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【創作大賞】この恋が叶いませんように〈11.ふたりの花束〉

第11話「ふたりの花束」


「今から電話していいですか?」
 はじめて自分から送る。既読になるのも待てずに寝室を抜け出す。服を脱いで、スマホを片手に浴室のドアを開ける。今夜二度目のお風呂。入浴剤を入れるのを忘れていたことに気づいて生協で買ったお徳用パックからひとつ入れる。お湯が真っ青になってびっくりして袋を確かめると「青いバラの香り」と書いてある。浴槽のふちに手をかけ、そろりとつま先を差し入れる。冷たそうなのに温かい、ふしぎな感じ。コントラストで真っ白に見えるからだがするすると青に染まっていく。このまま浴槽の底が抜けて、どこまでも落ちていけたらいいのに。深い深い夜の底へ――。
「またお風呂入るの?」
 ビクッとして振り返ると半透明のドア越しに夫がぼんやり立っている。
「あ、うん。なんか頭痛くて。もう一回あったまった方がいいかなって」
「あのさ、最近……」
 誰と電話してるの――。
「やっぱいいや」
 すりガラス風のアクリルの向こう、その表情は掴めない。
「土曜日、東京タワーに行こう」
 その言葉を聞いた途端、頭の中にかざぐるまが回り出す。ピンク、黄色、水色、赤。危険を伝えるようにカラカラと。

 展望台で夫は福太を透明なガラス床へ押しやって、福太は「こわーい!」と笑って、二人してきゃっきゃと騒いでいる。それから福太を抱き上げ、あっちが保育園、あっちがばぁばとじぃじんち、と指さして教える。いつにも増してはしゃいで見える。このフロアで夫がいちばん元気かもしれない。
「なんでそんなに高いところ好きなの?」呆れながら聞く。
「うーん、なんか安心するから? ちゃんと世界を把握できるっていうか」
 夫には珍しく、哲学的なことを言う。
「知らない道をやみくもに歩いてるんじゃなくて、全体像をわかったうえで歩いてるって思いたいっていうかさ。あ! ほら福太! あれ、富士山!」
「えーどれー?」
 福太がハマっている〈最強キングダム〉のスタンプラリーもやっていて、結局タワーの中をあちこち回ることになった。
 さすがに疲れたね。そろそろ帰ろうか、と水を向けると、
「ちょっと連れて行きたいところある」とずいぶん真剣な顔で言う。嫌な予感。
「でも、ほら、福ちゃん疲れちゃったし」
 福太は夫に買ってもらったセブンティーンアイスのチョコチップ味で口の周りに茶色いひげを作りながら
「ぜんぜんへいき。ふくちゃんはへラクレス!」とさっきみた〈最強キングダム〉の推しキャラのポーズをする。
「じゃあパパはゼウスだ!」と夫もポーズを決める。そのまま福太の手を取って、さっさと歩き出してしまう。
「どこに行くの?」
なるべく軽い感じで尋ねる。
「ちょっとね」夫は答えない。

 白い塀の続く道が見える。動悸が走る。だけどその手前で夫はひょいと右に曲がる。小さな花屋がある。チューリップ、スイートピー、アネモネ、フリージア、コデマリ……春の花と水が合わさった甘い匂い。
 いらっしゃいませ、と愛想よく笑ったお姉さんに夫は「今年も白でお願いします」と言う。
「だれにあげるのー?」と福太が聞く。
「今日は何の日でしょう」夫がクイズを出す。
 そっか、ホワイトデーだ。いつもの花束。
「おはなよりおかしがいいー! ねえ、ママ?」
「シーッ!」
 お姉さんが花束を作りながら苦笑する。スズランと白いムスカリにカスミソウを纏わせた小さくてかわいらしい花束。検索魔の夫のことだから口コミがいいお店を探したのだろう。
 お店を出たら渡されると思ったのに、夫は片手で花束を持ち、もう片方の手で福太の手をつなぎ、また歩き出す。
 当然のようにあの道に入る。桜並木にはちらちらと桜が咲き始めている。お香の匂いが濃くなっていく。
 藤吉さんに会ったあの日から、一度も行ってない。リワークセンターに通っていた時も絶対に近寄らなかった。取り込まれてしまいそうで。二度と家には戻れなくなりそうで。
「わあ、おじぞうさん!いっぱーい!!」
 夫の手を離れて福太は駆け出す。保育園の発表会で「かさこじぞう」を演じたばかりだ。食いしん坊のおじぞうさん役だった。
「あれ、かさかぶってないねぇ。ねえ、これなんだっけ?」
「かざぐるまだよ。風が吹くと回るの」
「そっか、かざぐるま!」うれしそうにフーッと息を吹きかける。黄色のかざぐるまがカラカラ回る。隣の赤いかざぐるまにまたフーッと息を吹く。水色、ピンク……次々とかざぐるまが回り出す。止まったのを見つけたらまた駆け寄って息を吹く。色の洪水。
「ねえ、このおじぞうさんたち、あかちゃんなんじゃない? みーんなスタイしてるよ」福太はちょっとかがんで地蔵に目を合わせてにっこり笑う。
「あかちゃんおじぞうさん。かわいいねえ。ひよこぐみさんみたいだねえ。あ、ビスコ!いいなあ」お供えをうらやましがる。
 福太だけが生きている。
――福ちゃん、
 抱きしめる。頬を両手で包む。チョコチップアイスでべたべたしている。
「なあによもぉー」笑いながら、そのままそこにいてくれる。
 それは悲しみじゃなかった。喜びだった。

