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【私がいるよ 2/3】ひとりで抱えた夜

妻・シマエナガの視点で書いた記録、2話目です。

第1話では、夫が突然倒れた朝から、HCUで過ごした2週間、毎晩LINEを送り続けた日々を書きました。

今回は、意識が戻った夫の手に触れた日から、12月のいちばん苦しかった時期までです。



第四章 あたたかい手

2025年11月30日

話を、少し戻します。

11月30日(日)の夜のことは、はっきりと覚えている。

18時の面会。夫が私を見て、表情を作ってくれた。
手を振ってくれた。そして、手を握ると——

点滴のチューブが邪魔で、うまく握れなかった。それでも——

温かかった。柔らかかった。ふわっと包み込むような感触だった。

あ、夫の手だなあ。あたたかい。今、生きているんだな。
頑張って生きてくれているんだな。

込み上げてしまった。

救急車を呼んだあの朝から、まだ10日しか経っていなかった。
もっと長期戦になることも覚悟していた。
私の想像を、遥かに超えて回復してきてくれた。

自宅に帰ってから、ひとりでLINEを開いた。
嬉しさで心臓が膨らんで、パーっと溢れて、
爆発しちゃうんじゃないかというくらいだった。
泣きながら、ハイテンションで、書いた。

「ありがとう!😭✨生きてくれて本当ありがとう!!😭✨奇跡をありがとう!!😭✨」

「まずは本当に、生きてくれてありがとうだよ☺️✨🩷❤️」

あの頃は、毎朝怖さで目が覚めていた。明日が来ることすら怖かった。

だから、その日に夫が生きていてくれたこと。呼吸をしていてくれたこと。
それだけで十分だった。
当たり前だったことが、当たり前じゃなくなって、だから心から、そう思えた。

生きてくれてありがとう、と。

第五章 免許を取ることにした

2025年11月23日〜

この日は、私たちの結婚記念日だった。

去年の記念日は、近所のジンギスカン屋さんに行った。
大阪万博にお金を使っていたから、近場でいいねと、ふたりで笑った。
それが、ずっと続くものだとしか思っていなかった。

あの朝から11月23日まで、ちょうど3日。
夫はまだ意識が朦朧としていた。でも、生きていた。
それだけで、記念日を迎えられた気がした。

この日の面会で、オオカミくん(夫の高校からの親友)が結婚式の写真を持ってきてくれた。まだ5年前、もう5年前の結婚式。

後から聞いたら、この写真を選んだのには理由があったという。

どんな後遺症が残るかわからない。これからどうなるかもわからない。
そんな中で、その写真のふたりは、協力して生きていこうとしている姿をしていた。
だから、この写真にした、と。

その話を聞いた時、涙が出た。

この日の面会を終えた後、夜は、オオカミくん夫婦と3人で、食事に出かけた。面会の後、少し息抜きが必要だった。

食事の途中、ぽつりと呟いた。

「私、免許なくて車運転できなくてさ、夫はきっと市場とか行きたいよね…」

朝早くに市場に出かけ魚介類を買ってくることが好きな夫のことを思ってそう言った。

オオカミくんの奥さんが、目を丸くした。

「え、免許持ってないの!?今しかないじゃん!!夫の入院中に取っちゃえば!?!?」

「私だったら明日ちょっと話聞きに行っちゃうけどなぁー!」

明るくて、でも真剣な提案だった。

夫が退院した後、もし運転ができなくなっていたら。
大好きな市場に行けなくなってしまったら。
通院が必要になった時、連れて行ってあげられるように。

怖さはあったけれど、それよりも夫を支えたい気持ちの方が大きかった。
じゃあ自動車教習所に、話を聞きに行くだけ行ってみようか。
そう思った。

翌11月24日(月)、思い立ったら吉日と、教習所にパンフレットをもらいに行った。

たまたま手の空いていた親切なスタッフの方が、丁寧に説明してくれた。
思い切って聞いた。

「私、実は46歳で、今まで免許を取ろうと思ったことが一度もなくて。
おそらく運転も苦手な性格だと思うんですけど、
そういう人でも通えますか?」

スタッフの方は、にこやかに答えた。

「もちろんですよ。
そういう方もいらっしゃいますが、皆さん結局最後には楽しかったです!
と言って卒業されています」

話を聞いているうちに、ふと思い出した。私の職場のスタッフの子の旦那さんが、自動車教習所の教員をしているって言ってたような。
その場ですぐLINEで確かめると、やはり近くの教習所の教員さんだった。

事情を話すと、こんな言葉が返ってきた。

「よかったら教員割引しますよ✨
上司にもシマエナガさんの状況は伝えたら、協力できることはする。
と言ってくれました」

これは縁だと思った。今取らなかったら、きっと一生取らない。
夫が退院するまでに免許を取りたい——ほぼ即決だった。

12月1日(月)、自動車教習所に入校した。
オオカミくんの奥さんに報告すると、すごく喜んでくれた。
オオカミくんには後日「びっくりした!」と言われた。笑

夫には、退院するまで内緒にしていた。

年が明けて、免許証を受け取りに試験場へ向かった日のことを、よく覚えている。

ついに、手に入れた。
しかも人生でいちばん苦手だと思い込んでいたものを。
46年間、一度も取ろうと思わなかった免許を。

足取りが軽かった。

歩きながら、そればかり考えていた。
いよいよ夫へのサプライズが近づいている。どんな顔をするかな。
喜んでくれるかな。ひとりでフフッと笑ってしまった。

オオカミくんの奥さんにも、看護師の親友にも、免許のことで力を貸してくれた職場の子にも、すぐに連絡した。
(試験場に着いた時、たまたま駅前に総理大臣が演説に来ていた。あまりのタイミングに笑ってしまって、それも自慢したくて、親友にLINEした。)

