今、何者でもない自分が最高に楽しいモード、にいる。
右脳優位になると、多分承認欲求みたいなものがかなり低くなるのだと思う。
というのも、私はもともと「認められたい」が強い人間だった。
影響力があって有名だったり、
ものすごく実績や才能がある人、
何かを成し遂げた人は
自分より価値がある上の人間、のように無意識で思っていた。
(生きているだけで価値がある、って頭では理解していたのに)
今思えば全部、自分の自信のなさや、劣等感から来ていて、
他人に褒められても受け入れられず、
ものすごく高い基準を設けては自分のことを1番認めていないのが自分だったのだと思う。
何やるのも、それって社会的にはどうなの?価値あるの?意味あるの?と気になったし。
あとで役に立つもの、目的達成に必要なものには時間もお金も惜しまないけど、「役に立たないこと・無意味なこと(と左脳が勝手に判断すること)」にはチャレンジできない、興味が続かなかった。
そんな自分が、最近、
何者でもない自分
が本当にとてつもなく楽しい。
楽しくて仕方がない。
(そもそも何者かの人ってどんな人なんだろう。
最近どんな人も何者でもない気がしてきたよ。
みんな約100年の人生を生きている人間で、
どんな有名人でも数百年たてばきっと誰も覚えていない。)
ずっと何者かになりたかった私は今、
何者でもない自分のまま、
誰にも報告もせず、
誰に発表もせず、
ジャッジもせず、
自分の心の声に耳を傾けて素直に行動できる、
今が最高に楽しい。
幼い子供時代以降、こういったことが全然できなかった(許されないと思い込んでいた)ことの反動なのだと思う。
アメリカにいる、というのも大きいのかもしれない。
社会の目、とか、こうであるべき世間の常識、みたいなのが人によってあまりにも違いすぎるので、他人のあれこれに関心もなければ口出しもしない感じ。あ、あなたはそうなのねーおっけー!の空気が、私は今私の人生が好き、という感覚にも繋がっている気がする。
(自分の人生の意義、とか、じゃなくて、自分の人生が好き!以上!でいいと思ってる。)
承認欲求は悪とは言わないけど、幻想のようなものだ。
なんだか、軽い、空っぽな概念。
なのに過去の私も含めた多くの人が、自分の欠けた何かを埋めるために外側を満たしていく物語に夢中になっていくのはなんだか寂しい。もったいない。
最近、近所の自然保護地区で熱心にバードウォッチングしていたり、野生動物の写真撮るのに何時間も夢中になっている人達とかと身近に接することも多いので、彼らの人生の満ち足りてる感や、今ここに存在しているという圧倒的なプレゼンスに感動すら覚えることが多い。
ねぇ、本当にさ、
誰も何も言わないし、いくらかかってもいいし、
願いが全部叶うとして、今あなたは何がしたい?
これの答えを完璧にとは言わなくても、人生で実践できている日々、というのが幸せ真充実した日々というんじゃないのかな、と思う。
ちなみに最近の私は、
自然の中を歩き、運動をして、
たまに美術館や本屋にいき、
毎日文を書いて絵を描いている。
家族、子供達と話をして、
友達とケラケラ笑う。
百億円あっても、きっと同じことをしている。
絵や文だってどこにも発表するつもりはない。
(noteで書いているのは今のところ、あくまで自分の意識の実験記録)
画家になりたいわけではない。
何かの資格や仕事に繋がることをやっているのでもない。
左脳(思考)の私から言わせると「ダサい趣味おばさん」なのかもしれない。
でも右脳(感覚)の私はとっても幸せ、
かつ非常に満ちた時間を過ごしている。
この違い。
本当に意識の変容はすごい、
目の前にあるものの受け取り方がごっそり変わるんだから。
(これも、ある時黒から白に一気に変わる、みたいな感じじゃなくて、私の場合はグラデーションで変化があったのだけど)
そして毎日絵を描きながら、この絵を描く時ののうはかなり右脳優位で瞑想のような感覚だと感じている。
アートでの瞑想、意識変容、マインドフルネスに取り組んでいるような感じ。この夏はひたすら絵を描いて過ごしてみて、どんな変化が起こるのか?
楽しみにしていきたいと思う。
わたしはどこまでも、世界の見え方が変わったり、自分の信じる物語が広がっていくことか好きみたい。
ヨガ講師をしていた時も、人の意識や感覚がヨガ後に良い方向に変化しているのを目の当たりにするととても喜びだったし、瞑想を伝えていた時もそうだった。ヒーリングも癒しも、過去の出来事の受け取り方がごっそり変わっていくのが楽しくて嬉しくて、伝えていた。
読書も絵もアートも、自分のなかの視点が変化したり、誰かの視点や物語を知ることで自分の世界の見え方が変わることが楽しい。それをシェアしたり、他人の話を視点を聞いて影響を与え合うのも好き。
癒す、なおす、修正するんじゃなくて、
自分のエネルギーを最大に表現して、
他者のエネルギーが最大に表現されているのを感じて、心震わせて生きていたいんだ。
