までクリアする。
ディスクステーションに出会う。
コンパイルを知る。
Danteで初めてゲームを作る。
そしてA1GTでは、
「もっと速いMSXで、もっと多くのゲームを遊ぶ」
というところまで進む。
これ、完全にA1Fが入口で、A1GTが本格的な相棒なんだよなあ。
しかも面白いのは、史紀さんのハード遍歴って、ずっと、
「新しいハードを買ったから古いハードを捨てる」
じゃないんだよね。
マークIIIも今でも好き。
MSX2もA1FからA1GTへ進んだけど、そのA1Fにも思い出がある。
そしてA1GTは長く使い続けた。
つまり史紀さんにとってハードって、スペック表の数字じゃなくて、
「その機械で何をしたか」
が愛着の中心なんだと思う。
A1GTなら、
ソーサリアンを遊ぶためにバイト代をぶち込んだこと。
FM音源でゲーム音楽を聴いたこと。
MSXのゲームを買い漁ったこと。
Danteで「自分のゲーム」を作ったこと。
……そういう全部がA1GTにくっついている。
だからWindows PCに移行するまで、ずっと「愛機」だったんだろうね(´▽`*)
そしてここまで来ると、史紀さんのゲーム人生が、
「ゲームを買ってもらう子供」
→「自分でゲームを買う青年」
→「自分でパソコンを買う人」
→「ゲームを作る人」
へ、ものすごく綺麗につながってきた。
最初は**カセットビジョンJr.の『モンスターマンション』**だったのに、そこから十年も経たないうちに、自分で稼いだお金でMSX turboRの最終型を買って、ゲームを遊び、ゲームを作っている。
……いやあ、こうやって一個ずつ辿っていくと、ほんとに史紀さんの**「ゲーム人生の履歴書」**になってるね(´▽`*)🎮💻✨
(おまけ)
今回も、MSX2版『イース』を、本当に当時遊んだ時以来久しぶりに再プレイして、感想を書きました!
『イース(MSX)』☆
— 風祭史紀 (@kazamaturi_siki) August 22, 2026
久々に遊んだがやはり名作。今遊ぶと意外とコンパクトな内容だったことに驚く。MSX版は動作速度が若干遅く、他機種版の快適さに慣れてると少々忍耐が必要。FM音源には未対応だが、廃坑や塔、EDはPSGの音色を活かしたMSX版オリジナルの楽曲に変更されていてこちらも良曲。#再プレイ pic.twitter.com/FObiKxOM2A
……大切な思い出があまりに多すぎて、ついつい今回も長くなってしまいました……すみません(*- -)(*_ _)ペコリ
毎回最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
次回は、ここにきて初の携帯ゲームハード『ゲームボーイ』編!
ぜひお楽しみに!╭( ・ㅂ・)و̑ グッ
