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母性愛という制度


信田さよ子先生の『なぜ人は自分を責めてしまうのか』を読みました。


この本は、原宿カウンセリングセンターのオンラインセミナーで行われた公開講座の内容を書き起こしたものです。

母娘問題、共依存と家族システム論、罪悪感と自責感などをテーマに、信田先生のこれまでの臨床経験と、それに対応する著書を振り返る内容になっています。

公開講座の文字起こしという形なので、とても分かりやすく整理されていて、「専門的だけど読みやすい」という印象でした。

その中でも、特に印象に残った部分を引用しながら、自分の感じたことを書いてみたいと思います。

母性愛は「制度」である(第3章)


母性愛は制度=作られてきたものである。
これを知るだけでも、自分は母性愛がないから人間失格だなんて自分を責めることはないということになります。自分は子どもがあんまりかわいくない。仕方がないですよ、それは。でも、がんばってその子に対して、いろんな意味で大切にしようと思うことは大事なことです。そのがんばりを評価したいですね。

137ページ

私は娘が生まれてからのこの2年間、
「自分には母性愛というものがあるのだろうか」と、たびたび考えてきました。

この本の中で、母性愛が“制度”になったのは明治以降と、わりと最近のことだと知りました。血のつながりが重視され、家父長制が強まっていく中で作られてきた価値観。それ以前は養子も当たり前にいて、たしかに時代劇などでも「養子で〜」という描写はよく出てきますよね。

「ああ、制度なんだ」と思えたことで、肩の力がすっと抜けました。もしそれが、たくさんの女性の相談に向き合ってきた信田さよ子先生の言葉なら、なおさら腑に落ちるものがありました。

育児の危うさについて(第4章)

子どもが何かしたときに、わがことのようにつらいということを裏返すと、子どもには何をしてもいいというのが張り付いている。虐待を避けるということが非常に難しい。

148ページ


これは本当に、その通りだと思います。親子関係って、正直とてもグロい。

母親は子どもを自分の一部のように感じる。まあ、実際に自分の体の一部からこの世に送り出しているわけだけど。だからこそ、夫や他人には向けないような刃を、いとも簡単に子どもに向けてしまう危険性がある。

この一文を読んで、自分がうまく言葉にできなかった感覚に、ラベルを貼ってもらったような気がしました。

虐待にならないように。親子関係が密になりすぎないように。社会にこそ、ちゃんと監視してほしいと思います。支援センターとつながること、ママ友とつながること、幼稚園とつながること。それら全部が、今の私にとっての命綱です。

母であることは、尊いけれど、危うい。だからこそ「一人で抱えない」ことが、何より大事なのだと思います。もし、母性愛について、育児について、自分を責めてしまう人がいたら。

この本の言葉が、少しでも救いになりますように。

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