泣いていたら、天国に行けない気がして
さくらが死んで、一日が過ぎた。
昨日、『さくらへのレクイエム』を書いた。
書けば少しは気持ちの整理がつくと思っていた。
実際、書いているあいだは不思議なくらい落ち着いていた。
道の駅で初めて会った日のこと。
三日間、ケージから出てこなかったこと。
四日目の朝、僕の頬を舐めたこと。
那須へ旅行したこと。
松阪牛を食べたこと。
僕がオカリナを吹くと、そばへ来たこと。
妻が家を出ていった夜、僕のそばにいてくれたこと。
そして最後に、歩けなくなった身体を僕に預けて、
数十センチだけ歩いたこと。
全部書いた。
最後には、
「うちの子になってくれて、ありがとう」
と書いた。
それで見送れたつもりだった。
でも、今日になって読み返すと、やっぱり涙が出る。
どうしようもなく出る。
昨夜、僕はさくらの写真を左頬に置いて眠った。
眠った、といっても、ほとんど眠れなかった。
冬になると、さくらは僕の布団へ入ってきた。
そして決まって、尻を僕の左頬につけて眠った。
だから写真をそこに置いた。
もちろん、写真には体温がない。
小さないびきも聞こえない。
肉球の匂いもしない。
それでも、
さくらがそこにいるような気がした。
そのとき僕は思った。
魂は永遠なんだ。
さくらは神様のところへ行くんだ。
そして僕もいつか死ぬ。
そのとき、また会えるんだ。
そう思ったら、ほんの少しだけ安心した。

コメントやメールをいただいた。
僕とさくらのことを知らない人たちが、文章を読んで泣いてくれた。
「たくさん愛された犬だった」
「幸せな一生だった」
そう言ってくれた。
僕はまた泣いた。
でも、昨日とは少し違う涙だったような気がする。
僕自身には、さくらにしてやれなかったことばかりが思い浮かぶ。
もっと会いに行けばよかった。
もっと抱いてやればよかった。
もっと写真を撮ればよかった。
けれど、他の人の目を通してさくらの一生を見せてもらうと、
そうか。
さくらは幸せだったのかもしれない。
そう思えるようになった。
だから写真にキスをした。
それでも僕には、一つ怖いことがある。
僕がいつまでも泣いていたら、さくらが天国へ行けないのではないか。
だから、なるべく泣かないようにしている。
写真にキスをして、
「ありがとう」
と言う。
「大丈夫だから、行っておいで」
と言う。
でも、無理だった。
涙は、僕の言うことを聞いてくれない。
突然出てくる。
『さくらへのレクイエム』を読み返している途中で。
写真を見たときに。
左頬に何も触れていないことに気づいたときに。
僕は泣く。
そして泣いたあと、
また写真にキスをする。
今日、妹から電話があった。
昨日、僕はお花代として二万円を妹に渡していた。
「これでいいバスケットと花を買って、火葬してくれ」
そう頼んだ。
そして、僕とさくらが一緒に写っている写真を入れてもらった。
妹によれば、さくらはバスケットに寝かされ、綺麗な布に包まれて、写真と花を入れて火葬されたという。
そして、小さくなって家へ帰ってきた。
僕は妹に言った。
「ありがとう。さくらは幸せだった」
その言葉を口にしたとき、
たぶん僕は、さくらに言っていたのだと思う。
さくら。
幸せだったか。
僕は幸せだったよ。

犬の死後について、いろいろなことを言う人がいる。
輪廻転生するという人もいる。
魂はもっと大きな魂へ帰っていくという人もいる。
飼い主のそばにいるという人もいる。
僕には、何が本当なのかわからない。
昨日も書いた。
わからないことを、わかったようには言いたくない。
でも昨夜、
さくらの写真を左頬に置いたとき、
僕は信じたいと思った。
いや。
ほんの少しだけ、
信じられた。
魂は永遠なのだと。
さくらは神様のところへ行くのだと。
そしていつの日か、
僕もそこへ行くのだと。
そのとき、
また会えるのだと。

だから、さくら。
僕が泣いていても、心配しなくていい。
これは、
「行かないで」
という涙じゃない。
十六年近く一緒にいたんだ。
そんなに簡単に涙が止まるわけがない。
だからもう少しだけ、
泣かせてくれ。
泣きながらでも、
僕はちゃんと言うから。
ありがとう。
うちの子になってくれて、ありがとう。
そして、
行っておいで。
神様のところへ。
いつか僕も行く。
そのときは、
僕が名前を呼ぶから。
今度はちゃんと振り向いてくれ。
さくら。
それまで、
またね。
