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【映画】箱の中の羊

公開から日が経ちましたがまだ上映が続いているので、イオンシネマ新百合ヶ丘で観てきました。
是枝裕和監督の作品としては、そんなに好評を聞かないという感じでしょうか。
私は今まで『そして父になる』『ベイビー・ブローカー』『怪物』を見てきて、その演出のすばらしさにいつも感動していましたが、今回はSFの設定なので不安がよぎりました。
それでも、SF映画だからという理由で必見としました。
観てみると、ものすごく面白かったのですが、結末というか結論のポテンシャルが活かしきれていないのではないかと思いました。
どことなくモヤモヤしてしまうため評価されづらいのもわかります。
難しいところですが、人間ドラマとしてもSF映画としても、どちらかにもう少し踏み込んで欲しかったとの思いです。

まずSF映画としてみた時に、最初のシーンで少しがっかり。
偏見かもしれませんが、小説でも映画でも「非SF系」の作者は、SF設定に説明が必要だと思ってしまうところがあり、その結果、NHKでやるような「未来はこうなる」というドラマ仕立てのセミドキュメンタリみたいになってしまうところがあります。
本作の最初のシーンは、鎌倉あたりの海岸を飛び交う宅配ドローンという映像で、これ自体説明的だなと感じてしまいました。

ただこのシーン、コウノトリが赤ちゃんを運んでくるイメージと重ねていたのかも(日通ならペリカン便だからわかりやすかったけど作中では佐川急便でした……ペリカン便ってもうないんですね)、と今は思うので、SF映画としてのインパクトの欠如を問題にするべきだったかはわかりません。
宅配ドローンについてはそのあと、ヒロインが荷物を発送するときに、庭にそれを置いて数歩下がるとローターがまわりだす、という描写がリアルでいいなとは思いました。
安全第一の設計になってるなと。

さて映画の基本設定は、子供をなくした親が、その子にそっくりのヒューマノイド(ロボット)を無償レンタルされるというもので、スピルバーグの『A.I.』との類似点がどうしても意識されます。
あの映画は、子供は難病であって死んでおらず、訪れるアンドロイドもその子に似せられてはいなかったりして、結構違います。
それでも、食事ができないとか、メーカーによる修理のシーンとか、設定や場面によく似たところも多いです。
『A.I.』はスピルバーグのSF系作品のなかで最大の失敗作だと思いますので、あれとの違いは気になるところでした。

本作では、食事や入浴ができないヒューマノイドの翔(かける、桒木里夢)に気を遣って、その話をしないようにする母親の音々(おとね、綾瀬はるか)の姿が描かれるところなんかはあの映画との大きな違いとして印象的でした。
翔がもどってきたと欣喜雀躍する音々と対照的に、父の健介(千鳥の大悟)は、それを翔であると認めません。
子供を受け入れるのにあたって、無条件で愛せる母親と、そうなるまですこし時間を要する父親とのギャップは、私は両親の姿としてリアルだなと思いました。
男親は、目の前の子供が自分の子供であることを受け入れるのに、何かの納得感とか根拠を求めてしまいます……よね?
私がそうだったからそう思うだけなんですが。
このあたり、普通の親子と同じだなと思えたのが良かったです。

訪れたヒューマノイドは、親から提供された多くの情報を備えたAIで動きますが、生前の人物の記憶を移植するとかいったことではないので、親が知り得ない情報は持っていません。
亡くなった子供がどのようにして犯罪もしくは事故に巻き込まれたのか、そのヒューマノイド自身も知りません。
そこに大きな謎があり、謎が解明されきらないままに、もうひとつのとある集団が登場するのが後半の展開です。
ここは意外にもSF度が高く、「なんか諸星大二郎って感じがする」と思いながら観ました。

後半でのトーンの転換にあたり、映像設計が素晴らしいです。
音々は注文住宅のデザインを行う人なので、かっこいい素敵な家に住んでいて整然とした世界があり、一方で健介は材木店の社長なので、建築の世界に素材を提供する仕事をしており、やや混沌とした昔ながらの世界の住人。
そこから、物語は生きた樹木へフォーカスしていき、後半では廃校、森などのカオスやフラクタルを感じさせる複雑な視覚デザインに進んでいきます。
廃校が映ったときに、何か一気に、世界の真実を見せられたかのような、つくりものではない何かが感じられたのがすごかった。
究極の人工物であるヒューマノイドたちが、そうした非人工的な世界に融合していくような物語です。
こう書くと、やっぱり諸星大二郎っぽいな。

だから、コンセプトはかなりSF映画なのだと思いますが、その意味ではSF的ビジュアルイメージがそんなにあったわけでもないので、そこが惜しいと感じた原因かもしれません。
一方で、グリーフケアの物語としてはさすがの是枝監督と思える説得力でていねいに描かれており、その意味では完璧とも思える手腕を発揮していました。
それがSF展開と乖離してしまったところがあったのかも。

でも是枝監督、『空気人形』というSFファンタジーを撮っていたんですね。
非SFの人だというのは少々、先入観があったかも。
ただ、SF的な後半の展開はもっと掘り下げて良かったんじゃないかなと思ってしまいます。
正直、始まった時とは別の映画になってしまったと思うぐらいの極端な視点の転換があっても良かったのではないかと。

この点、良くも悪くも、千鳥の大悟の芝居が良すぎたんじゃないかとさえ思えます。
食べ方がきれいではないので、どことなく好きになれない(類型的に見えるという意味でも)キャラクターとして登場しながら、どんどん説得力が積み上がっていく素晴らしい演技でした。
もちろん綾瀬はるかに余貴美子と、どの役者もものすごく上手く、子供達の演技も是枝監督らしく、素晴らしいです。
あと、田中泯ですね。
日本映画にピエール瀧が出てくるとき同様、「またお前かー!!」って言いそうになりましたが、映るだけで説得力がある、説得力大魔王らしい佇まいでした。
それでもやっぱり、大悟が印象的です。
あの踏切の前での芝居とか、すごかったなあ……

生成AIの影響が感じられる箇所としては、翔が人間の心を読めるかのように、音々の気持ちを言い当ててしまうところでしょうか。
5年前なら「いくら高性能なAIでも読心能力までは持てない」と思われたであろうところ、今ではAIの推論に自分の心を読まれたかのような感覚を抱く経験は多くの人がしているので、音々がそれに拒否反応を示すことまで含めて、説得力を感じながらも、驚かされます。

建築士や材木店の仕事などリアリティを感じさせる描写も厚みがあり、観ていて面白いです。
映画を観ていて最初に面白いと感じたのは、音々が注文住宅を作ろうとする夫婦と打合せをする場面でしたからね。
「このそれらしさ、面白い!」と。
こうしたことによる人間ドラマの厚みゆえ、SFとして「人間以外」の世界が展開し始めると、映画としてどことなくギクシャクしたのではないかと思いました。
特に、柊陽太が演じるあの青年、彼のことをもっと描写してほしいと思いましたね。
物足りなさは感じたものの、かなり夢中で観たのは確かで、好感を抱いています。


(以下、観た人でないとわからない話ですが……)


ヒューマノイドがそれと気づかない形で人間社会に浸透していることを窺わせる描写がちょっとありました。
あのメーカーの修理人が怪しいです。
やっぱりなかなかSFです。

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