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みらいめがね それでは息がつまるので/荻上チキ、ヨシタケシンスケ


荻上チキさんとヨシタケシンスケさんの共著
「みらいめがね それでは息がつまるので」を拝読しました📖´-
(2026,4,7 読了)


4/12㈰に開催された夜宵読書倶楽部の読書会テーマが「めがね」「時計」だったため本書を拝読。



本書は、“暮しの手帖”で連載されていた荻上チキさんのエッセイと、それに寄り添うヨシタケシンスケさんのイラストと言葉をまとめた一冊です。
シリーズ化されており、本作はその第一弾。

荻上さんはお名前こそよく拝見していたものの、ご著書を読むのは今回が初めてでした。
「評論家」という肩書きから、どこか堅く鋭い文章を想像していたのですが、実際はまったく違いました。

社会問題や生きづらさについて、ご自身のエピソードを織り交ぜながら、やわらかく、わかりやすい言葉で綴られています。
押し付けがましさはなく、読者と同じ目線に立ちながら、「いま何が起きているのか」を静かに見つめているような文章でした。

そして、その文章に寄り添うヨシタケさんのイラストと言葉がまた素晴らしいのです。
どこか脱力感がありながらも、ふっと核心を突いてくる。
力まずに真理へ触れてくる感じが、なんとも心地よく感じました。

特に印象に残ったのは、この言葉でした。

自分を守るためには、『他人を適切に嫌いになる作法』が必要になると思う。

荻上チキ



“適切に嫌いになる作法”という表現に、はっとしました。

人を嫌いになること自体は悪いことではない。
けれど、その嫌い方を間違えると、相手以上に自分自身を苦しめてしまうのだと思います。

私は滅多に人を嫌いになることはありません。
けれど、ごくたまに「この人は本当に無理だ」と感じる相手が現れます。

そして振り返ると、私は毎回、その“作法”を間違えていた気がします。
嫌悪感が強くなりすぎて、その人のことばかり考えてしまう。
気づけば相手への感情に自分の心が引っぱられ、結局は自分自身が追い詰められていました。

だからこそ、“適切に嫌いになる作法”という言葉が深く身に沁みたのだと思います。

また、ヨシタケさんのこの言葉も忘れられません。

我々はおそらく わかりあうことはできないけれど、わらいあうことならできるのかもネー

ヨシタケシンスケ



わかりあおうとする努力は、きっと大切です。
けれど、完全にわかりあうことなど、本当は不可能なのかもしれません。

むしろ、「わかりたい」という思いが強すぎるあまり、相手のことがどんどん見えなくなってしまうこともある。
「わからない部分があってもいいやん」と笑い合えていたなら、離れずに済んだご縁もあったのかもしれない――そんなことを考えました。

ヨシタケさんの良さは以前から知っていましたが、今回、荻上さんの文章にも強く惹かれました。
シリーズ化されている「みらいめがね」をこれからも追いかけたいですし、荻上さんの他のご著書もぜひ拝読してみたいです。





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