【第二章】戦場のサクラは、誰が為に散りゆくのか。
第三話
目覚まし時計が鳴る。それと同時に、スマホの着信音が鳴り響いていた。
勝海舟さんからの電話だ。
電話に出ると、かつてないほどの怒号が飛んできた。
「亮吾!! お前はいったいどこで何をしている!? 今、大江戸の第二地区で何が起こっているのか分かっているのか!!?」
ーー大江戸の第二地区で、何かが起こった。
その怒りと憎しみに溢れた声を聞いた時、何が起こったのか、何となく分かってしまった。
手が、震える。
僕は震える唇で、返事をした。
「今、大江戸の第四地区にいます。今すぐ向かいます」
僕は、すぐさまスクリーンをタッチして電話を切ると、勢いよく家の扉を蹴飛ばす。そして、いつもの軍服を着ずに、ワイシャツのままで、第四地区に向かった。もちろん、靴を履く間もない。
僕は街道を、走る。足を踏み出す度に、足の裏に石がめり込んで、痛い。
そんなことは、どうでも良い。
何故、気付かなかった。
第四地区と第二地区は距離があるなんて、ただの言い訳だ。
また、人が死ぬ。
たくさんの人が、戦争という残酷な運命によって、命を落としていく。
僕は、もし手遅れでも、たった一人でも、救わなければ。
その信念だけが、僕の足を動かす唯一のエンジンだった。
(……………)
「なんだよ、これ……」
時はすでに、遅かった。今回も、救えなかった。
大江戸の城下町。その第二地区は、ネオ東京の魔導ドローン空襲で灰燼と化していた。
あちこちに魔導ドローンの残骸と人の死体が、転がっている。
そして、対魔導ドローン用に民間人に持たされていた電子銃の残骸も、街には転がっていた。
我が子を抱き抱えながら、焼かれて死んだ母親と、母親の腕の中で一生を終えた赤ん坊。
食卓と民家の残骸と共に転がっている、三人家族の死体。
「……あ」
僕は思わず、声を漏らす。
その死体は、刀を握りながら、倒れていた。
なんだかんだ敵対しながらも、共に大江戸を守ってきた歴史上の英霊。
そして、僕の最初にできた上司。
……こんなところにいたんですね。
土方さん。
第四話
「これが、戦争……なんですよね」
聞き覚えのある少女声がした。振り向くと、すぐそばには桜花がいた。
彼女も、この滅びた街に派遣されてきていたのだ。
そんな彼女の瞳は、悲しさというにはあまりにも深い闇に包まれていた。
僕は彼女の肩を、撫でてやることすらできない。戦場で全てを救うという甘い幻想を抱いていながら、制御室で人を殺している僕に、そんな資格なんて最初からないことは分かっている。
それに、この残骸の中には。
もうどこにも、生き残りなんて、いない。
そんなことは、この灰と残火を見たら、分かっている。
でも、そんな利己的な納得で。
人の命が捨てられるかよ!
「うわああああ!!」
僕は叫びながら、使い物にならない腕で、黒焦げになった瓦礫をかき分ける。
その度に、腕に激しい痛みが走る。
腕が千切るほどの痛みに、流石の僕も怯む。
「もう……やめて。亮吾君」
腕が千切れても、構わない。
それで一人でも多くの命が救えるのなら。
僕はもう一度、瓦礫をかき分けようとする。
だが、その時。
僕の身体を、柔らかい何かが包む。
僕は、それの正体がすぐにわかった。
「離せ。桜花」
「嫌だ…嫌です。離さないから。これ以上腕を酷使すると、本当に千切れてしまうから!」
僕は、泣きじゃくる彼女を睨みつける。
「これは、命令だ。桜花。そこをどけ。僕は…!」
その時。
頬に強い痛みが、走る。
桜花は、僕の頬を強くはたいた。
ビンタのつもりだろうか。それでも、僕の意思は変わらない。
「規律違反だ。桜花。離せ」
すると、もう一度、頬に強い衝撃が走る。
またビンタされた。今度は、もっと強く。
「何が規律違反ですか! 何が命令ですか! 私は貴方の道具じゃない!!」
胸がドクン、と鳴る。
僕は、その場で何もできず、ただうずくまるのみだった。
そんな情けない姿を見た桜花は、涙をポタポタ落としながら、立ち上がり、言い放つ。
座り込み、地面を見ることしかできない僕に対して、彼女は地平線のその先を見ていた。
「貴方も、結局、命令するんですよね」
彼女は、拳を握りしめる。
「さよなら。貴方は、『私の運命を変える人』じゃなかった」
彼女は、地平線のその先へと進んでいく。彼女の隊服から、何かが落ちた気がしたが、そんなことは、どうでも良かった。
「待って……くれ」
置いて行かないで。
その言葉が出かけた時、彼女の姿はもうなかった。
彼女は、その日を最期に、僕や大江戸の人々の目の前から消えた。
固く封をされた、彼女が落とした手紙。それを目の前にしても、今の僕には封を開ける勇気など湧いてはこなかった。
僕は、無力なままだ。
僕は、誰も守れない。
これからも、これまでも。
第五話
