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心が折れそうな時こそ「思い出の場所」へ。ソウルの学生街で自分を取り戻した話

久しぶりに1週間韓国に滞在することになり、ふと行ってみたい場所が思い浮かびました。それは昔住んでいた家!!今、どうなってるんだろうか。ということで行ってみました。

結果、「思い出の街を散策することは、メンタル改善に効く」と実感しました。ちょっとお疲れモードの人、これでいいのかな?と自信を無くしている人、なんだか日々がつまらない人。一度、思い出の場所を散歩してみるのはいかがでしょうか?私は、かなり癒されました。


かつて栄華を誇った学生街、梨大・新村での留学生活

私は20代後半の1年半、ソウル市内の梨大(イデ)駅と新村(シンチョン)駅の間にあるワンルームマンションに住んでいました。部屋の写真を母に送ったところ「変わった間取りだね。台所にベッドを置いてるの?」と残酷な返事が来たほど、狭小な部屋でした。

当時通っていた延世大学の語学堂にも徒歩圏内、梨花女子大学という名門女子大があるエリア。周囲にコスメショップやおしゃれなカフェも多く、「家は狭いけれど、なんだか楽しそう!」そんな軽いノリで決めた気がします。20代ゆえになせる業。

今では地方も含め、あらゆる大学が語学堂(大学が経営する韓国語語学学校)を設置していますが、2010年代までの日本人留学生は、大半が梨大、新村エリアか弘大(ホンデ)付近に住んでいたといっても過言ではないと思います。延世大学、梨花女子大学、西江大学、弘益大学という歴史ある語学堂を抱える4つの有名私大が集まるエリアだったからです。

2026年 春の新村駅前

東京で例えると、慶応大学と明治大学と津田塾大学と武蔵野美術大学がみんな下北沢エリアに集まっている……そんなイメージでしょうか。伝わらなかったらミアン(ごめん!)。とにかく、韓国人の学生も留学生もごったがえす、若者の街だったのでした。

健在だった思い出のマンションと、タワマン化して消えた近所の風景

そんな煌びやかな街が、少子化や世相の変化により、いつしかさびれたシャッター街になってしまったという報道を見ました。「この目で確かめたい」そんな気持ちで、自分の住んでいたマンションから徒歩1分のホテルを予約。

ちなみに、この時泊まったホテルがなかなかの”ハズレ”だったのですが……その顛末は別記事に書いております。気になる方はこちら。

アーリーチェックインをして、ホテルの部屋に入ると、窓からチラリ見えたんです。住んでいたマンションが。「あ、ある!」思わず興奮しました。

かつては古い住宅地とお店が並んでいた場所

しかし、ホテルを出て、マンションに向かう途中の道で絶句しました。ない。いつも親切にしてくれた女社長の不動産屋さんも、いつもコッカルコーン(とんがりコーン韓国版)を買っていた個人商店も、引っ越した初日に励ましてくれた、あの優しいおばあちゃんの定食屋もない。そこにあったのはそびえ立つタワマン群でした。ちょっと泣けました。

ラフで気まぐれな韓国の配達サービスに、カルチャーショックを受けた日

気を取り直して、住んでいた建物の前に。ネット注文したミネラルウォーターがいつも時間指定通りに来なくて、語学堂から帰ると、オートロックのドアの前に無造作に置かれており、そのたびにイライラしていたことも思い出しました。嗚呼、カルチャーショック。それを乗り越えて、理解してこそ、今があります。

かつて住んでいた場所。よく見ると半地下の部屋がありました

帰国後に映画『パラサイト』を見て、分かったことがありました。私が「2階」だと聞かされて契約した部屋は「1.5階」というかほぼ「1階」でした。下の階は半地下の部屋だったのです。住んでいた当時は、あまり理解していませんでした。そしてこのマンションには韓国ドラマでおなじみ「オクタッパン(屋根部屋)」があり、実に韓国らしい構造の建物です。家主の許可を得て、よく屋上に上がってバスタオルや布団を干していました。そこから見える遠くの山、夜景がとても好きでした。

