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家族の言葉は 私に何を問いかけているのだろう

引きこもりの娘から言われた言葉

ある日の夕方、妻に言っていました
「お父さんといるといつも緊張する」
「いつも見られてる感じがする」

次の日の朝は、私に聞こえるように
「みんな消えてしまえ!」

こんな否定・非難の言葉をかけられると、
「どうして緊張するんだろう?私は何もしていない」
「エッ、そんなに見ていないよ!」
「私はいない方がいいのかな?」
という言葉が頭をかけめぐります。

引きこもりの娘の言葉を、ついつい考えてしまい、気分はブルー。しばらく、感情が揺れ動いてしまいます。

ここで何か言ったら、娘は目をむき開き、大パニックになるので、反応できません。

否定的なことを言われたときに大事なのは、

まずは、“ありのままに”聴くだけ

その時に「どうしてそんなこと言うんだろう」というスイッチを入れたら、感情が動き、「いつも言ってるよな」とか余計なことをグルグル考えてしまいます。

娘の否定や攻撃的な言動は、考えてみたら、「心の中に余裕がない」ときです。また、自分の調子が悪いことを打ち消す(自己防衛)ための発言のような気がします。

だからこそ、こんなときには、不用意に反応するのではなく、“ありのまま”に聴くことが大事な気がします。

次に大事なのは、否定・非難の言葉が伝えようとするシグナルを感じること。

私に娘へが送ったシグナルから考えてみると

①私の辛さを分かってよ! 1日中辛いんだよ!

②お父さんは完璧主義で、生活に余裕と自由さがないよ、もっと自由にできないの?

③お父さんは、自分のペースで動きがちだよ、もっと周りを見てよ!

④お父さんは、いつも、しかめっ面で、何を考えてるかわからないよ?

⑤何故、言葉が優しくないの? それに、言い方がきついよ!

多分、娘は、否定・非難の言葉で、“気づいて欲しい”シグナルを出していたと思います。

■“ありのまま”に聴くことには効果が

①否定や批判、アドバイスをされる心配がないため、本音や感情を安心して表現できる

②自分自身でも整理がつき、自分自身の状態(思考や感情)を客観的に受け入れやすくなる

実は、娘は、後で「自分はなんであんなにキレるんだろう」と言ってました。

■なぜ、否定的な言葉に深く反応してしまうのか?

人が他者の否定的な言葉に深く反応してしまうのは、脳が危険やマイナス情報を優先して処理する特性を持っているため。

否定的な言葉は、自分の存在や価値、これまでの行動を「攻撃された」と脳が誤認しやすいため、心理的な防御反応(反論や落ち込み)が引き起こされます。

だから、このような脳の動きをいったんストップして“ありのまま”に聴く。

これが、結果的に、相手にも安心感を与え、また、自分の感情コントロールにもつながる気がします。

私は、過剰な防御反応型の脳なので、昔は、仕事でも、チョット否定されると、すぐイライラし、よく落ち込んでいました。

でも、後で考えたら、自分が間違っていることに何度も気づきました。実は、感情コントロールができない原因の多くは、“脳の防御反応”があるような気がします。

■“ありのまま”に聴くには

①評価・判断をしない
良い・悪い、正しい・間違いというフィルターを通さず聴く。

②自分の思考を脇に置く
アドバイスをしようとしたり、「次に何を言おうか」と考えたりせず、相手に意識を全集中する。

■“ありのまま”(あるがまま)の大事さ

“ありのまま(あるがまま)”は、実は、とても難しいですね。

「ありのまま」を受け入れることが難しいのは、これも「脳の特性」が大きく関わっています。

脳は現実を「ありのまま」に記録するカメラではなく、過去の記憶から「次に何が起きるか」を予測して解釈。

未知の状況や予期せぬ出来事に対しては、脳が「危険」とみなし、コントロールしようとして不安や焦りが生じます。

でも、この脳の働きにストップかけて、“ありのまま”(あるがまま)を受け入れることが、冷静さを保ち、やるべきことが分かり、状況に応じた行動につながります。

インドの哲学者のクリシュナムルティの言葉です。

精神は常にあるがままを他の何がしかに変容させたがっており、すなわちそれが非難、正当化、比較という一連のプロセスであるのです。

クルシュナムルティ「四季の瞑想」から


“ありのまま(あるがまま)”に聴き、見ること

の大事さを引きこもりの娘から教えてもらいました。

これは、高齢になり、夫婦お互いの認知症含めた介護、病気、配偶者の死亡など、様々な難題を、できるだけ冷静に、穏やかに対応するために、私が身に付けるべき考えだと感じています。

家族の言葉からのシグナルとは

70過ぎて、ようやく、自分の未熟さに気づきました。

それを最初に教えてくれたのが、母の認知症介護の辛い経験でした。

でも、自分の未熟さを、もっと教えてくれたのは、引きこもりの長女と、精神疾患の次女でした。

娘達の否定・非難のシグナルは、心にずっと残っています。そう言えば、妻からの言葉で、いまだに、心にくすぶっているシグナルがあります。

家族からもらった、心にあるシグナルに答えなければいけませんね。

真に答えたときが、私が未熟者を脱し、穏やかにゆっくり生きれるかもしれません。

法句経 五〇 から

他人の邪曲(よこしま)を観るなかれ
他人のこれを作し かれの何を作さざるを観るなかれ
ただおのれの何を作し 何を作さざりしを想うべし

「法句経」友松圓諦訳 講談社から

家族の言葉のシグナルは、この法句経の言葉どおり、

「自分が何をしたか、何をしなければいけないか、考えてよ」

と常に伝えているかもしれません。「ありのまま(あるがまま)」に心で聴くこと大事ですね。

精神科医ヴィクトール・フランクルの言葉に、

「人間が人生に意味を問うのではなく、人生こそが人間に意味を問いかけている」

があります。

もしかしたら、娘達の言葉のシグナルは、私に

「もう少し、ゆっくり、穏やかに生きて、
ガチガチの頭と心を柔らかくして、
私の言葉を受け止めてよ!」

と問うているかもしれませんね。

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