にゃんこ哲学。③
あらすじ
こんばんは。紺野ルビです。これを書き終えたら「猫街は風待月になってPart.2」のMV編集を進めようと思ってるよ。これまで、にゃんこ哲学の1回目では、ミアキスの分化と猫の個人主義性、2回目では猫の行動哲学は快か不快かだ、ということを見てきました。3回目は、にゃんこ哲学から学ぼう、をテーマに書いていくよ。
猫と落語家ーー立川談志の不快論
さて、ここから話は少し展開します。快か不快か、で思い出すのは、伝説の落語家・立川談志が言っていたこと。昔、偶然YouTubeに流れてきて、なるほど、と思ったことがあります。
それは、1986〜87年にフジテレビ系列で放映していた「ひょうきん予備校」で語られたことでした。MCは泣く子も黙る反社芸人、島田紳助。番組の内容はというと、毎回さまざまな芸人を講師として迎えて、若手芸人扮する予備校生にお笑い論を展開するというものでした。今で言う、プロトタイプのしくじり先生といった感じ。立川談志が講師として登場した回で、こんなことを言ってました。
「すべての事柄は不快感の解消から始まるんです。一番の不快は死に対する不快ですね」
「その不快をどうやって解消していくか」
「(芸人として)売れないというのは不快ですね」
「本当に不快なら、状況処理を上手にやる」
「その不快を処理しないというのは、その状態が不快じゃないんです。不快なら動き出すんです。あるいは動くことのほうがもっと不快なんです」
芸人として、売れてない人は今の状態が本当に不快ではない、ということを軸に、芸人論を展開しています。全然、音楽が聴かれていない私の心に刺さりすぎて辛いです。まあ、音楽を聴くのも演奏するのも好きで、やっていないと頭とか心に何らかが溜まっていくのが不快なので、私は音楽をやっているのかもしれません。
それはさておき、上の動画では、不快の解消について①状況把握②状況判断③状況処理を絶えず行うことと言っています。例えば、猫という生物が家にいるというシチュエーションがあったとすると、誰かが放っていったのかもしれない、子どもが持って帰ってきたのかも、いや、窓が空いていて忍び込んだのでは?などさまざまなことが考えられます。そして、こどもに聞いたり、窓の点検をしたりして、最終的にこの猫を飼ったり、あるいは飼いたいという人に相談したり、保健所に連絡をしたりするわけです。
現状を把握して、考えて、動く。言うのは簡単ですが、絶えずこの連鎖の中にある日常では、把握や判断、処理の全てでベストを出すのは難しい。だからこそ、不快へのピントを合わせる必要がある。自宅が燃えてる時に、おしゃれコーデの研究をやっている、みたいなことって客観的に見たり、後から振り返ってみると、割とあることだったりします。
なんでそんなことになってしまうかと言うと、不快と感じるタイミングが出来事に対してズレていたり、より大きな不快の中にあって、それよりも小さい不快を処理する時間がなかったりするからです。人間の情報処理能力って、意外とたかが知れてる。
そう言う点において、猫はすごい。あくまで快か不快かにこだわる。こうした姿勢は見習わないといけません。快と不快か。この二元論に立ち返って、快のための行動する。こんな簡単なことがどうして人間にはできないんでしょうか。いや、もっというと大人はできないんでしょうか。猫の知能は人間でいうところの、2〜3歳程度と言われています。きっとあなたが小さかったころ、つまり、無邪気に笑ったり、この世の終わりのように号泣していたころは、今より判断が正確にできたいたはず。人を立てることに慣れすぎて、人との摩擦に疲れすぎて、自分を守ることに必死で、快か不快かがわからなくなってはいませんか?
ところで、にゃんこ哲学=快にまつわる哲学という点で、本好きの方なら澁澤龍彦の「快楽主義の哲学」を思い出すかもしれません。
人生に目的などありはしない―すべてはここから始まる。曖昧な幸福に期待をつないで自分を騙すべからず。求むべきは、今、この一瞬の確かな快楽のみ。流行を追わず、一匹狼も辞さず、世間の誤解も恐れず、精神の貴族たれ。人並みの凡庸でなく孤高の異端たれ。時を隔ててますます新しい渋沢龍彦の煽動的人生論。
確かこの本に書いてあったと思うんだけど、「快楽というのはりんごを分けてるとその分、減るというような性質ではない」というのは至言だと思っています。音楽なんか空気の振動だけで、みんなが快い気分になれるし、減らないわけで。この本の中で歴史上の異端とされる、さまざまな人物や哲学が紹介されているわけだけど、結局、個人主義的な快楽主義者たれということが書かれています。猫はこうした人たちの先生だったわけです。それも一文字も残さずに。にゃんこ哲学、凄まじき。
というわけで今回は、にゃんこ哲学から学ぶ、をお届けしました。そうは言っても、市井を生きる人間には、そんなことは無理なんじゃないの?と思ったあなた。最終回では、現代社会におけるにゃんこ哲学の実践法をお送りします。
それじゃあ、またね。
