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【時代を超えるリーダーシップ】ケネディ大統領も尊敬した「上杉鷹山」から学ぶ、現代に必要な当事者意識

こんにちは!皆さんは、「為せば成る 為さねばならぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬ成りけり」という言葉を聞いたことはありますでしょうか。

「やればできる!」と背中を押してくれるこの有名な言葉を残したのは、江戸時代の中期に米沢藩(現在の山形県)の藩主を務めた上杉鷹山(うえすぎ・ようざん)です。

実はこの上杉鷹山、ある世界的リーダーとの関わりで語られることの多い人物でもあります。今回は、そんな鷹山公の生き方やリーダーシップについて、現代を生きる私たちの視点も交えながら紐解いていきたいと思います。

ケネディ元大統領が尊敬した日本人?

ジョン・F・ケネディ元アメリカ大統領が、かつて日本人記者から「あなたが最も尊敬する日本の政治家は誰ですか」と質問された際、「ウエスギ・ヨウザンです」と答えた——。そんな有名なエピソードをご存知でしょうか。

実はこの逸話、はっきりとした証拠が残っているわけではなく、真偽のほどは定かではありません。この時のやりとりは非公式の場でのものだったとされ、正式な記録が残っていないのです。

しかし、「完全な作り話」とも言い切れない背景があります。

一つは、ケネディ大統領が内村鑑三の著書『代表的日本人』を読んでいた可能性があること。もし読まれていたとすれば、彼が鷹山を深くリスペクトしていたとしても、なんら不思議ではありません。

そしてもう一つ。この逸話を裏づけるような出来事が、半世紀の時を経て起こっています。

2014年9月27日、ケネディ大統領の長女で、当時の駐日アメリカ大使を務めていたキャロライン・ケネディ氏が、鷹山ゆかりの地である山形県米沢市を訪れました。市内で開かれる「なせばなる秋まつり」に合わせての訪問です。

そこで彼女は、集まった人々を前に、父ジョン・F・ケネディが上杉鷹山を高く評価していたことを語りました。優れた統治を行い、公のためには自らを惜しまなかった十八世紀の大名として。そして鷹山と父には、一人ひとりに世の中を良くする力があるという信念を貫いたリーダーであるという共通点がある、とも述べています。

記者会見での一問一答そのものは、今となっては確かめようがありません。それでも、娘である彼女が公の場で、しかも米沢というその土地で、父と鷹山を並べて語った——。その事実には、やはり重みがあるように思います。

世界へ日本の心を伝えた名著『代表的日本人』

『代表的日本人』は、明治時代にキリスト教思想家の内村鑑三が、海外に向けて「日本人の優れた精神性」を知ってもらうために、英語で執筆した本です。

この本では、日本を代表する5人の人物(西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人)の生涯や思想が熱く語られています。現在では読みやすい日本語訳の文庫本が数多く出版されていますので、英語が苦手な方でも手軽に読むことができます。読書の秋などにおすすめの一冊です。

制度よりも「人」〜絆がもたらした奇跡の藩政改革〜

内村鑑三は、この本の上杉鷹山の章で「封建制度」について大変興味深い考察をしています。

封建制度というと、殿様が絶対的な権力を持つ「独裁的な専制政治」を生み出しやすい古い体制だと思われがちです。一方で、現代の私たちが生きる「民主主義・立憲政治(選挙で代表者を選ぶ制度)」は、進歩的で安全だと思われています。しかし内村は、「進歩的な選挙制度であっても、投票箱の中に専制政治(独裁)が忍び込む隙はいくらでもある」と指摘しました。

そして逆に、古い封建制度の下であっても、主君と家臣との間に「本物の忠誠心」と「武士道の精神」があれば、まるで家族のような強い絆で結ばれた理想的な政治形態を作ることも可能である、と説いたのです。

上杉鷹山が米沢藩の家督を継いだのは、なんとわずか17歳の時。当時の米沢藩は莫大な借金を抱え、まさに倒産寸前の状態でした。しかし鷹山は、自ら一汁一菜の粗食を貫き、木綿の服を着るという徹底した質素倹約を行うことで、見事に藩を立て直しました。

この大改革が成功したのは、単に政策が優れていたからではありません。リーダーである鷹山が自ら身を削り、家臣や領民たちと「家族のような信頼関係」を築き上げたからこそ実現したのです。内村鑑三は、このような素晴らしいリーダーが日本の江戸時代に存在したことを、世界に誇りを持って伝えたかったのでしょう。

涙の理由〜現代のリーダーにも通じる「当事者意識」〜

鷹山の人柄を表す、もう一つの心温まるエピソードをご紹介します。

彼の師匠であった学者・細井平洲(ほそい・へいしゅう)が、『春秋左氏伝』という書物の「視民如傷(民を視ること傷つけるがごとし=民を、傷ついた人をいたわるように見る)」という教えについて講義をした時のことです。

師匠が「政治家が、傷ついた人をいたわるように国民を見守る国は必ず栄えます。逆に、国民をゴミのように扱って無視する国は必ず滅びます」と語ったところ、鷹山の目からは、はらりと一筋の涙がこぼれ落ちたそうです。領民の苦しい生活を思い、深く心を痛めたのだと思います。

ここから学べるのは、リーダーにとってもっとも大切なものは「当事者意識」だということです。これは政治家だけでなく、現代の会社組織やチームのリーダー、ひいては私たち一人ひとりにも必要な素養ではないでしょうか。

