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【いまここ日記vol.196〜ポーランド編①〜】


エジプト最終日の朝。

最後にピラミッドをしっかり目に焼き付け、空港へと向かった。


行き先は、ポーランド第二の都市「クラクフ(Krakow)」。

約500年間にわたり首都として栄えた歴史あるポーランドの古都。

そのクラクフの街から電車で約1時間半のところにあるのが、今回の旅の目的地。


「アウシュビッツ=ビルケナウ国立博物館(以下、アウシュビッツ博物館)」


第二次世界大戦中にナチス・ドイツによって行われた、ユダヤ人等の組織的大量殺戮(ホロコースト)が行われた場所。


ヨーロッパ史、世界史を学ぶ上で絶対に外せない場所。


今回は、アウシュビッツ博物館を訪れて、当時の記録や記憶を見聞きしながら、当時そこで何があったのか知りたい。

また偶然にも、広島、長崎に原爆が投下された8月6日、9日と近いこともあり、今一度「平和」と向き合う機会にしたい。


今回の訪問にあたり、あるガイドの方のツアーに参加できることになった。


「中谷剛(なかたに たけし)さん」


アウシュビッツ博物館で唯一の公式日本人ガイド、また外国人初の公認ガイドであられる。

どうしても中谷さんのツアーに参加したく、Season1の旅でポーランドを外したのも、そのため。

中谷さんのツアー申し込みは、完全個別制で、ご本人へ直接メールをしなければならない。

約3ヶ月前にメールでツアー参加の申し込みをした。

参加人数やご本人のご都合等により催行の有無が直前まで分からないそうだ。

そのくらい中谷さんは、幻のガイドなのだ。


そして10日前。

幸運にも、中谷さんからツアー催行の知らせが届いたのだった。


当日、午前10時からのツアーに合わせて、現地へ向かった。


そして、待ち合わせ時間の午前10時。

正面エントランス前で中谷さんとお会いした。


「本日は、よろしくお願いします。」


僕たちの他にも、日本人の方が10名〜15名ほどいらっしゃった。

中には、小中学生のお子さん連れのご家族も。


中谷さんと共に、博物館内へと入っていく。


保安検査場を通過した後、白を基調とした長く、静かな通路を進んだ先に「第一収容所(アウシュヴィッツ)」が現れた。


正門には、「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になれる)」のスローガン。

「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になれる)」のスローガン。


収容所内は、並木道沿いにレンガ造りの複数の建物が立ち並んでいる。

そこは、どこか息が詰まるような重たい空気が流れていた。

敷地内


一つ目の棟へ入って、すぐのところに看板が現れた。

そこに書かれていた言葉。

「Those who do not remember the past are condemned to repeat it.」

「過去を記憶しない者は、同じ過ちを繰り返す運命にある。」


ここは、人類が犯した凄惨な過ちを二度と繰り返すことのないように、現代に伝える場所としての役割を担っているのだ。


二つ目の棟には、被収容者の様々な遺品が展示されていた。

その中には、被収容者の大量の靴や鞄、眼鏡などがあった。

靴を見ると、幼い子供達も数多く収容されていたことが分かった。

生々しい遺品が当時の残酷さを悲痛に訴えてくる。


ある部屋の壁に、被収容者の顔写真とその下に名前、収容者番号、生年月日と死亡日、国籍、職業などの個人情報が掲示されていた。

壁一面に飾られた顔写真。

皆こちらを睨んで何かを訴えているようだった。

また、顔写真のない被収容者の壁もあった。

顔写真はないのに、その壁もまた何かを訴えているようだった。


特に恐ろしさを感じたのが、被収容者の「非人間化」。

当時、被収容者から「その人らしさ(個性)」を奪う「非人間化」を目的として行われたことが主に2つあった。


一つは、男女問わず「丸刈り」にされていたこと。

被収容者たちは、収容所に到着すると皆丸刈りにされた。

また、その刈り取られた大量の髪の毛で編み物が作られていたという。


もう一つは、一人ひとりに「収容者番号」が与えられたこと。

なんとその番号は、被収容者本人の肌に直接彫り込まれ、被収容者たちはその番号で管理されていた。

なんの罪もない人々がまさに人権なき囚人のように扱われていたのだ。


被収容者の人間としてのあらゆる尊厳を奪い、人間であることを忘れさせる「非人間化」の恐ろしさに震撼した。


ここまでが「第一収容所(アウシュヴィッツ)」。


次は、「第二収容所(ビルケナウ)」へ向かう。


2026年8月11日(火)海外生活369日目おわり。


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