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アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館

先日行ったポーランドのアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館のレポートです。歴史的にも写真的にも衝撃的な内容で情報量も多く長文になりそうなので、3部作ぐらいで書きたいと思います。今回はこの内の速報版です。

  1. シンプルに写真で伝える速報版

  2. 現地への行き方、歴史的な位置づけ、などの情報版

  3. 今回なぜ行こうと思ったのか、何を感じたのかという振り返り版

今回の速報版では、できるだけ価値判断をしないように、自分の感情をできるだけ入れずに、書いてみました。そのため、日記のような、箇条書きのような、読みにくい文章になっているかと思いますが、まずは写真を見てここでの出来事を想像したり、考えてみていただければと思います。


今回私は5/10(日)の10:00からのガイドツアーに参加しました。当日は朝7:50にホテル近くの待合場所でバスに乗り込み、約30人ぐらいの人たちと一緒に1時間半移動して現地に到着しました。現地は駐車場が整備されています。大型バスや自家用車がたくさん止まっており、私たちの前にもたくさんの見学者がいました。天気は雲ひとつ無い快晴でした。

セキュリティチェック(荷物検査)を通過し、ガイドさんと一緒に場内に入っていきます。強制収容所がある建物までは高い塀に囲まれた通路を歩きます。ここではスピーカーから男性の声が聞こえます。後から知りましたが、この強制収容所で亡くなった方や収容されていた方の名前を読み上げているそうです。

通路を抜けると原っぱの向こう側に建物が見え、それが強制収容所であると分かります。規則正しく並んだ建物が立っています。外壁などはほぼ当時のままですが、窓枠などは改修をしているそうです。

まず最初に目にするのが、アウシュヴィッツなどの強制収容所にある有名なゲートです。「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」

収容施設である建物は規則正しく並んでおり、それぞれに番号が付いています。いくつかの建物の中は改装され展示がされています。

最初に入った場所では、パネルや写真の展示があります。「過去を忘れる者は、それを繰り返す運命にある」

次の部屋ではガス室の建築模型などがあるのですが、その中にはゾンダーコマンド(特殊作業班)と呼ばれる人たちが撮影した写真があります。ゾンダーコマンドとは、ユダヤ人収容者で構成されており、その役割はガス室での大量虐殺や遺体処理の作業を強制されていました。そんなゾンダーコマンドはもちろん写真撮影が許されているわけではなく、隠し撮りをした写真が戦時中に密かに持ち出されたとそうです。(次の2枚)

次の部屋ではチクロンBという、収容者を殺害するためにガス室で使われた殺虫剤の空き缶が大量に展示されています。

次の建物では、犠牲者のメガネ、靴、洋服、カバンなどが大量に展示されています。特に靴は大量にあります。

また収容者は到着と同時に髪の毛をそられるそうで、そうした髪の毛も大量に展示されています。しかし髪の毛は、犠牲者の所持品とは異なり、犠牲者の体の一部であるという認識から、撮影は禁止となっています。(撮影禁止の場所はここと、11号棟の地下、の2ヶ所。11号棟の地下は特に悲惨な拷問や処刑が行われたため、犠牲者への敬意を表すべく撮影禁止となっています。)

その他の展示室では、収容者が来ていた服、識別番号を刻む入れ墨用の金具、管理用のカルテなどたくさんの資料が展示されています。

他にも犠牲者の顔写真が壁一面に展示されている通路があります。

10号棟と11号棟、そしてその間にある「死の壁」と呼ばれる場所は、過酷な拷問、人体実験、ガス室の実験、そして処刑が行われた場所として重要な場所です。

敷地に張り巡らされている有刺鉄線は高圧電流が流れていたそうです。脱走を防ぐために高圧電流が流されていたそうですが、ここでの労働や拷問に耐えかねた収容者がこの有刺鉄線で自殺を図ったそうです。

アウシュヴィッツIにおけるガイドツアーの最後では、ガス室と焼却炉を見学します。

この後、アウシュヴィッツIから3kmほど離れたアウシュヴィッツII、通称ビルケナウ収容所にバスで移動します。

アウシュヴィッツIIは絶滅収容所とも呼ばれ列車で運ばれてきた人たちはそのままガス室へ送られたそうです。広大な敷地に収容所が立てられていたそうですが、そのほとんどはナチスドイツの手によって証拠隠滅のために破壊されています。

この窓もない貨物列車に乗せられてヨーロッパ各地からユダヤ人たちが集められたそうです。

見学していると、反対側から歩いてきた40〜50人ぐらいの若い女性の集団がみんなで合唱していました。この動画についてAIに尋ねたところ、18世紀から19世紀にかけて活動したユダヤ教のラビ(宗教的指導者)の教えに基づいたヘブライ語の歌だそうです。

敷地内中央から左右に1kmほど広がっています。アウシュヴィッツIと同じく高圧電流が流れる有刺鉄線があります。

ここでは、爆破によって破壊されたガス室がそのまま保存されています。

約1時間ぐらいの見学を終え、バスでクラクフまで戻ります。ガイドの話の内容は半分ぐらい理解ができなかったのですが、最後に言われたのは「ここでの出来事を覚えていてください」ということでした。

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