「生き辛さ」と「HSP(Highly Sensitive Person)」。図書館、早朝、自然、一人の空間。
過去、精神分析をしたり、病院で検査をしたけど、異常は無し。
イジメや、家庭環境の影響で、後天的な社会不安障害が具体的な病名、でも、そこまで酷くはない。
そのせいで、人間嫌いでひとを避ける傾向はある。
人と関わっていい思い出が殆どない。
ただ、20代の頃の恋愛だけは別で、相思相愛というものを初めて経験して、カーペンターズの「トップオブザワールド」の詩の世界をリアルで体験。
でも地獄も同時に味わう。😞
HSPに話を戻して、小説やアニメを読んでも、物語の世界に没頭し、登場人物に深い共感を得て、涙を流しやすい。
でも、ネットで調べるとどうも本を読んで涙を流す人は珍しい?
そういう情報で調べてもHSPというワードが絡んでくる。
活字を脳内で映像化するという作業が必要なので小説を読むのはややハードルが高いのかもしれない。
「じゃあ、泣ける小説は?」
と聞かれたら、いくつかタイトルが思い浮かぶけど遠藤周作の名作「私が棄てた女」など。

この小説でハンセン病の施設に戻っていくミツのシーンでは文字が読めなくなるぐらい泣いた。
今、この文章を書いてる際にも小説のシーンが思い浮かび、キーボードを打つ指が震えて、涙が出そうになる程…。😞
ミツと一夜を共にしたヒロインの男性に向けた手紙がラストで描写されるけど、そのシーンは言葉にできない感情がこみあげてくる。
遠藤氏は確かこの小説に登場する「ミツ」が理想の女性みたいなことを書いてた気がするけど、私もそう。
人生のというのは、気持ちのすれ違いの連続で、人というのは生涯分かり合えない生き者である事を教えてくれる本でもある。
分かり合えない事を理解したところから理解がはじまると言ってもいいぐらい。
小説の事を書きだすときりがないので、この辺で辞めて…HSPの話に戻すと。
音楽も同様で、恐らく普通の人が聞き逃してるような、楽器の微妙なビブラート・振動を聞き逃さない。
皆、同じだと思ってたけどどうも違うらしい。
恐らく、人が感じる何倍もの感覚や感情を読み取って一人で勝手に感動したり、悲嘆に暮れたりして、”勝手に自爆”するのがHSP。
「どうしてそんなことまで?」
と。
なので、外に出る時、人と関わる時は、開き直って感情を殺している。
そういう習慣を身に付けないと生きていけない。
道端に落ちているゴミ一つ拾っても、さまざまな感情がこみあげてくる。
普通そんな人はいない。
「ゴミ」はただの「ゴミ」である。
ただ、恋愛に関しては相手の話に物凄く共感するので、相手と深い関係になりやすい。
いや、恋愛だけに限らず1対1で人と向き合う時に、人に好かれる傾向は恐らく強い。
一般人は、人の話をそんなに真剣に聞かない。
私は人と話しててよくそれを感じる。
人は物凄くいい加減に生きてる。
「何故か?」
そうしないと生きていけないから。
生きるのに向いてない
もう幼稚園ぐらいの頃からずっと感じてた事、生きづらい。
幼少期の頃から人生に悲観し、絶望していた。
絶望名人のフランツ・カフカと同じ。
実際その通りに人生はなってしまった。
私がそういう性格だからなのか ”思いは実現するから” なのかは分からない。
こうならない為に、必死で努力をしてきた。
何もしなかったら、もっとひどい事になってたと思う。
本も沢山読んでよかったと心から思う。
でも、本質的な物はやっぱり幼少期から変わってない。
結局、人というのは思ったような人生になっていく。
この世に居場所がない。
地獄のような世界で一体皆どうやって生きてるのか?不思議に思う事もよくある。
ただ、現実世界はそんなに悪い物でもない。
それも分かってる。
「ご注文はうさぎですか?」
のような世界を心のどこかで求めているのは、現実逃避したいから。
でも、アニメも繰り返し見たせいでもう見なくなった。
セリフを覚える程。
lainは100回以上見てるけど、このアニメは100回の視聴には耐えられなかった。
アニメがわからない場合、有名な児童小説「オズの魔法使い」が分かりやすい。
『オズの魔法使い』は、少女ドロシーが竜巻で不思議な国へ飛ばされ、家に戻るため仲間と旅をする童話で、著者:ライマン・フランク・ボームが書き、1900年に出版された名作児童文学。
登場人物
ドロシー:カンザスに住む優しい少女。愛犬はトト。
カカシ:知恵(頭の良さ)がほしい仲間。
ブリキの木こり:優しい心(愛情)がほしい仲間。
ライオン:勇気がほしい臆病な仲間。
オズの魔法使い:願いをかなえてくれると噂の魔法使い?。
オズの国は良い人ばかりで、カンサスに戻ったドロシーは、
「また、オズの国に行きたい」
「あそこはホントいいところだった」
という。
それは私もわかる。
あそこは理想郷で、優しさと思いやりと美しい自然に満ちている。
それとは逆に現実世界は差別や虐め、貧困、その他、苦しみと悲しみに満ちている。
ただ、それらがあるからこそ、泥の中に咲く蓮の花のように美しく輝ける。
「陰があるから光が見える。」
ただ、それにしては人生疲れたなあと、よく思う…。😞
「もう、十分生きてきた」
「もう、いいじゃないの?」
「まだ生きるの?」
「なぜ生きる?」
「どうして?」
とか、心の中で何度も思った事か。
その問いの答えを探すために本を読み漁る。
教養や学習の為に本をよむ?
いや違う!🤯
生きる理由を探すために本を読む。
本の読み方まで一般人と違う。
でも、答えは無い。😞
考えるだけ無駄で考えないようにして、コーディングでもなんでもいいけど、考える事を忘れるほど何かに夢中になれば、人生について考えずに済む。
デールカーネギーの「道を開く」などに書かれてる内容。
実際その通り。
大学の心理学の相談室でも
「考えるのを辞めることがゴール。」
という結論。😞
大学の先生でさえ答えがそれ。
結局のところ考えても仕方ないのも確か。
考えすぎる性格なので、考える前に行動する習慣をつけてる。
お陰で生きやすくはなるけど、根本的な解決には至らない。
「どうでもいい。」
と開き直ると楽になる。
実際、そこが出発点になってる。
「自分などどうでもいい。」
「社会のゴミのような物。」
