振り付け師TAKAHIROを読む――『Start over!』で変わった「孤立」の意味
TAKAHIROさんのインタビューを読んだ。
そこで特に気になったのは、TAKAHIROさんが表現者について、「こう見られたい自分」から少し外れ、その人自身が見える瞬間を大事にしていることだった。
派手なものを足していけば、一瞬の興奮は作れる。
でも、何を残し、何を削るか。
そして、設計したものの中から、その人自身が出てくる瞬間に価値がある。
その話を読んだとき、櫻坂46の振り付けをもう一度見てみたくなった。
TAKAHIROさんの振り付けというと、大人数を使ったフォーメーションや、意味のありそうな細かな動作がまず目に入る。
でも、本当に見ているものはそこだけなのだろうか。
今回は『Start over!』のDance Practice
と、3rd YEAR ANNIVERSARY LIVEでの『Start over!』
を見比べてみた。
1.孤立している人に、目が向く
最初にDance Practiceを見た。
そこでまず感じたのは、藤吉夏鈴さんが一人で孤立しているときには、ほとんど強制的に目が行くのに、集団の中へ入った瞬間、意識して追わないと目立たなくなることだった。
センターなのに、である。
もちろん藤吉さんだけではない。
小林由依さんや土生瑞穂さんも、他のメンバーと違う動きをしたり、一人だけ集団から外れたりすると急に目立つ。
逆に、同じ振りを全員で踊れば、その存在は集団の一部になる。
ここで私は、「センターだから目立つ」のではなく、「集団との差異があるから目立つ」のではないかと思った。
孤立する人は目立つ。
では、集団の中に入って目立たなくなることは問題なのだろうか。
最初は、そんな問いを感じた。
2.藤吉夏鈴から、視線が集団へ渡っていく
Dance Practice全体には、私には一つの流れがあるように見えた。
まず藤吉夏鈴さんに目が行く。
そこから、藤吉さん以外の孤立したメンバーにも目が向く。
さらに、これまでセンターを経験してきた人たちが浮かび上がる。
そして最後には、藤吉さん自身も集団の中へ溶けていく。
最初に最も目立っていた人が、最後には目立たなくなる。
「藤吉夏鈴を見せる振り付け」というより、最初に藤吉さんへ集めた視線を少しずつ他のメンバーへ渡し、最後には集団そのものへ戻していく振り付けにも見えた。
だから私は、TAKAHIROさんがセンターを目立たせる人というより、「誰が、どの瞬間に集団から外れて見えるか」を設計しているのではないかと思った。
3.ライブでは、藤吉夏鈴が消えない
そして3rd YEAR ANNIVERSARY LIVEを見た。
ここで、Dance Practiceを見たときの印象はかなり変わった。
まず、藤吉夏鈴さんが集団の中に入っても消えない。
Dance Practiceでは、周囲と同じ動きをすると意識して追わなければ埋もれるように感じた。
でもライブでは違った。
他のメンバーと同じ振りをしていても、藤吉さんは目立っている。
もちろん、ライブ映像なのでカメラもある。
照明もある。
衣装もあり、表情も見える。
Dance Practiceとは条件がまったく違う。
ただ、カメラワークを見ても、私がDance Practiceで感じた「孤立した人へ視線が移っていく」という構造とかなり近かった。
小林由依さんと藤吉さんの二人が集団から外れる場面では、二人に目が行く。
藤吉さんだけではない。
ここでも、誰か一人を常にセンターとして見せるというより、「今、集団から外れているのは誰か」が視線を決めているように感じた。
さらに、この公演は土生瑞穂さんが卒業した翌日の公演だった。
Dance Practiceでは、集団の円の中に藤吉夏鈴さんと土生瑞穂さんが取り残されるように見える場面がある。

しかし3rdアニラでは、そこに土生さんはいない。
結果として、藤吉さん一人だけが円の中に残る。
もともと二人だった孤立が、一人になる。
私はその場面で、藤吉さんがさらに目立って見えた。

