箸にも棒にも短歌その2
ゴミ箱の裏の隙間に落ちてたよ
このくらいはと捨てた痛みが
今日、
『「優しい人」になるために、自分をゴミ箱にしていた』
という「のら」さんの記事を読んだ。
いつの間にか、「自分に優しくしないこと」が「他人から優しいと評価される方法」にすり替わっていた。
私は、私自身の心という器を、見たくない感情や現実を押し込める「ゴミ箱」にしていたのかもしれない。
私が私をゴミ箱として扱っていたから、周りからもゴミ箱に見えた。一人がゴミを捨てれば、それを見た誰かも「ここはゴミ箱なんだ」と認識してしまう。
とても、的確な分析。
この記事の冒頭。
なぜ、自分はマウンティングされることが嫌いなのか。という疑問から始まる。
それは、自分をゴミ箱のように扱われるような気持ちになるからだ。
では、なぜゴミ箱のように扱われてしまうのか。
先ほどの引用部分に至る。
とても、論理的思考をされる。
感情がないわけではないが、いったん横に置いて物事の真理を見つめようとする冷静さがある。
きっと、自分の感情よりも真理への興味の方が勝るのではないかと思う。
わたしもそうです。
のらさんの記事を読んでいると、「あ、同じだ」と、感じることがよくある。
のらさんは、とても誠実で真っ直ぐな背筋をピンっと張った人のようなイメージがある。
とても、凛々しくてカッコいい。
のらさんを、想像するときいつもその背中が見える気がする。
前じゃなく、背中です。
そして、ひとりで立ってるように感じるときもある。
そんじゃそこらの人より、よっぽど芯が通って強い人だから。
誰にも頼らずひとり立っているように見えるときがある。
「大丈夫ですか?」
と、聞きたくなる。
きっと、大丈夫じゃない日もたくさんあると思う。
誰かに、「つらいよ、しんどいよ、バカばっかりだ」くらいの弱音や悪態を吐いててくれると安心する。
そういう日があっていいと思う。
ごめんなさい。
勝手なのらさんのイメージを書いてしまいました。
雑に捨てた「痛み」がゴミ箱の裏から出てきて、
うわっと思うときがある。
まだ、いたんかい。
と。
触るのもいやで、いるなぁ。と、思いながらずっとゴミ箱の裏にある。
自分を大切にできなかったときに、捨てたものとはそういうものかもしれないと思う。
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これは、私の勝手なのらさんのイメージです。
誤解を与えるようなものなら、本意ではないので削除します。
遠慮なく言ってください。
いつも優しい完璧そうなお母さんが、
怒ってるのを見ると安心します。
仏のように穏やかな人が、
夢でとんでもない悪態をついてたと
聞いたときも安心します。
ああ、人間だった。
と、思います。
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のらさんと、お話ができたので堂々とリンク貼らせていただきます✨
