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そのシステム、まだ使ってるの?〜The Smashing Pumpkinsと経路依存性の罠〜

突然ですが、自己紹介ラップを披露させてください。
「俺は大阪生まれJ-POP育ち、悪そうなやつはだいたい他人♪」
ということで、今回はDragon Ash…ではなく、彼等の名曲「Grateful Days」のサンプリング元であるスマッシング・パンプキンズ/The Smashing Pumpkinsを取り上げたいと思います。

(※ところで、Grateful Daysがストリーミングでは聴けないって知ってました?久しぶりに聴きたくなった方はTSUTAYAへ走れ!またはフィジカルでの購入を!)

The Smashing Pumpkinsとビリー・コーガン

スマッシング・パンプキンズと言えば、個人的には日本の平成中期以降のロックサウンドに最も大きな影響を与えたバンドのひとつではないかと思っています。
メランコリックなメロディに轟音のギター、さらにプログレ的とも言われる複雑な展開…前述のDragon Ashのみならず、直接的、間接的はあれど後の様々な日本のバンドのサウンドの基本フォーマットを作ったと言えるのではないかと…完全に私の独断と偏見ですが。
(※ちなみにもう一方のルーツはOasisまたはRadioheadのUKロック系ですね)

前置きはこれぐらいで…まずはバンドの歴史を改めて振り返ってみましょう。

スマッシング・パンプキンズ(The Smashing Pumpkins)は1988年、シカゴで結成されました。
メンバーはビリー・コーガン(ボーカル・ギター)、ジェイムス・イハ(ギター)、ダーシー・レッキー(ベース)、ジミー・チェンバレン(ドラム)の4人です。

このバンドを語るとき、もっともよく使われる言葉が「ワンマンバンド」です。中心にいるのは常にビリー・コーガンで、楽曲の作詞作曲からサウンドの方向性まで、ほぼすべてをコーガンが握っている。
実際、1993年の2ndアルバム 「Siamese Dream」では、コーガンがドラム以外の大半のパートを自分で録音したという説まで…彼等の作品はバンドとしてのアルバムであっても、コーガンのほぼソロ作品に近い制作スタイルだったわけです。

なお、Siamese Dreamは全米ミリオンセラーとなり、スマパンはアメリカで最も重要なオルタナティブロックバンドのひとつになりました。
続く1995年の3rdアルバム 「Mellon Collie and the Infinite Sadness」は2枚組28曲入りという大ボリュームでしたが、これも大ヒット。バンドは文字通り世界の頂点を極めます。

そんな絶頂期に、事件が起きます。

1996年7月12日、ニューヨークでの公演を控えた前夜、ジミーとツアーキーボーディストのジョナサン・メルヴォインがホテルの一室でヘロインを使用。メルヴォインは翌朝、亡くなりました。ジミーは逮捕され、事件から8日後、バンドは声明を発表します。「ジミー・チェンバレンとの関係を解消することにした」と。
6年間ともにバンドを作り上げてきたドラマーとの、突然の別れでした。

コーガンの立場から見れば、この決断は合理的です。問題を起こしたメンバーを切りバンドを存続させる。組織として、やむを得ない選択です。正式なドラマー不在のままバンドは活動を続けました。

何か違う…問題作「Adore」

ジミーを失ったスマパンが1998年にリリースした4枚目のアルバム 「Adore」は、それまでとはまったく異なるサウンドとなります。
重厚な轟音ギターの壁や嵐のようなドラムは鳴りを潜め、ドラムマシンや打ち込みを中心にした内省的な作品へと変化した。
当時の批評的には決して悪くはなかったようです。「コーガンの新たな挑戦」「大人の音楽への転換」という評価もあった。でも多くのファンは感じていたはずです。
「何か違う…」

そう、「全部オレがやれる」はずのコーガンにも出来なかったこと。それはジミー・チェンバレンのドラムの代わりを用意することでした。

ジミーは端的に言って、異次元のドラマーです。ジャズ的なフレーズの引き出しを持ちながら、それをロックのダイナミズムで叩き切る。あのうねるような躍動感。音の塊がぶつかってくるような感覚。Adoreに欠けていたのは、まさにそれでした。

そして1999年、コーガンはジミーを呼び戻します。薬物問題での解雇から、わずか3年後のことです。

呼び戻されたジミーが参加した2000年のアルバム「Machina/The Machines of God」では、あのダイナミックなサウンドが戻ってきました。
そして同年、バンドは解散を発表します。

※なお、ベーシストのダーシーはアルバムレコーディング後の1999年に脱退、最後のツアーでは元HOLE(※カート・コバーンの妻で、ビリー・コーガンの元カノ、コートニー・ラブのバンドですね)のメリッサ・オフ・ダ・マーがベーシストを務めています。

その後のビリー・コーガン

解散後、コーガンは新しいバンドを立ち上げます。「Zwan」です。

スマッシング・パンプキンズというブランドに縛られず、新たなメンバーで、まったく新しい音楽をやる。2003年にアルバム「Mary Star of the Sea」 をリリースしました。
メンバーはボーカルギターのコーガンを中心に彼の旧友マット・スウィーニーや元A Perfect Circleのパズ・レンチャンティンなどオルタナティブ界の名プレイヤーたちが集まりました。
そしてドラムは─ジミー・チェンバレンでした。
「新しいバンドを作る」と言いつつ、コーガンはジミーを連れていったのです。(←さらっと書きましたが、意外と重要なポイントです笑)

