【読書感想文】「Newton五月号」色彩の科学。色は混ざる。音は?
こんにちは。読書感想文をネタバレせずに書き、おススメする気持ちを人に伝えることは可能か、検証中のヒトです。
図書館で雑誌あまり見ないのですが、バックナンバー、借りられるんですね。
この号の第2特集がおもしろかったっす。

ネタバレ回避技「タイトル深掘り」
ニュートン
はい。誰でも知ってるあの人です。この人の発言に「光には色がついてない」と言うものがあります。これ、とっても興味深い。光には波長があるだけで、これを色と認識するのは脳の働きだ、と言うのですね。
ちょっと考えてみましょう。
光に色がないなら、物の色だって無い。物から発せられた、あるいは反射したり透過したりした光の波長が脳で色に翻訳されたことになります。
これってすごく直感に反する説明です。木の葉が緑なのは「木の葉が緑色をしてる」って感じるじゃないすか。ねー。
でも、木の葉を見るのはやっぱり木の葉から来た光を見るんですよね。そして、ニュートンは光の波長と色の関係をプリズムの実験で見抜いたそうです。
ニュートンやっぱやば。
光に色を感じること
色の見え方でおもしろいな、と思っているのは混色(光の)なんです。
波長500nmの緑の光と、600nmのオレンジの光を出すものを一緒に目に見ると黄色に見えるんです。黄色の光の波長はだいたい550nmなので、まるで平均値。少なくとも、人間の脳は、混色の光線を一色として認識します。
※ほんとは平均値を認識してる訳ではなさそうです。もうちょっと複雑なんですが、ともかく元の色は見えなくなって、一色にまとめられます。
こう言う不思議な仕組みをニュートンが見抜き、それをニュートン誌で読むのは縁だなーって感動するのです。
そして脱線は続く
ところで、光と同様、音も波長を持った波ですよね。
ピアノのドとミの鍵盤を同時に叩いた時、これは和音ですよね。平均を取ってレに聞こえないですよね。
目と耳は計算戦略が全く違う訳です。
問題提起
なぜ光は混ざるのに、音は混ざらないのか。。。
工学的に言うなれば、耳はフーリエ変換と言う面倒な計算を蝸牛のなかで行っているが、目はそんな仕組みを発達させなかった。てことですが、なんで?とは思うのです。
※フーリエ変換は波を周波数ごとに分解する計算です。
これ、ずっと考えているのです。ワタシ、変?
考察
たぶんですよ。
目はその計算のコストを省いて、空間認知力に振り向けたのではないか。どの方向どれくらいの距離から来た光かを判断することのほうが、混色の元の色を知ることより大事だった。例えば個体の生存率を上げるために。
じゃ耳は。
音の発生源の空間的な位置よりも、例えば発生源の数が1なのか複数なのか、と言う情報が欲しかったのでは?
ワタシはここに深く感謝を表明します。耳がこの仕組みを持ってなかったら、音楽は無かった。少なくとも和音もコーラスも器楽合奏もなかった。
翻って目は混色から元の色を識別出来ないことのデメリットはあるのでしょうか。
分からない。
分からないですが、逆にメリットはあるんです。
ワタシ達は複数の色を混ぜて新しい色を作ることが出来ます!
もし、目もフーリエ変換していたら、混色はいつまで経っても複数の色のまま。つまり混ざらない、てことになるのです。想像しづらいすけど。
だから結論として、うまい落とし所ってやつではないすかね。
神様ないす
と言うことで、長々書きましたが、Newton誌はワタシの様な門外漢に優しく科学の世界を見せてくれます。
おススメです(^^)
