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ヨルダン| アカバ~アンマン| 穏やかなイスラム教国 2010年7月

エジプトのヌウェイバから出た船は、3時間ほどでヨルダンのアカバに到着した。

アカバ港
アカバ港

荷物を持った外国人?が別の場所へ呼ばれたのか、僕もその一人で、ずいぶんここにいさせられた記憶がある。

フェリーで一緒だったアメリカ国籍の女性がタクシーを捕まえて、一緒に乗るか聞いてきたので同乗した。街に向かうバスは先に行ってしまってもういない。

彼女はすぐにアンマン行のバスに乗るというが、僕は少しここを歩くと言い、ここでお別れとなった。

アカバの市街地

タクシーを適当に停めてもらい、街を歩く。

アカバの市街地

少し歩くと、アスファルトの道路が未舗装になり、家がボロボロに変わった。大きく掲げられた旗は、ヨルダン国旗ではなく、パレスチナ旗が掲揚されている。

中東戦争から逃れてきたパレスチナ難民のエリアである。

非公式なパレスチナ難民居住区
非公式なパレスチナ難民居住区
非公式なパレスチナ難民居住区

難民居住者エリアから歩いて10分ほどでリゾート地域に着くことに驚きを感じた。
このエリアは、外国人観光客やヨルダンの富裕層が集まる場所である。

公共ビーチ
アカバのマック
モーベンピック リゾート(Mövenpick Resort & Residences Aqaba)

バスの時間が迫って来たのでバスターミナルへ戻って、アンマン行のバスに乗った。アンマンまで約5時間の道のりである。

アンマンに夜遅く到着すると、1台の乗用車が停まっていた。ダマスカス行の乗り合いタクシー。よっぽど乗ろうかと思ったがぐっと我慢した。

アンマンでの宿探しに少し苦労し、23時ごろ見つけた宿の従業員はどこで覚えたのか「もしもし」「もしもし」うるさい。しかし部屋は良かったので宿泊した。

アンマン市内 アブダリ(Abdali)地区

翌日はかなり歩くことを覚悟して朝早く起きた。

アンマン市内 アブダリ(Abdali)地区

アンマンの中心部にあるグランド・フセイニ・モスク(Grand Husseini Mosque)は、生活の中心部でもある。買い物をしたり、誰かとまちあわせをしたり、普通の生活がモスクの目の前で行われる。

旧市街にある グランド・フセイニ・モスク(Grand Husseini Mosque)
グランド・フセイニ・モスク(Grand Husseini Mosque)

モスクから歩いて数分の所に、紀元2世紀、ローマ帝国時代の柱が並ぶ「柱廊通り(Colonnaded Street)」がある。地元の人々が普通に通り抜ける日常の空間でもある。

紀元2世紀、ローマ帝国時代の柱

柱廊通りの先を行くと、大きなローマ劇場にあたった。観客席側はとても急こう配であり、少し怖かった。

ここでイラク国民の旅行者と出会った。当時、イラク人は観光できる余裕あるの?と疑問に思ったのでたずねてみると、彼らはシーア派なのでフセイン政権崩壊後に余裕ができたみたいだった。

ローマ劇場 (Roman Theatre)

ローマ劇場から20分ほど歩いたり上ったりして、アンマンで最も高い丘の上にある遺跡、アンマン城(アンマン・シタデル / Amman Citadel)に来た。
そこには、「ヘラクレス神殿」の跡の2本の柱が立っていた。

アンマン城(アンマン・シタデル / Amman Citadel)
アンマン城の丘からの街の眺め。

アンマン城から45分ほど歩くとモスクと教会が隣り合わせに建っていた。これには寛容さを感じ、ヨルダンという国を象徴するような景色に感じた。

キング・アブドゥッラー1世モスク(King Abdullah I Mosque)と 聖ジョージ・コプト正教会 (St. George Coptic Orthodox Church)

その先の丘を行くと、新しい大通りがあり、その通り一面に建築中のビル群があった。今頃どうなっているか興味深い。

アブダリ(Abdali)地区
アブダリ(Abdali)地区

翌朝は早めに起きた。キングフセイン橋を渡って西岸地区(パレスチナ)へ向かう。

キング・フセイン橋(アレンビー橋)のターミナル
アレンビー橋(キング・フセイン橋)検問所

陸路での国境越えも慣れてきたが、ヨルダン~ヨルダン川西岸のそれは少し緊張した。

検問所を移動するシャトルバス(JETTバス)の中


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