いちばん報告したい相手にだけ、報告できなかった。

それでもこの免許は、その人のために取ったものだった。

第六章 ひとりで抱えた夜

2025年12月

一般病棟に移ってから、夫は焦り始めた。

外泊したがった。
倒れる前に予定していたフレンチにそのまま行きたがった。
「俺をルールに当て嵌めようとする」と言われた日もあった。

きつかった。それが正直なところだ。

その頃、私は眠れていなかった。

お義母さんが、精神疾患を患っていた。
夫の突然の入院が、あまりにも大きなショックだったのだと思う。
心が追いつかなくなってしまったのだと。

12月に入るとお義母さんの状態は悪化し、
のちに精神病院に入院することになった。

病気ゆえのことだとわかっていた。
それでも、病気のお義母さんから強くあたられることがあった。
家事の出来なさを責める言葉だった。

自分では頑張っているつもりだったから、刺さった。
言葉の奥には、遠回しに「あなたのせいでこうなった」という意味が込められているように感じた。

今思えば、いちばんこたえたのは、言われた言葉そのものではなかった。


お義母さんが、お義母さんでなくなっていく姿を、
目の前で見たことだった。

心の病とは、こういうことなのか。
この先、お義母さんはどうなってしまうんだろう。

「家事ができていない」「あなたのせいでこうなった」

——それについては、否めない、とただ思った。

心の中には、言い返す言葉も浮かんでいた。
だったら、あなたが息子さんに片付けも料理も教えておけばよかったのでは。冷ややかにそう思う自分が、確かにいた。

ある日は、鍼の予約をキャンセルしてお義母さんの施設へ向かった。
気を張り続ける毎日の中で、体をほぐして、先生に話を聞いてもらう。
私に残された、たったひとつの息継ぎの時間だった。

なんで今なの。これ、何の時間なの。

心の中では、少しキレていた。

それでも、お義母さんをここまで追い詰めてしまったのは、私の責任でもある。

息子がこうなった時、ぶつける場所が欲しかった。
誰かのせいにしたかった。
それだけ大切な、たったひとりの息子なんだ。
(後からオオカミくんの奥さんにそう言われて、「そうか……」と、ようやく腑に落ちた。)

感情は、ぐちゃぐちゃだった。

それでも、お義母さんの前では顔に一切出さなかった。

「はい。では、次に言いたいことは?」

そう言って、ただ、聞いていた。

夜、ひとりになってから、泣いた。
自分の出来なさ、要領の悪さ——全部が悔しかった。
なぜうちにこんなことが起きているのか。
私のせいなのか。そんな気持ちが渦を巻いた。

いつもは、夫とふたりで過ごしている部屋だった。
声を出して泣くと、夫が「どうした?」と声をかけてくれた。

その声が、今はない。

静かすぎる部屋で、ひとりだけの声が響いていた。

その対応の窓口を、私ひとりで担っていた。
資格の勉強も続けながら、毎日病院にも通っていた。
誰かに弱音を吐けたのは、オオカミくんの奥さんと、
実家の母とお兄ちゃんだけだった。


オオカミくんの奥さんは言った。

「あなたはむしろ恩人であって、何も悪くない。自分を責めるのやめていい」

実家のお母さんは
「あんた頑張ってるね」
と言ってくれた。その言葉だけが、支えだった。

ある日、病室で泣いた。

夫はハッとした顔をして、それから、本当のことを話した。

「俺が動けたら、みんなもっと助かるから」

焦っていたのは、そういうことだったんだと、わかった。

その言葉を聞いた瞬間に湧いたのは、怒りでも安堵でもなかった。

いちばん近いのは、疲弊感だった。

ああ、だから動こうとしていたのね。
納得は、した。

でも現実には、今の夫がひとりで動けるはずがない。
動こうとすれば、必ず誰かの手が要る。
そしてその「誰か」は、私しかいなかった。

私にはもう、その気力が残っていなかった。

だから正直に言えば、無理に動こうとしないで、
大人しくその時を待っていてほしかった。

夫は、私を助けようとして焦っていた。

私は、その焦りにいちばん削られていた。

どちらも間違っていなかった。それが、いちばんきつかった。

その夜、夫からSUPER BEAVERの「ありがとう」のMVのリンクが届いた。
ぶっきらぼうに、ただそのリンクだけ。
でも、それが夫らしかった。
私はその曲を、この先ずっと聴こうと思った。


この免許のことを、夫はまだ知らない。
伝えられたのは、退院してからずっとあとだった。
次回、最終話「玄関で、たくさんハグをした」。

🐻🐦 kumashima_fire

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