三十代で肺の難病に倒れ、毎晩「死にたい」と叫んでいた男が、フランスの古い薬草の本を開いた。載っていた一本の草に、彼の手が止まった。それは、故郷の宮古島で、雑草だと思って踏んでいた草だった
三年前、僕は、一本の文章を書いた。
宮古島を、もう一度、ハーブの島にしたい。
織田剛さんという男の、その純粋な思いに、僕は、心を打たれた。
だから、彼の夢を多くの人に届ける、クラウドファンディングの文章を書く。その大役を、引き受けた。
その文章に、千人を超える人が、六千万円を超えるお金を、託した。目標の、四倍だった。
そして先日、僕は、その言葉が、現実になりはじめた場所を、見に行った。
派手な森が、広がっていたわけじゃない。
まだ、夏。畑は、静かだった。
育っているハーブも、まだ、多くはない。
でも、そこは、確かに、始まっていた。
僕の書いた言葉が、土になり、苗になって、動きだしていた。
ゼロが、イチになる。
その瞬間に、僕は、立ち会っていた。
それを見たら、少し、泣きそうになった。
でも、その島で僕が見たのは、一人の男の夢が始まる、という美しい話だけではなかった。
この小さな島は、たぶん、日本全体の、鏡だった。
*
その男の名は、織田剛さん。宮古島で生まれ、育った人だ。
面白いのは、彼が子どもの頃、島の草を、ただの雑草だとしか思っていなかったことだ。宮古島は、島じゅうに薬草が自生する「ハーブの島」で、昔の人は、病気になると、その辺の草を摘んで、薬にして暮らしていた。でも、その文化は、戦後、ほとんど失われた。織田さんも、その草の価値を、知らずに育った。
彼は、島を出た。東京の大学へ、そしてフランスへ。順風満帆だった。
だが、三十代で、肺の難病が見つかる。医者に、これ以上の手術はできないと言われた。管を入れられ、痛みのなかで、毎晩、死にたいと叫んでいたという。
その、どん底だった。
ある夜、彼は、一冊の古い本を、手に取った。
フランスの、薬草の本だった。
病室の、消毒液の匂いのなかで。
ページを、めくる。
ある草の絵で、指が、止まった。
見覚えが、あった。
どこで見たのか、しばらく、思い出せない。
そして、気づいた瞬間、本を持つ手が、震えた。
宮古島だ。
子どもの頃。学校の、帰り道。
サンダルの裏で、なんの気なしに、踏んづけていた、あの草。
青くさい匂いのする、ただの雑草。
自分が「こんなもの」と呼んで、捨てていたもの。
それが、いま、地球の裏側の本のなかで、自分の命を救うかもしれない薬草として、載っていた。
捨てたものに、救われるかもしれない。
彼のなかで、何かが、音を立てて、組み変わった。
*
それから、彼は、変わった。
数億円の事業を、たたんだ。
そして一年前、宮古島に、帰ってきた。
島にもともとあった、一つのハーブ農園を、引き受けるために。
なぜ、いま、島に帰るのか。
彼には、見えていたからだ。故郷が、もう、そんなに長くないかもしれない、ということが。
いま、宮古島は、猛烈な勢いで、開発されている。海沿いに、次々と、高級リゾートが建つ。土地は、島の外の資本に買われ、値段は、この十年で、何倍にもなった。
その波にのまれて、島が受け継いできたものが、静かに、消えている。
薬草の文化。島を覆っていた森。その森の奥で、島の人が神に祈ってきた、御嶽(うたき)という聖域。
そして、いちばん、取り返しがつかないもの。
水だ。
この島には、川が、一本もない。飲み水は、地下を流れる、たった一本の水源だけが、頼りだ。その水が、観光と開発の勢いで、あと数年で足りなくなる、と言われている。
一度汚れたら、僕らの世代でも、次の世代でも、戻せないかもしれない。
*
これは、宮古島だけの話だろうか。
僕は、違うと思う。
資本主義は、"今"を、お金に変えるのが、とてつもなく得意だ。今ある海を、森を、静けさを。速く、効率よく、換金していく。
その力が、僕らを、豊かにしてきた。
でも、その計算式に、百年後は、入っていない。三百年後も、入っていない。
三年で建つリゾートの時計と、何百年もかけて育った森や水の時計は、噛み合っていない。
今ある自然を、お金に変えるのは、一瞬だ。でも、お金を、自然に戻すことは、たぶん、できない。
宮古島は、その分かれ道が、いちばん見えやすい、日本の鏡なのだ。
織田さんは、その鏡の前に、たった一人で、立とうとしていた。
*
夏の農園は、まだ、始まったばかりだった。
育っているハーブは、まだ少ない。でも、これから秋に向かって、島じゅうの薬草が、少しずつ、ここに集まってくるという。
三年前、それは、一人の男の頭のなかにある、夢でしかなかった。
それが今、現実の土になって、目の前に、あった。
もちろん、これは、まだ、第一歩だ。農園が一つ始まったくらいで、島の流れが変わるわけじゃない。開発の波は、この先、もっと大きくなる。織田さん一人が防波堤になれるほど、波は、小さくない。
それでも、と思う。
雑草だと思っていた草に、命を救われた男が、その草を守るために、島に帰ってきた。
捨てたものを、拾いに、帰ってきた。
その一歩は、たしかに、そこに、あった。
*
帰りの飛行機から、僕は、島を見下ろした。
エメラルドの海。切り開かれた森。建ちならぶ、白いリゾート。
そのどこかに、あの小さな薬草農園も、あるはずだった。
この島は、百年後、どうなっているだろう。水は、森は、祈りは、まだ、残っているだろうか。
僕には、分からない。
ただ、ひとつ、思ったことがある。
あなたにも、あるはずだ。
"雑草"だと思って、踏んで、捨ててきたもの。
故郷。夢。あの人。
なんの価値もないと、決めつけた、何か。
織田さんは、それを、拾いに帰った。
あなたが、いつか、拾いに帰りたいものは、何ですか。
そして、僕らは、この国で、何を残すのか。
今を、お金に変え続けるのか。それとも、三百年後にも残るものを、いま、選ぶのか。
まだ、水は、澄んでいる。
まだ、選べる。
三年前、僕は、言葉を書いた。その言葉 が現実なり、ゼロがイチに変わった。
次のイチに、宮古島は何を選択するのか?
それを決められるのは、たぶん、まだ、今を生きている、僕らだけだ。
文・峯山政宏