「はい」
 一瞬、頭をなでられたのかと思った。夫が花束を差し出している。白くてかわいい、優しい花。去年も、一昨年も、玄関のところでコソコソ福太と相談し、福太が二階へトタトタと上がってきて、ハイ、ママ!と渡す。そのいつもの流れをスマホのカメラをオンにしてソファで待っている間、確かに幸せだった。この3年、そういう小さな生活をつなぎ合わせて生きてきた。母の日のカーネーション、結婚記念日のサムシングブルーの花束、ホワイトデーの白い花束。3月、3月14日の――。
「この花って……」
 毎年、会社帰りにデパ地下で話題のスイーツを買ってくれるのに、あの年は何もなかった。わたしもホワイトデーなんて忘れてた。あの日、夫の帰りは遅かった。次の年から花束になった。
 白くてかわいい、優しい花――。

「あやとあの子に」

 その声は震えてる。

「でも、なんで……名前つけないほうがいいって言ったじゃん」こっちの声も震えてる。
「おおげさにしない方がいいって言ったじゃん」
 夫は黙る。福太が、夫とわたしの顔を交互に見て、オロオロとする。こんなのいけない。この子の前で。だけどわたしたちはもうすれ違っちゃいけない。その言葉を全身で待つ。
「……あやまで消えちゃいそうで」振り絞る声。
「わかってるんだ。あの時、なにかを間違えて、それで、あやはもう俺を許さないんだって。だけど、生きてるって思う前に死んじゃったから。わかるよ、なんて言えなかった。俺にはなんの傷もなくて圧倒的に部外者で。でもわかりたかった。それで東京タワーのぼって、帰りにここを見つけて」
 その目は赤らんでいる。
「後出しにしかならないけど、俺……、俺も」
 涙が頬に流れ、唇を伝う。
「あの子に生まれてほしかった」
 将也が泣いた。

 小さな手が伸びる。精一杯背伸びして。あわてて抱き上げる。その指が頬の涙をぬぐう。
「だいじょうぶだよ、パパ。だいじょうぶ、だいじょうぶ」福太が真剣な顔で言う。
 将也がわたしから福太を抱き取り、代わりにわたしは花束を受け取る。福太は将也のほおに顔をこすりつける。
「……ベタベタしてんなあ」
 将也が笑う。
「ざらざらしてんなあ」
 福太が笑う。
 二人を見て、わたしも笑う。
 あの子のお地蔵さん作ろう、と将也が言う。調べたんだ、ここでなら会いたいときにすぐ会いに来れるから。
 おじぞうさんつくるの? なにで? ねんどでつくるの? 福太が驚く。
「名前も彫れるって」将也が言う。
 もうあるよ、と私が答える。
「福の音って書いて、ふくねちゃん」
「ああ、やっぱり。なんか女の子な気がしてた」
 春の風が吹く。水色、ピンク、黄色、赤……
 何百ものかざぐるまが息を吹き返す。

――永原さんはどうなんですか?
 野中ちゃんに聞かれて、こう答えた。

わたしは……この恋はここまでにしようと思う

――できますかね、そんなこと

あの人を好きになった人がみんな会社辞めたわけ、今はよくわかる



エピローグ「この恋が叶いませんように」

 
 林檎剥いとったら皮と一緒に右の親指の薄皮一枚削いでしまった。削いだ瞬間はなんともなくて、けどそのうちぷつっと赤い血が出てきた。バンソーコーバンソーコー、と左手で引き出しを探るけど、葛根湯と太田胃散とルルとアレグラと、綿棒なんか白いのんと黒いのんと2つもあるのにバンソーコーが出てけえへん。しゃあないから指を吸う。しょっぱ甘い。口から出してたしかめたら、じんわりまだ血が出とる。ティッシュ巻いて、頭の中に「バンソーコー」ってメモして、皮剥きの続きして林檎食べてから、靴下履く。ほんま全部の靴下無印良品の黒にそろえてよかったわ。こういうんをライフハックゆうんやわ。パーカー羽織ってスマホをポッケに入れてセブンイレブンまで。けどやっぱ駅前のココカラファインまで歩くことにする。駅前通りの桜並木は花をつけだしたところ。桜の時期に風が強いのって嫌がらせとしか思えんよな、やけどそれが儚さ高めて結果的に価値も高めてんのかな、とか考えてるうちにココカラファインに着いて、バンソーコーはすぐ見つかった。なんかほかに買うものがあったはず。シャンプーあるし洗剤あるしサランラップもまだあったし、って考えて歯磨き粉のコーナーで立ち止まる。そうや、好きな歯磨き粉。好きな歯磨き粉なんて考えたことなかったけどたしかにめっちゃ種類ある。歯槽膿漏に大人の歯茎にホワイトニングに口臭に、だけど「好きな」ってことはもっと香りとか味とかか。ああそういえば、三色になってる歯磨き粉、あれってチューブの中ではどうなってるん? って三色の歯磨き粉、どこいった? え、もしかして廃番なってる? あった、あった、まだあった。レジ袋は断って右のポッケにバンソーコー、左のポッケに三色歯磨き粉。クレーンゲームみたいに俺の指、掴んで剥がしたあの子の指は冷たかった。ちょっとだけ、きぃくるいそうなった。 
 

(了)


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はじめから読む。

これはフィクションです。実在の人物、団体とは関係ありません。
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#創作大賞2026 #恋愛小説部門


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