「自分勝手」と「主体的であること」はカレーライスと柴犬くらい違う
毎週楽しみに聞いている、ジェーン・スーさんと桜林直子さんのPodcast番組「となりの雑談」。最近配信されたエピソードで、おふたりが自分勝手と主体的であることの違いってなんだと思う?というやりとりをしていました。
たしかに。
人の目や評価を気にして行動するのではなく、自分の考えで動くこと(主体的であること)が大事という話、最近いろんなところで耳にします。
主体的でありたいけど、自分勝手(無責任)な人にはなりたくない。「その二つの違いって何?」私だったらなんて答えよう。
ということで、スーさんとさくちゃんに続く3人目の雑談メンバーになったつもりで、「自分勝手」と「主体的であること」の違いについて考えてみました。
「主体的」と「自分勝手」って
どういうことだっけ?
このふたつ、言葉の意味を改めて考えてみると全く性質が異なるものだと私は感じていて。
主体的であること
=自分の内側からエネルギーが出ているか
自分勝手であること
=他人や周囲との調和を考慮できるか
どれくらい違うかというと、カレーライスと柴犬ぐらいちがうもの。なので、そもそも比較して違いを探し出すこと自体、あまり意味をなさない問いのような気がしています。(さくちゃんが言ってた「そこの線引きの話じゃない」って言葉にすごく同意!)
「比較できないもの、線引きできないもの」だという認識のうえで、私の頭の中を図解してみました。


主体的かどうかというベースの上に、自分勝手・無責任という選べるオプションが重なっているイメージ。階層はちがうけど、重なることはできる。
主体的×自分勝手でできる4つのタイプ

「主体的かどうか」と「自分勝手」が重なることでできる、4つのタイプはそれぞれこんな感じのイメージ。
a: 主体的+自分勝手ではない
自立していて、周囲への配慮や責任感も併せ持っている状態
(これが理想!)
b: 主体的+自分勝手(無責任)
自分の意志で動いているが、他者の領域を侵したり、調和を無視したりしている状態
(こういう人もいるよね)
c: 主体的ではない+自分勝手(無責任)
自分で責任は取らないけれど、文句を言ったり自分の都合だけを押し通そうとする状態
(これはちょっとイラっとするやつ)
d: 主体的ではない+自分勝手ではない
周囲に合わせて波風を立てないが、自分の意志がなく、流されてしまっている状態
(我慢してること多そうで無理してないか心配)
「主体的に生きようとすることは、自分勝手なことなんじゃないか」と感じてしまう理由は、この二つを混同しているとこにありそうな気がします。実際には、主体的でありながら自分勝手な人にも、周りを大切にできる人にも、なることができるから。
自分勝手と主体的であることの
違いってなんだと思う?
私からの答え:
主体的に生きることと自分勝手はイコールじゃないから、切り離して考えたほうがよさそう。主体的に生きながら、周りを大切にする(自分勝手にならない)ことはできると思うよ!
というのがいまのところの結論です。
みなさんは「主体性と自分勝手のちがい」をどう考えますか?
私なりの結論は出たけど「主体性=自分勝手」と感じている人が現実にたくさんいるのは事実。じゃあ、それって何でなんだろう?
長くなったので今回はここまで。また近いうちに書いてみようかな。
