「変われる可能性は2%」と言われた26歳の僕へ

「変われる可能性は2%」と言われた26歳の僕へ

2011年12月1日。

当時26歳だった僕は、ある先輩に久しぶりに会った。

そして、それはもう見事なくらい、こてんぱんにされた。

当時の日記には、こう残っている。

「何かしているつもりで、何もしていない」

「事業の本質がわかっていない」

「結局、自分の頭で考えていない」

「お前が変われる可能性は2%くらいだと思う。むしろ微塵もないかもな」

今なら、なかなか強烈なフィードバックだと思う。

当時の僕は、入社して数年。大きな仕事上の失敗も経験し、心身ともに少し調子を崩していた。

自分なりには悩んでいた。会社への不満もあった。上司への不満もあった。環境への不満もあった。

でも、その先輩から見れば、そんな僕はただ、

自分で変えられることに向き合わず、何かをやっているつもりになっている人間

だった。

「お前は何のために働いているのか」

「仕事のスケジュールは?」

「ビジョンは?」

「自分の仕事をどう評価するのか?」

矢継ぎ早に問われた。

そして、さらに言われた。

誰かの問題を解決して、誰かをハッピーにするから、お金になる。それが事業だ。

相手が何に困っているのかも具体的に分かっていないなら、それは自己満足でしかない。

いや、儲からないのだから、自己満足にすらならない。

僕にとって、とりわけ長く残った言葉がある。

「具体化できないことは実行できない。具体化できないということは、真剣に考えていない証拠だ」

その後、この言葉はずっと僕の中に残った。

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正直に言えば、この一晩で僕が突然変わったわけではない。

むしろ、その後も失敗した。

転職してからも、しばらく仕事はできなかった。クレームもあった。顧客対応に苦しんだ。何度も「自分はこの仕事に向いていないのではないか」と思った。

ただ、一つ大きかったことがある。

あの日を境に、厳しい基準が自分の中にインストールされて、それを愚直に実行できるようになった、というわけではなかった。

そんなに簡単な話ではなかったと思う。

その後もまた、何度も仕事の壁にぶつかった。そのたびに突破口になったのは、いつも同じだった。

昨日できなかったことを、今日ほんの少しでもできるようにする。

大きな基準を掲げるというより、目の前の小さなことを一つずつ、具体化し、具現化していく。ただ生き延びるために、必死にそれを毎日繰り返していた。

そうやって経験から学ぶことを、来る日も来る日も積み重ねているうちに、気づけば、あの日言われていたことが、いつの間にかできるようになっていた。

そこまでの道のりは、決して一直線ではなかった。

仕事が苦しくても、

「あの時に比べれば」

と思えるようにもなった。

その意味では、あの日のフィードバックは、僕の中にあった一つのリミッターを外したのだと思う。

厳しく言われることそのものへの恐怖。自分が「できない人間」だと露呈することへの恐怖。

そういうものが、少しずつ小さくなった。

一度「典型的な仕事のできないやつ」とまで言われてしまえば、案外その後はどうにでもなる。

もちろん、当時はそんなふうには笑えなかったけれど。

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それから約14年。

2025年の終わりに、僕はその先輩に久しぶりに連絡をした。

その間に僕は転職した。営業として長く仕事をし、マネジャーになり、部長になった。

昔言われたことも、いつの間にか日々の仕事の中でかなり当たり前にやるようになっていた。

自分の問題を具体化する。顧客の困りごとを考える。仕事を構造化する。必要なら人を巻き込む。日々振り返りながら、自分の行動を少しずつ修正する。

ある意味では、あの日の言葉を呼吸のように繰り返しながら働いてきた。

だから、そろそろ少しは対等に話せるのではないか。そんな気持ちもあった。

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久しぶりに会った夜。

一軒目のもつ鍋から始まり、二軒目のカフェ、三軒目のバー兼スナックまで、話は尽きなかった。

相変わらずだった。

「今どんな仕事してるの?」

「顧客は?」

「マーケットは?」

「サービスの利益率は?」

質問が次々に飛んでくる。僕の会社の事業モデルについても、淡々と、かなりシビアにコメントされた。

そして、

「この先、どうしたいの?」

と聞かれた。

今の会社でトップを目指すのか。役員を目指すのか。それとも別の道を選ぶのか。

年収や、その先のキャリアの天井まで含めて、冷静に問いを投げてくる。

14年経っても、まったく丸くなっていなかった。

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ただ、昔とは一つ違うことがあった。

今度はこちらからも、言いたいことを言えた。

なぜ今回、自分から連絡したのか。理由を二つ伝えた。

一つは、先輩が新しく始めようとしている事業で求めている人材像を見て、

「今の自分なら、少しはそこに重なる部分があるかもしれない」

と思ったこと。

もう一つは、その新しい事業の発表を見た時に、

「やるべきことは見える。でも、あなた自身が本当にやりたいことが、あまり見えなかった」

と感じたことだった。

26歳の僕なら、そんなことは言えなかったと思う。

でも今は、敬意を持ちながらも、自分の目で見て、自分の言葉を返すことができた。

たぶん、それだけでも14年という時間には意味があった。

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そして、その夜もまた、フィードバックをもらった。

「お客さんへの伴走はそこそこやってきたんだと思う。でも、明確に二つ足りない」

一つ目は、

未来を知ること。

未来を予測するという意味ではない。顧客がこれから経験するであろう未来を、自分が先に経験しておく。その上で、頼まれていなくても、事業責任者や社長になったつもりで顧客の事業を考える。

