今日が一番早い日、若い日
外来診療では、診断名がおおまかに二つある。
一目でわかるものとそうでないものだ。
ご本人にはご面倒でも筋腫だったら運がいい。たいていの場合は適切な治療をすれば、いずれは治る。だが、「一目でわかる」悪性疾患は手強い。症状が既に出ているがんは、時に進行していることも多いからだ。
外来のみならず、時に健診であってもこの「一目でわかる」人がやってくる。何度も言うようだが、健診は症状のない健康な人が行くものであって、お困りごとがある時は普通に受診してほしい。
そうは言っても来るものは来る。じゃあじゃあ出血していても、四方八方360度どこから見ても「がん」は来る。
大学病院に勤務の時は、サラリーがびっくりするほど安いので、皆週に一度はアルバイトも義務付けられている。そうでなくては生活できないから行くのだが、健診センターに子宮頸がん検診と称して女医が行くと90%の割合で酷い目に遭う。暇だよ、小説を何冊か持っていくといいよ、なんて甘い言葉をうっかり信じてはいけない。女医めがけて受診を決めたマダムが列をなして待っているからだ。
人数が多いだけなら機械的に済ませることもできるが、「一目でわかる」がやってくると一大事だ。そこからそのマダムをどこか適切な病院へ送り込むべく緊急搬送を手配したり、たまに大学病院に一緒に連れて帰ったりしていた。後輩女医には「健診センター勤務の日は朝ごはんを抜かず、しっかり食べて行け、なんならおやつも持っていけ」と忘れぬよう助言していたものだ。小説持参なんてもってのほかだ。忙しい。
先日も、出血が止まりません、と不安げなマダムが受診してきた。問診票にある婦人科検診希望に大きく丸がされており、後で出てくる性器出血は無視されている。経験上、症状があるのに検診希望に丸をつけるマダムは、現実逃避の傾向がある。異常ありませんと言われますように、という圧を診察室に入ってくる時点で醸している。
色々診察して、「一目でわかる」がんだった彼女。目に見えてしょんぼりしている。まるでゆがいたレタスだ。
「もっと早く受診するべきだったでしょうか」
1年以上前から不正出血は繰り返していたというので、そのセリフは無理もない。ただ、人間には誰しも「正常であってほしい」という祈りのようなバイアスがあって、賢く聡いマダムも場合により、それに騙されてしまう。ああすれば良かった、こうすれば良かった、に囚われてしまうと免疫力が落ちてしまうので、私は必ずこう返すことにしている。
「今日が一番早い日、若い日。これから、これから」
マダムはひとしきり、仕事が忙しいだの、手術はいつになりそうだの、何ヶ月休めばいい、だの今すぐは見通しがつかないことを繰り返していた。一人でパンツと靴下を履ける独立したマダムであれば、当然のお悩みではある。だが、高次医療機関に受診してみなければ、予定は立てられない。
「更年期だと思ったのに」と悔いていたが、病院にかかるのは誰しも億劫。諸外国に比べれば日本の医療はまだまだ受診しやすい方だと思うが、私など乳がん検診を3度ほどキャンセルし、ここ2年ほど受けていない。わかるよ、その敷居の高さ・・・
大学病院へのお手紙をしたためながら、私はもう一度言った。
「今日が一番早い日、若い日。今できることを一つずつやるしかないですよ」
これは自分にも当てはまることだ。
後日あらぬ高値だった彼女の腫瘍マーカーを睨みながら私は思う。後でしよう、来年しよう、と思うことをいい加減、やめよう。明日も来年も来ないかもしれない。
時間は人間に平等だというが、密度は全く持って不平等だ。ただ、時間の長さは変えられなくても、生きていく濃さを調節することはできそうだ。
「今日が一番早い日、若い日。今できることを一つずつやるしかない」
できることを一つずつやるってのがめんどくさいが、生きることは得てしてめんどくさいものだ。彼女の顔を思い浮かべながら、いい治療になるよう祈っている。
いいなと思ったら応援しよう!
いただいた応援で、塩豆大福を買います!