【人間観察エッセイ】「人間嫌い、銭湯へ行く」 |プロローグ〜私が人間と銭湯を嫌いな理由〜
私は人間が嫌いだ。
旅もご飯も一人で行くのが好きだし、生きるためのコミュニケーションは仕事だけでお腹いっぱい。
プライベートくらい、誰の気配も感じない完全なパーソナルスペースで、静かに過ごしたいタイプなのだ。
そんな私が、見ず知らずの他人が裸でひしめき合う「銭湯」に、1ヶ月近く毎日通う羽目になった。
理由は、我が家の床下で起きた、全くなす術のない「配管トラブル」のせいである。
そもそも、私にとって銭湯や「お風呂」という場所は、長年「できれば避けたい鬼門」でしかなかった。
幼少期の記憶にある銭湯は、とにかく熱くて怖かった。
共働きの両親に預けられていた頃、風呂のない祖父母の家に泊まると、近所の大きな銭湯に連れて行かれた。
大柄で強かった祖父の後を追って入る男湯。
熱がる私のために祖父が水を出して薄めようとすると、決まって常連の頑固ジジイが「水を入れるな!」と怒鳴ってくる。
子ども心に、あの熱さと怒鳴り声はちょっとしたトラウマだった。
さらに、実家のお風呂事情もなかなかにファンキー(というか絶望的)だった。
経済的な理由と親の独特な方針により、入浴は週にたったの1度。
おまけに水がもったいないからと、湯船のお湯は2週間近く替えない仕様(笑)。
今思えば完全に熟成を通り越して腐っていた。
綺麗になるための場所なのに、中はどろっと濁り、独特の匂いを放つ水。
匂いはバス⚪︎リンでごますのが定番だった。
それを追い焚きし、手桶ですくって頭や体を洗うのだ。
当然、お風呂に入った直後から髪や体が逆に臭くなるという不条理なシステム。
おまけに服も週一度しか替えさせてもらえず、
学校で「なんか臭う」とからかわれる私にとって、中学時代は毎日洗濯しなくていい「制服」が導入され、心の底から救われた気がしたものだ。
そんな私のトラウマ風呂キャン生活に、高校生の時、ついに大革命が起きた。
引っ越し先の比較的新しい団地には、なんと「シャワー」がついていたのだ。
初めて使った時のあの感動は、今でも忘れられない。
――だって、誰も触れていない、新しくて綺麗な透明なお湯が、上からじゃんじゃん降ってくるんだよ!?
汚い水をすくう重労働からの解放。。。
「シャワー最高ーー!」
と歓喜した私は、当時流行していた「朝シャン」なんかを嬉々として始め、
自分の手で過去の濁りを洗い流すように、お風呂への苦手意識を上書きしていった。
やがて大人になり、温泉も楽しめる余裕まで出てきたころ、
自分の自由にできる「完璧に清潔な家風呂」という最高の聖域を手に入れた。
もう二度と、私のお風呂ライフが脅かされることはないはずだった。
……そう、あの配管トラブルが起きるまでは。
これは、頑なに一人を愛し、お風呂に並々ならぬディンスタンス(距離)を置いて生きてきた人間が、
強制イベントによって令和の東京下町銭湯文化に放り込まれることになった、約1ヶ月のサバイバル記録である。

(第1湯に続く)
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