必死に勉強していた私に、光を照らしてくれた窓へ「ただいま」

入口を過ぎて右手の道を曲がると、私が住んでいた部屋の窓が見えました。日光がさんさんと差し込む、明るい部屋。カーテンレールがついておらず、今みたいにオシャレに進化する前の「ダイソー」で突っ張り棒を買って、カーテンを取り付けた記憶があります。

この窓から日光浴をしながら、文法を覚える日々

それでも、まだシミを気にしていなかった20代。晴れた日はカーテンを開けて、日差しをデスクライト代わりに、窓際の机にかじりついて韓国語を勉強していたのを覚えています。「ちゃんと話せるようになるまでは、絶対に帰らない」私を見守ってくれていた窓に、心で「ただいま」を言いました。

思い出を噛みしめながら、2人前のタッカンマリをひとりで完食

だいぶ一人でエモくなってしまったところで、もう一つ思い出した場所がありました。毎週のように友人と通っていたタッカンマリ(鶏の水炊き)のお店です。NAVERマップで店の健在と営業時間を確認し、さっそく訪れてみました。

「2人前からの注文なんだけど……ひとりで食べきれるなら、どうぞ」

ちょっと塩対応なアジュモニの接客すら懐かしい。かなりお腹が空いていたので、いけると踏んで注文しました。次、いつ来られるかわからないから。

会いたかったよ、タッカンマリ!!

なんとか完食。本当は、煮詰まってより濃厚になった鶏出汁スープに入れる〆のグクス(麺)こそがメインディッシュ!というほど好きなのですが、さすがにそこまでは食べられませんでした。次に誰かと来た時は、必ず注文したいと思います。

深夜まで勉強に使っていたカフェはハンバーガーチェーン店に

帰り道に、私が深夜12時近くまで語学堂の宿題や、発表の準備に使っていたカフェチェーン店に立ち寄りました。が、そこはマムズタッチというチキンバーガーショップに変わっていました。無念。

女子大前ゆえか、コスメショップやカフェは健在でした

梨大の街は、以前よりシャッターが目立ち、住んでいたころよりは少し輝きを失っていました。残ったお店や建物もあれば、無くなったものも、変わったものもある。ただでさえ、日本よりも変化が目まぐるしい韓国において、10年以上経っているのだから、当然のことでもあります。

ZARAの花柄ミニスカートを履き、明るい色のロングヘアをなびかせていた若者だった私も、今やロングスカートを履き、FAGA治療に勤しむオトナになったわけですから。

過去の自分を認めることで、今の自分を労うことができた

久しぶりにこの街に来て良かった。心底そう思いました。韓国語が上手くなりたくて、仕事を辞めてトランク一つで来た勇気。成績優秀者として語学堂の奨学金をもらうほど、朝から晩まで勉強に勤しんだ努力。素直に「昔の私、めちゃくちゃ頑張ってたじゃん!」と思えたのです。いま彼女に会えたら、ハグして、タッカンマリを奢ってあげたいよ。〆の麺もセットで。

ホテルに帰ってベッドに横たわり、かつて住んでいた部屋を眺めながら、ふと思いました。「あの頃の夢、いくつか叶ったこともあるなぁ」と。まだまだ、経験していないことや、未熟な部分もあって“道半ば”ではあるけれど……「おつかれ!」過去の自分がハグしてくれた気がしました。

かつて住んだ街を散策することは、一種のセラピーかもしれない

この時の渡韓は、BTSのカムバックとロックフェスに行くという大きな目的があり、かつて住んでいた街に行くのは“おまけイベント”に過ぎませんでした。でも結果的に「精神的に癒される」「自分を取り戻す」という体験ができました。

近年、なかなかヘビーな出来事が続いて、思った以上に弱っていたのですが「かつての住まい」と「そこにいた自分の残像」が自己肯定感を爆上げしてくれました。同時に「どんなに韓国語と韓国エンタメを愛していたか」も思い出したのです。やっぱり、私にとってはこれがライフワーク。

何かを見失いそうになったとき。なんだか元気が出ないとき。自分にとってポジティブな思い出が詰まった場所に帰ってみるのをオススメします。「きっと大丈夫」過去の自分が励ましてくれるはずです。

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