日記をつけ始めた理由は「調子がいい日に、悪い日を忘れるから」だった
うつの急性期に、日記をつけていた時期があります。
一か月ちょっとで途切れましたが、その記録は今も残っています。三年経って読み返してみて、いちばん驚いたのは内容ではありませんでした。
いちばん最初の日に、書き始めた理由がはっきり書いてあったことです。
「普段なら、無意味であるように思われるのでこのような文章を書く気にはならない。しかしこの頃、調子がいい時期と悪い時期が存在することを自覚していたので、現状を分析する必要があると思い、少し踏ん張っている。これからはできれば毎日このように日記をつけようと思う。なぜならば、調子がいい日は調子が悪い日のことをすっかり忘れてしまっているからである」
当時の自分は、これを状況分析のためだと思って書いていました。
今読むと、まったく違うものを書いていたのだと分かります。
回復すると、悪かったときのことを本当に思い出せない
人は嫌な記憶を薄めるようにできているのだと思います。それ自体は良いことです。
ただ、うつの記録に関しては、これがかなり不便に働きます。
調子が戻ると、悪かったときの思考が再現できなくなります。事実は覚えています。眠れなかった、食べられなかった、外に出られなかった。でも、そのときにどういう理屈でものを考えていたかは、まったく思い出せません。
いま自分の日記を読むと、当時の自分がまともな仕事には就けない、誰からも評価されない、一人で生きていくことはできない、といったことを、可能性ではなく確定事項として書いています。
これを再現するのは、今の自分には無理です。読んで初めて、そんなふうに考えていたのかと知る感じです。
つまり記録がなければ、自分はあのときはつらかったな、という一行に圧縮していたはずです。それでは何の役にも立ちません。
障害対応でやっていることと、同じだった
仕事でシステムの障害対応をすると、まずやるのはログを追うことです。
何百万行の中から最初の異常を探して、時刻を合わせて、系列を並べて、因果を組み立てる。この作業をやっていると、痛感することがあります。
記録がない時間帯は、存在しなかったのと同じです。
先日も、デプロイしたはずの処理がポータル上で一件も認識されていない、という状態に遭遇しました。ああいうときも、結局は出力を確認するところからしか始まりません。感覚で当てにいくと、たいてい間違えます。
そして障害対応でいちばんやってはいけないのは、復旧したあとに何も残さないことです。次に同じことが起きたとき、また同じ時間をかけて同じ調査をすることになります。
自分の体調も、まったく同じ構造をしていました。復旧したのに記録を残していないと、次に落ちたときにゼロから調査が始まります。
記録があると、答え合わせができる
三年経って、当時の予測を一つずつ照合できました。
働けないと書いていましたが、今はエンジニアとして働いています。クラウドの構成を考えたり、生成AIを扱ったり、社内向けの勉強会の資料を作ったりしています。誰にも評価されないと書いていましたが、社内のコンテストで金賞をもらいました。
一方で、疲れやすさは残る、という予測は当たっていました。
面白いのは、当たった予測もあったことです。全部外れていたならうつのときの考えは全部でたらめで終わりますが、実際は前提の一部は正しくて、そこから導いた結論だけが外れていました。
元には戻らない。これは当たっていました。
元に戻らないから人生は終わりだ。これは外れていました。
この区別は、記録がないとできません。記憶だけでやろうとすると、今の気分に合わせて過去を都合よく書き換えてしまいます。
書いておくと、次に落ちたときに効く
もうひとつ効いた場面があります。
回復してからも、調子が落ちる日は普通にあります。そういう日は、また同じ考え方が戻ってきます。何もできない、この先も無理だ、といった具合です。
そのとき、記録があると一手増えます。
以前も同じことを考えていて、そのときの予測は外れた。この事実だけを思い出せます。今の考えが間違っていると証明できるわけではありません。ただ、確定させずに保留にすることはできます。
落ち込んでいるときに前向きになるのは無理です。でも、結論を出すのを先延ばしにすることは、わりとできます。記録はそのために使えました。
続けるためにやめたこと
とはいえ、当時の日記は毎日は続いていません。記載なしの日がいくつもあります。書く気力すら湧かない日があったからです。
三年書いてみて、続けるために捨ててよかったものがいくつかあります。
毎日書くこと。書けない日は、その日が悪かったという情報になります。空白も記録です。
出来事を書くこと。何をしたかより、何を考えたかのほうが後で役に立ちました。出来事は写真や履歴からも思い出せますが、思考は残しておかないと消えます。
整った文章にすること。当時の日記には、一行しか書いていない日があります。それでも十分に情報でした。
前向きに書くこと。前向きに書き直した記録は、後から読んでも使えません。答え合わせの材料にならないからです。
逆に、あとから効いたのは、天気と起床時刻を書いていたことでした。当時は何となく書いていたのですが、気分の記述と並べると、天気と睡眠が想像以上に効いていたことが分かります。
いまは、記録を自動化しようとしている
最近は、この記録をもう少し楽に続けられないかと考えて、自分用のアプリを作りました。
家計簿と日記を同じ時間軸に並べて、そのときの気分も一緒に残せるものです。お金の使い方と気分は連動しやすいので、両方を並べると、自分でも気づいていなかった時期の傾向が見えることがあります。溜まった記録は、AIに読ませて一度整理してもらうこともできるようにしました。
自分で書いた文章なのに、少し距離を置いて見直すだけで、こういう考え方をしていたのか、と気づくことがあります。
ただ、道具はあくまで補助です。三年前の自分は、ノートアプリに手打ちで、しかも途中で止めながら書いていました。それでも十分に役に立ちました。
記録は、未来の自分への引き継ぎ資料だった
仕事で誰かに業務を引き継ぐとき、いちばん困るのは、担当者の頭の中にしかない情報です。本人がいるうちは回りますが、いなくなると誰も再現できません。だから外に出しておく必要があります。
うつの記録も、それと同じでした。
調子が悪いときの自分と、調子が良いときの自分は、かなり別の担当者です。お互いのことを理解していないし、記憶も引き継がれません。だから、外部に書き出しておかないと引き継ぎに失敗します。
当時の自分は分析のつもりで書いていましたが、実際にやっていたのは引き継ぎでした。そして三年後の自分が、その資料を実際に使いました。
何を書くか迷うなら
もし今、記録をつけようか迷っている人がいたら、最初に書くべきなのはたぶん出来事ではありません。
今日、自分が確定事項のように考えたこと。
それを一行だけ書いておくといいと思います。もう無理だ、でも、一生このままだ、でも構いません。それが後で、いちばん価値のある一行になります。
自分の場合、あの一か月の記録がなければ、今こうして書いている文章はすべて存在しませんでした。当時いちばん無意味に思えた作業が、三年後にいちばん役に立ったというのは、ちょっと出来すぎた話だと自分でも思います。