Zwanは数年で活動を終えます。
その後、2005年、コーガンはついに自分の名前でソロアルバム 「The FutureEmbrace」を発表しました。今度はバンドの看板も外して、完全に「ビリー・コーガン個人」の作品です。(※ちなみにソロアルバムですが、収録曲DIAではジミーがドラムを叩いています)

しかし同じ2005年、コーガンはシカゴ・トリビューン紙とシカゴ・サンタイムズ紙に全面広告を打ちます。そこにはこう書いてありました。
「I want my band back.(バンドを取り戻したい)」

再結成、そして…

2006〜2007年、スマッシング・パンプキンズが再始動しました。ジェイムス・イハとダーシーは戻ってきませんでしたが、コーガンは新たなメンバーを迎え、バンドを動かし始めます。そしてドラムには…もちろんジミー・チェンバレンが戻ってきました。

しかし2009年、今度はジミーが自らバンドを離れます。前回のような事件があったわけではなく、穏やかな別れだったとされています。後任として迎えられたのが若手ドラマーのマイク・バーンで、バンドはその体制で数年間活動を続けました。

ですが2015年、コーガンはまたジミーを呼び戻します。

そして2018年。ついに、ジェイムス・イハまでもが再加入。コーガン+ジミー+ジェイムスという「4分の3の再結成」として大きな話題になりました。(残るダーシーだけは、様々な経緯から合流せず…)
そして、彼らは今も活動を続けています。

スマッシング・パンプキンズから考える組織論?

さて、スマッシング・パンプキンズの歴史から得られる示唆は何でしょうか?
ワンマンバンドの組織論?プレイングマネージャー論?
いろいろと考えられそうではありますが…

ですが、それ以上に彼らのメンバーの変遷を追っていくと面白いことが見えてきます。

いや、ジミー出戻り過ぎじゃない…?!

くっついて離れてまたくっついてって、何かのドラマ的なアレか?

…いや違う。私はこれをよく知っている。
これは、日本の企業にありがちな「レガシーシステム問題」だ!

「ジミー・チェンバレン問題」を整理する

製造業や経理の現場にいる方なら、こんな光景を見たことがないでしょうか。

「この基幹システム、古すぎるから新しくしよう」→移行プロジェクト開始→「現場が混乱する」「動かない業務が出てきた」→「やっぱり旧システムに戻そう」→「このシステム、古すぎるから…」以下略、というループです。

新しいシステムを入れるたびに「何かが違う」となって、結局もとに戻ってしまう。或いは新システムを入れても一部のプロセスだけは旧システムのまま…(生産設備とかでも同じような話ありますよね)
あれと、スマパンのジミー問題はまったく同じ構造をしています。

改めて、バンドの変遷を整理すると、こうなります。

〜1996 オリジナル4人体制(絶頂期)
1996 ジミー解雇(問題発生→後任ドラマーへ※サポートメンバー)
1998 Adore(「何か違う…」)
1999 ジミー呼び戻し
2000 解散
2001〜 Zwan結成─ジミーも加入
2003 Zwan解散
2005 ソロ活動─うまくいかない
2006〜 スマパン再始動(ジミーも呼び戻す)
2009 ジミー脱退・後任ドラマーへ(やっぱり「何か違う…)
2015 ジミーを再度呼び戻し、再加入
2018 さらにジェイムスも再加入、今に至る

さらにジミーの出入りだけ見ると…
96年にスマパンをクビ、99年再加入、00年スマパン解散、01年ZWAN加入、03年解散、06年スマパン再結成に参加、09年脱退、15年再加入…なんと加入と脱退を4周も繰り返しています。

コーガンは「全部オレがやれる」はずなのに、ジミーのドラムにかわるものだけは見つけることはできなかった。別のメンバーを入れるたびに「何かが足りない」となって、結局ジミーを呼び戻す。

製造ラインの旧式設備や、いわゆるレガシーシステムと呼ばれるような旧システム(黒い画面に緑の線みたいなやつ)を思い浮かべていただくと、わかりやすいかもしれません。新しいシステムに乗り換えようとするたびに現場が混乱する。なぜかはうまく説明できないけれど、とにかく「動かない」のです。

経路依存性の罠

この現象に、経済学・制度論の世界では「経路依存性(Path Dependence)」という名前がついています。

一度ある技術や仕組みに依存してしまうと、たとえ代替案があったとしても、乗り換えにかかるコストが高すぎて現状維持を続けてしまう──という考え方です。よく知られた例が、QWERTYキーボードです。現在のキーボード配列が生まれたのは19世紀のタイプライター時代で、「よく使う文字を分散させてキーの引っかかりを防ぐ」「タイプする速度を抑えて、タイプライターが壊れないようにする」という当時の機械的な理由からでした。今やその制約はないのに、私たちは今もQWERTY配列を使っています。より効率的とされる配列(Dvorak配列 等)が提案されても、乗り換えコストが高すぎて変えられないのです。