あの空襲の後、僕は上官としての立場だけでなく、軍人としての職を失った。
そして、それから一ヶ月後。
僕は今、軍人としての頭脳とは別の頭脳を使って、仕事をしている。その仕事に必要なのは、珈琲をブレンドする創意工夫だけ。
血みどろな戦いに身を投じていた僕は、こんな平和なところで働いていて良いのだろうか。そんな権利など、あるのだろうか。
(…………………)
僕は、一時期、路頭に迷っていた。
食べ物がなくなり、餓死しそうになったこともあった。
だが、その時、不思議と納得感はあった。
僕は、このまま死ぬべきだとさえ思った。
だが、僕は、珈琲店の店長のハッサクさんに拾われた。
後になって気づいたことだが、この店を選んだこと自体に、無意識の理由があったのかもしれない。桜花が最後に消えた地平線は、ここから見える。だから僕は、拾われるまま、この店に居座り続けた。誰かがいつか、彼女を見たと噂するのを待ちながら。
そして、店長の彼いわく、どうやら、その時の僕の瞳が、かつての自分の瞳に似ていたらしい。
彼は、言った。
「ここには、好きなだけ食べ物も飲み物がある。好きなだけ食ったり、飲んだりしていけ! な?」
僕は、酷い人間だ。
普通の人間なら、その善意に感謝するだけで、終わるだろう。
だが、その言葉を聞いた僕は、それ以外の感情にも気づいた。
ーー僕にも、その淀みのない瞳が、あったのなら。
(……………)
その店には、他にも、もう一人、アルバイトがいた。
そのアルバイトの少女の名前は、金田美咲。
下界で壮絶なイジメを受け、単身で大江戸に移り住んできた少女だ。
彼女の両親は、もうこの世にはいない。
美咲がイジメによって曇っていくのに耐えかねず、美咲と共に一家心中を企てたらしいが、結局美咲だけは殺せず、彼女だけが生き残った。
僕は、隣で働く彼女の瞳を見た。
ーー桜花と同じく、淀んでいた。
それでも、僕はまだ、彼女を探すのをやめていなかった。いや、やめることができなかった。
彼女を忘れるなんて、僕にはできない。
第六話
ある日、美咲がこんな相談を持ちかけてきた。
「亮吾君は、戦争って、どうしてなくならないと思う?」
それは、あまりにも本質的な問いだった。
僕は、『少し時間をくれ』とだけ言い、考えた。
ーー答えが、思いつかない。
「時間切れだよ。亮吾君。ここほとんど人が来ないとはいえ、バイト中に一分も考え事するのは駄目だよ」
彼女は、珍しく少しだけ冗談…というか皮肉を言ったらしい。
「先に質問してきたのは、そっちだろ」
「確かに」
「確かにじゃねえだろ」
「ごめんごめん。それじゃあ、本題に戻るね」
彼女の瞳が再び真っ黒になるのを、僕は見逃さなかった。
「私は、人が人だからだと思うよ」
ーー人が人だから。
何となく意味は分かる。
それでも、戦争のない世界を作るというかつての理想が、僕の理解の邪魔をした。
それを見た美咲が、不服そうに言う。
「あまり納得してないみたいだね」
「うん。正直に言うと」
彼女は、無表情に続ける。
「でも、それじゃあ駄目だよ。人に期待したら、駄目」
彼女は、コーヒーカップの持ち手を指でなぞった。
「うちの親、最後まで泣きながら手を握ってきたんだよ。私を、殺そうとしてる手で」
一瞬、店の空気が固まる。
「優しさと、人を壊すことは、同じ手の中に入ってるの。だから――」
彼女は、それ以上続けなかった。
「なら、人という生き物が生まれ変われば、戦争は終わるかな?」
思ってもない言葉が、口に出た。
僕は思わず、口を塞ぐ。
店長のいない店で、少しだけ沈黙が生まれる。
彼女は、間抜けた表情で、僕の瞳を見つめた。
「は?」
彼女の言葉は、あまりにも拍子抜けしているように聞こえた。
「あ、ごめん。つい、思ってもない言葉が……」
「あはは!!」
彼女は、不意を突かれたように、笑い出した。
「え? いきなり、どうしたんだ?」
もちろん、それ以外に、この状況を表せる言葉はない。
夕日の差す、木造の珈琲店で、彼女の瞳のなかで、何かが動き出していた。
「ごめんごめん! あまりにも予想外の答えで!」
「あ、ああ。ごめん…」
「いや、やっぱり亮吾君、私にはない何かを持ってるね」
「やっぱり?」
「うん。私は、人を信じないからさ。もちろん、亮吾君も信じてないけど」
「傷つくからやめろよ」
「ごめんごめん、本当のことだから、つい」
それでも、彼女は久しぶりに笑ってくれた。
「でも、少しだけ、君だけは信じてもいいかな? と思えたよ。まあ、気のせいだろうけどね!」
「気のせいなのかよ」
そのツッコミに反して、僕の頬が少しだけ赤く染まったような気がした。
幸せだ。幸せすぎて、吐き気がする。
聞いてください、土方さん。
戦争に明け暮れた僕が、こんな幸せな日々を過ごしています。
こんな僕で、良いのでしょうか?
僕を、叱ってください。
こんな僕を……
幸せにしないでください。