「誰かがやってくれるだろう」「自分には関係ない」ではなく、相手の痛みを自分のことのように想像し、寄り添う。その当事者意識を持って初めて、周囲から本当に信頼される行動やアイデアを生み出すことができるのだと思います。

書いた人の生きざま〜内村鑑三『後世への最大遺物』〜

ここで少しだけ、鷹山を書いた側——内村鑑三その人に目を向けてみたいと思います。

実は『代表的日本人』が世に出た明治27年(1894年)ごろ、内村は人生でもっとも苦しい時期のただ中にいました。

そのきっかけは、明治24年に起きた、いわゆる「不敬事件」です。第一高等中学校の教員だった内村は、教育勅語の奉読式で最敬礼をしなかったとして、世間から激しい非難を浴びます。職を失い、まもなく病に倒れ、その看病にあたっていた妻までも亡くしてしまいました。定職もないまま各地を転々とする日々。社会的には、まさに「終わった人」の扱いだったのです。

そんな失意の底で、それでも彼はペンを執りました。日本人の精神の高さを世界に伝えようと、英語で書き上げたのが『代表的日本人』でした。

そして同じころ、箱根で開かれたキリスト教徒の夏期学校で内村が行った講演が、のちに一冊の本となります。それが『後世への最大遺物』です。

内村はこの講演で、聴衆の若者たちにこう問いかけました。私たちは死んだあと、この世に何を遺していけるのだろうか、と。

彼はまず「お金」を挙げます。正しく稼いで正しく使えば、お金は立派な遺物になる。しかし、誰もが遺せるわけではありません。次に「事業」を挙げます。橋を架け、道を拓き、学校をつくる。これも素晴らしい。けれども、やはり才能と機会が要ります。さらに「思想(文学・著述)」を挙げます。これもまた、書く力のある人にしかできません。

では、お金も、事業も、才能もない人間は、何も遺せないまま終わるのでしょうか。

そこで内村が最後に示した答えが、**「勇ましい高尚なる生涯」**でした。

この世は嘆き悲しむためだけの場所ではなく、生きるに値する世界なのだ——そのことを、ほかでもない自分の一生をもって示すこと。誰にも真似できない偉業を成し遂げることではなく、逆境の中でも人としての高さを失わずに生き抜いてみせること。それこそが、誰にでも遺すことのできる、最大の遺物である、と語ったのです。

この言葉が胸に迫るのは、内村自身が、まさにその通りに生きようとしていた最中に語られたものだからだと思います。地位も家族も失い、世間から背を向けられながら、それでも「日本人にはこんなに立派な人物がいるのだ」と世界に向けて書き続けた。その姿は、彼自身が説いた「勇ましい高尚なる生涯」そのものではないでしょうか。

そう考えると、鷹山を見る目もまた少し変わってきます。鷹山が後世に遺した最大のものも、借金を返済したという数字や制度ではなく、粗食と木綿の服で藩の先頭に立ち続けた、その生き方そのものだったのかもしれません。内村が5人の日本人を選んだ基準も、業績の大きさというより「生涯そのものが遺物になった人」だったように思えてくるのです。

国と私たち〜時代を超えて響き合うメッセージ〜

ケネディ元大統領の有名な就任演説の中に、次のような言葉があります。

「国があなたのために何をしてくれるのかではなく、
あなたがこの国のために何ができるのかを、考えてほしい。」

出典:ジョン・F・ケネディ「大統領就任演説」1961年1月20日/訳は筆者による

この言葉の根底には、上杉鷹山の「為せば成る」の精神や、利他の政治姿勢が影響しているのではないか……とも言われています。もちろん、これも真偽は定かではありません。

しかし、こうして並べてみると、不思議なほど同じ方向を向いていることに気づきます。

鷹山の「為せば成る」は、自分から動くこと。 内村の「後世への最大遺物」は、自分の生涯で示すこと。 ケネディの就任演説は、自分に何ができるかを問うこと

時代も国境も宗教も違う三者が、そろって「誰かがやってくれるのを待つ側」ではなく「自分が引き受ける側」に立つよう促している。この一致は、決して偶然ではないような気がします。

そしてこの三つは、すべて先ほどの「当事者意識」という一本の線でつながっているのだと思います。

皆さんは、上杉鷹山の生き方から、そして内村鑑三の生きざまから、どのようなメッセージを受け取ったでしょうか。

大きなことでなくて構いません。目の前の誰かの痛みを想像してみる。「自分には関係ない」と言いかけた言葉を、一度飲み込んでみる。その小さな一歩の積み重ねが、いつか私たち自身の「後世への遺物」になっていくのかもしれません。

仕事や日々の生活の中で、少しでも「当事者意識」や「やればできる」という前向きな気持ちを持つためのヒントになれば嬉しいです。

参考・出典

・内村鑑三『代表的日本人』(原著は明治期に英文で執筆。現在は各社より日本語訳の文庫あり)https://a.r10.to/h5bPfk PR

  • 内村鑑三『後世への最大遺物』(1894年、箱根での夏期学校における講演。岩波文庫ほか)https://a.r10.to/hF5jQB PR

  • ジョン・F・ケネディ「大統領就任演説」1961年1月20日(Inaugural Address, January 20, 1961)

  • キャロライン・ケネディ駐日米国大使(当時)による山形県米沢市でのスピーチ(2014年9月27日)


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