VHS対ベータマックスの規格争いなども事例として挙げられますが、私のような製造業の経理であれば、SAPや独自製造管理システム等の話でも置き換えてもらえると思います。

コーガンにとって、ジミーのドラムはまさにこれでした。
代替品を入れるたびに「何かが違う」となり、新しいバンドを作ろうとしてもジミーを手放せず、30年以上かけてそれを繰り返してきた。
しかも怖いのは、当事者が「やめたい」と思っていても関係ないところです。コーガンだって、ジミーとの関係が簡単ではないことはわかっていたはずです。それでも、代替できなかった。問題があるとわかっていても、切り替えるコストのほうが高い─これが経路依存性の本質です。

そしてたぶん、私たちの職場でも、いたるところで起きています。

今の最適解、という結論

ジミーは「安定したシステム」ではありません。かつてバンドに深刻な危機をもたらし、2009年には自らバンドを離れてもいる。「いつまた何かあるかわからない」という意味では、リスクのある選択肢であることは変わりありません。
それでもコーガンはジミーを呼び戻しました。
これを「正解」と呼ぶのは難しいと思います。今後また何かが起きないとも限らない。
でも、これが「今の最適解」なのだと思います。

理想の新構成に移行できないまま、旧来のメンバーで何とか今を乗り切る。どこかのタイミングで完全に刷新できるかもしれないし、このまま使い続けるかもしれない。

でも現状は、こうするしかない。

「仕方ないけど、今はこれで動かす」という判断を、私たちは毎日職場でやっています。
もしかするとコーガンも同じことをやってきただけなのかもしれませんね。

※ちなみに改めて強調しますが、ジミー・チェンバレンが唯一無二のスーパードラマーであることは間違いありません。Nirvanaのデイヴ・グロールやRage Against The Machineのブラッド・ウィルク(※一時期スマパンのサポートも務めた)、レッチリのチャド・スミスあたりのオルタナティブ界の名ドラマー比べてもそのテクニックと個性は圧倒的に際立っていると思ってます。その上で…ということなので。
ファンの人、お願いだから怒らないで下さいね!

追伸その1〜経路依存性の2つの意味〜

ちなみに経路依存性って、今回のブログようにどちらかと言えばネガティブな意味合いもあるんですが、一方で競争優位の源泉としてポジティブな使われ方をすることもあります。
独自の歴史や経験の積み重ねによって蓄積された経営資源は、他社が容易に真似できず、これが「模倣困難性」を生み出すというものです。
例えばトヨタ生産方式なんかは、他社が表面的にやり方を真似てもうまく行かない、みたいなやつですね。
こちらの側面から語るとすれば、ジミー・チェンバレンを楽曲の中で活かすという点で、コーガン程の人物はいない…というところでしょうか?実際、あれ程のドラムプレイヤーでありながら、やはり印象的なのはスマパンでの演奏です。

傍からは分かりませんが、お互いがお互いを補完し合う良い関係なのかもしれませんね。

追伸その2〜日本のロックシーンへの影響〜

本文でも書いたとおり、スマパンと言えば、平成の日本のロックサウンドにルーツと言って良いほど、大きな影響を与えた存在だと思います。メランコリックなメロディと轟音ギター、変化のある曲展開、時にニューウェーブっぽい繊細な楽曲など、日本人の感性に合うのかもしれません。

直接的な影響で言えば、やはりDragon Ashが挙げられます。
「Grateful Days」のイントロでのサンプリングのみに留まらず、曲名を引用シリーズで言えば、「天使ノロック」「Cherub Rock」(スマパンの「Cherub Rock(邦題 天使のロック)」から)や「SiVA」、イントロのギターで言えば、Grateful Daysの他に、Invitation(Buzz Mix)等にもスマパンからの引用が…更にサンプリング以上に初期の曲作りには影響を明確に感じられます。
また初期のART-SCHOOLやCoccoなど同時代でオルタナティブ的な音作りを志向するアーティストには多かれ少なかれスマパンぽさが感じられます。
何なら当時のもう少しJ-POPよりのアーティストにまで…これは当時のプロデューサー(根岸孝旨とか)の影響もありそうですが。
更に令和のアーティストで言えば、羊文学やkurayamisakaあたりも、直接的な影響か間接的な影響かは分かりませんが、しっかりスマパンのDNAが受け継がれているように感じられます。

そして、忘れてはいけないのがギタリストのジェイムス・イハですね。彼が1998年にリリースしたソロアルバム「Let It Come Down」は、スマパンのダイナミックなサウンドからうって変わってのアコースティックな作品。穏やかでドリーミーなインディーポップ作品で、当時のオシャレな界隈でよく聴かれていました。何なら日本中のカフェに置かれてたんじゃないかな?!
CHARAへの楽曲提供でも知られますが、青春映画の傑作「リンダ リンダ リンダ」の劇伴から、BEAMSとのコラボまで、日本のサブカルチャー界に今なお消えない足跡を残しています。


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