もちろん、TAKAHIROさんが「土生瑞穂の不在を表現しよう」と考えてその配置を残したのかどうかは分からない。
ただ、結果として、一人減った空間を別の誰かで埋めず、そのまま残すことで、藤吉夏鈴という一人の人間が以前より強く見える構造にはなっていた。
4.「孤立」が、状態から選択へ変わる
そして、一番大きかったのは最後だった。
Dance Practiceでは、最終的に藤吉さんは集団の中へ戻っていく。
あれだけ孤立して目立っていた人が、最後には集団へ溶ける。

私はそこに、「孤立していると目立つけれど、集団の中に戻れば目立たなくなる。それでいいのか」という問いを感じていた。
でも3rdアニラでは、振りが変わっていた。
藤吉さんは最後に集団へ溶けない。
自分の意思で、一人で歩き出す。

私にはそう見えた。
その瞬間、Dance Practiceで感じた「孤立」の意味が少し変わった。
Dance Practiceでは、孤立は「状態」に見えた。
一人だけ違う。
周囲と離れている。
だから目立つ。
でもライブでは、それが「選択」に近づいて見えた。
孤立させられている人ではなく、孤立することを自分で選ぶ人。
そして、その藤吉夏鈴さんは、最終的には格好良く見えた。
最初は、孤立することでしか目立てない人に見えていた。
でもライブでは、集団の中でもすでに消えない。
そのうえで、最後に一人になる。
つまり、
孤立しているから目立つ
から、
目立っている人が、最後に孤立を選ぶ
へと、順番が逆になっている。
5.TAKAHIROは「人と集団の関係」を振り付けているのかもしれない
ここまで見て、TAKAHIROさんの振り付けについて少し考え方が変わった。
振り付けとは、歌詞の意味を身体で説明することだと思っていた部分が自分にもあった。
この動きはこの歌詞を表している。
このフォーメーションはこういう感情を示している。
もちろん、そういう読み方が間違いだとは思わない。
でも、TAKAHIROさんのインタビューを読んで『Start over!』を見直すと、それだけでは足りないように感じた。
TAKAHIROさんが振り付けているのは、「どう動くか」だけではなく、「人が集団の中でどう見えるか」なのではないか。
誰かを一人にする。
誰かを集団へ戻す。
同じ動きをさせる。
一人だけ違う動きをさせる。
二人だけを残す。
一人だけを残す。
そして、最後に集団から歩き出させる。
その配置によって、人間の見え方が変わる。
Dance Practiceの藤吉夏鈴さんは、集団との差によって目立っていた。
3rdアニラの藤吉夏鈴さんは、集団の中にいてもすでに消えなかった。
だから最後に一人になることも、以前とは違って見えた。
同じ『Start over!』なのに、踊る人と集団が変われば、同じ振り付けの意味まで変わって見える。
土生瑞穂さんがいなくなったこと。
藤吉夏鈴さん自身の見え方が変わったこと。
ライブという場所に移ったこと。
そして最後の振りが変わったこと。
それらによって、Dance Practiceでは「孤立している人」に見えた藤吉さんが、ライブでは「孤立することを選ぶ人」に見えた。
だから今は、TAKAHIROさんの仕事を「センターを目立たせる振り付け」とはあまり思わない。
むしろ、
人が集団の中で、どの瞬間に一人の人間として見えてしまうのか。
その関係を振り付けている人なのではないか。
そう考えている。
ただ、これもTAKAHIROさん本人の意図を説明したものではない。
でも、TAKAHIROさん自身が、完成された偶像の中からその人自身が見えてしまう瞬間を大切にしているという話を読んだ後では、この見方もまったく無関係ではない気がしている。
振り付けは人を目立たせる。
同時に、人を集団の中へ消すこともできる。
そして一度消した人を、また一人にすることもできる。
『Start over!』を見比べて残ったのは、振りの意味そのものより、その人が一人に見える瞬間は誰が作っているのだろう、という疑問だった。
TAKAHIROさんが作っているのは、もしかすると動きではなく、その疑問が生まれる場所なのかもしれない。
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一つの答えにまとめるというより、同じものでも見方によって意味が変わる部分を残しながら書いています。
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