見出し画像

薩摩・示現流「一撃必殺」に隠された本当の思想

なぜか突然、示現流が検索されている

今日、YouTube Studioを開いてみると、少し不思議なことが起きていました。

公開から約11か月が経った「島津義弘」のShorts動画が、昼頃から急に再生され始めたのです。

しかも、再生の導入はほとんど「YouTube検索」で、検索ワードトップは「示現流」。

テレビか何かで示現流が紹介されたのだろうか。

SNSで話題になっているのだろうか。

気になってXでも尋ねてみましたが、反応はありませんでした。

なぜ今、このタイミングで人々が示現流を検索し、私の古い動画へたどり着いているのか。

理由は、今のところ分かりません。

しかし、歴史には時々、こういう不思議な入口があります。

せっかく突然開いた扉です。

今回は、薩摩が生んだ剣術「示現流」について、改めて深く掘り下げてみたいと思います。


まずは島津義弘の楽曲を

今回、突然検索から再生され始めたShortsの本編となる楽曲です。

薩摩の猛将・島津義弘の生涯と、敵中突破で知られる「島津の退き口」を描きました。

ぜひ、この記事を読んでいる間のBGMとして聴いていただけると嬉しいです!


そもそも示現流とは?

示現流は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて、薩摩の剣豪・東郷重位が完成させた剣術です。

したがって、島津義弘が創始した剣術ではありません。

東郷重位はもともと九州で広く知られていたタイ捨流を学んでいましたが、島津家に従って京都へ上った際、天真正自顕流の奥義を受け継ぐ善吉和尚と出会います。

薩摩へ戻った重位は、その教えをもとに独自の剣術を練り上げました。

1604年、重位は義弘の子・島津忠恒、のちの家久の前でタイ捨流の師範と立ち合い、勝利したと伝えられています。その実力を認められ、島津家の剣術師範となりました。

「示現流」という名は、法華経にある「示現神通力」という言葉に由来するとされています。

こうして示現流は、島津家に仕える武士たちへ受け継がれ、やがて薩摩を代表する剣術となっていきました。


「一の太刀」にすべてを懸ける

示現流を象徴する教えが、
「一の太刀を疑わず、二の太刀は負け」

という言葉です。

最初の一撃に、自分の力も覚悟もすべて込める。

相手の攻撃を受けてから反撃するのではなく、相手の防御ごと打ち破るほどの一太刀で勝負を決める。

そのために用いられるのが、刀を高く掲げる独特の「蜻蛉」の構えです。

そして基本稽古の「立木打ち」では、硬い木を地面に立て、約九メートル離れた場所から走り寄り、左右から激しく木刀を打ち込みます。

かつては「朝に三千、夕に八千」と言われるほど、ひたすら同じ一撃を繰り返したそうです。

技をたくさん覚えるのではなく、たった一度の太刀を極限まで磨き上げる。

まさに、一点突破の剣術です。

ちなみに、示現流と聞くと「チェストー!」という掛け声を思い浮かべる方も多いと思います。

しかし、現在の示現流兵法所による立木打ちの説明では、掛け声は「えい」とされています。

有名なイメージと、実際に伝承されている姿には、少し違いがあるのです。


本当の教えは「刀を抜くな」

これほど攻撃的な剣術でありながら、示現流の教えの第一には、驚くべき言葉があります。

「刀は抜くべからざるもの也」

一撃必殺の技を磨きながら、目指すのは刀を抜かずに一生を終えること。

これは矛盾しているように見えます。

しかし、本当に強い者ほど無礼を働かず、争いを避け、軽々しく力を振るわない。

それでも、どうしても戦わなければならない瞬間が来たなら、迷わず一撃にすべてを懸ける。

示現流が育てようとしたのは、ただ人を斬る技術ではありませんでした。

力を持ちながら、その力を制御できる人間です。

激しい太刀筋の奥にあるのは、むしろ深い自制心。

そこに、示現流が四百年以上も受け継がれてきた本当の理由があるのかもしれません。


古い動画が、もう一度歴史の入口になる

なぜ今日、突然「示現流」の動画が検索から再生され始めたのか。

結局、その答えはまだ分かりません。

ただ、公開から長い時間が経った短い動画でも、誰かが歴史の言葉を検索した瞬間、もう一度入口として働き始める。

今回の出来事は、その面白さを改めて教えてくれました。

歴史の言葉は、消えません。

どこかの誰かが興味を持った時、眠っていた物語が突然動き出します。

この不思議な検索の波が、新たに示現流を知るきっかけになれば嬉しいです。

そして楽曲の中でも、薩摩武士が一撃に懸けた覚悟を感じていただけたらと思います!



[過去記事のご紹介]


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集