二つ目は、

責任を取ること。

ここでいう責任とは、失敗したら辞めるというような話ではない。顧客がこれから直面する未来を考え抜き、その意思決定と結果にまでコミットする。自分が当事者ではなくても、その事業を代わりに進めるくらいの感覚で向き合う。

この二つは、僕にとって盲点だった。

自分なりに顧客に寄り添ってきたつもりだった。責任も、今の会社ではかなり強く意識しているつもりだった。

それでも、

未来を「考える」のではなく、未来を先に「知る」。

そして、

顧客の意思決定の結果まで引き受けるつもりで考える。

そこまでやるのか。プロの経営者というのは。

久しぶりに、息を呑んだ。

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さらに言われた。

今の自分の身の丈を超えた勝負を続けること。バッターボックスに立ち続けること。

そこで甘えたり妥協したりすると、将来の自分に贅肉がつく。今の自分は、過去の自分の選択と習慣がつくっている。

これまた相変わらず、マッチョである。

そして、14年前のフィードバックについて話した時も、

「今聞いて『なるほど』と思っているなら、ちょっと遅いよね」

くらいのことを普通に言われた。

ただ、そのあと少しだけ、

「器用じゃないし、考えるペースも少し遅いところがある。でも、それも持ち味なのかもしれない」

「ある種の鈍感力もあるよね」

と、ぼそっと言われた。

僕は、その言葉が妙にうれしかった。

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若い頃の僕は、「遅い」「鈍い」「できない」という言葉を、かなりネガティブに受け取っていた。

でも今は少し違う。

器用ではないから、時間をかけて考える。すぐにできなかったから、できない人の気持ちが少し分かる。鈍感だから、何度失敗しても、意外とまた立ち上がれる。

弱さだったものが、そのまま強みになるわけではない。でも、弱さとの付き合い方を覚えると、それが別の価値を生むことはある。

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あの日のフィードバックは、間違いなく僕の人生に大きな影響を与えた。

もし、あれほど厳しい絶対基準を一度も突きつけられていなかったら。その後の仕事で、もっと簡単に折れていたかもしれない。今の会社で厳しいことを言われるたびに、もっと萎縮していたかもしれない。

「あの時に比べれば」

と思える経験を一つ持っていたことは、僕にとって大きかった。

ただ、今は同時にこうも思う。

彼がすべてではない。

世の中には、彼とは違う価値観で生きる人がいる。違う方法で人を育てる人がいる。厳しく言わなくても人を動かせる人もいる。優しさによって人が変わることもある。

あの時の言葉のすべてを、今の僕がそのまま正しいと思っているわけでもない。

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フィードバックは、強ければいいわけではない。

「愛情があるから厳しく言った」で、すべてが正当化されるわけでもない。

人によっては、同じ言葉で立ち直れなくなることだってある。

だからこそ、受け取る側にも一つ大切なことがあると思う。

すべてを受け入れなくていい。一度は受け止める。自分の現実と照らしてみる。痛くても、図星なら残す。違うと思えば、手放す。

尊敬する人の言葉であっても、最後に何を自分の人生に残すかを決めるのは自分だ。

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26歳の僕へ。

あの日、君はずいぶんボロボロになった。

「変われる可能性は2%」

なんて言われて、たぶんかなり傷ついたと思う。

でも、大丈夫だった。

すぐには変われなかった。その後も何度も失敗した。仕事ができるようになるまでには、ずいぶん時間もかかった。

それでも、少しずつ変わった。あの日言われたことの一部は、14年後には呼吸のようにできるようになった。

そして、14年後の君は、あの日の相手に自分の意見を返しながら、また新しいフィードバックをもらっている。

まだ完成していない。たぶん、これからも完成しない。

でも、それでいい。

あの日もらったものは、「お前はダメだ」という判決ではなかった。

自分の甘い前提を一度壊し、自分の頭で人生を考え始めるための、強烈なきっかけだった。

そして今なら、その言葉に支配されることなく、その言葉に感謝することもできる。

変われる可能性は2%。

結果がどうだったかは、もうあまり重要ではない。

2%でもあるなら、自分でそれを引きにいけばいい。

たぶん僕は、それを14年間やってきたのだと思う。

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