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ゎッホ展①ゎッホの発明ずは䜕だったのか――䞖界の「珟れ方」を描いた画家

はじめに

先日、東京郜矎術通で開催されおいるゎッホ展を蚪れたした。
本皿は、その展瀺を芳お感じたこず、考えたこずをもずにした感想ず評論です。

展瀺をひず通り芋終えたあず、私の䞭に残ったのは
「ゎッホは、いったい䜕を描いた画家だったのか」ずいう、ごく玠朎な問いでした。

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私たちが知っおいるゎッホ像

フィンセント・ファン・ゎッホずいう画家に぀いお、ご存知の方はある皋床共通したむメヌゞを持っおるず思いたす。

孀独で、貧しく、粟神的に䞍安定で、
耳を切り萜ずす事件を起こし、生前はほずんど評䟡されるこずなく、37歳で亡くなった画家。

いわば、「䞍遇の倩才」「狂気の画家」ずいう物語です。

それは決しお間違いではありたせん。
実際、ゎッホの人生は困窮ず䞍安に満ちおおり、生前に売れた絵もごくわずかでした。

ただ、その物語があたりに匷いために、
私たちは知らず知らずのうちに、
ゎッホの絵を「感情の吐露」や「内面の叫び」ずしお、最初から芋おしたっおいるのではないか。
今回の展芧䌚を通しお、私はそんな違和感を芚えたした。

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ゎッホは「感情」を描いたのではない

展瀺を芋進めるうちに、次第に匷くなっおいった感芚がありたす。

それは、
ゎッホは感情を描いた画家でも、
内面をそのたた吐き出した画家でもないのではないか、ずいうこずです。

圌が描こうずしたのは、
「自分が䜕を感じおいるか」よりもむしろ、
䞖界が、どのようにこちらぞ迫っおきたのか、
どのような仕方で、䞖界が立ち珟れおしたったのか、
その瞬間そのものだったのではないかずいう点です。

色や線は感情の蚘号ではなく、
䞖界がそう芋えおしたった、その「珟れ方」の痕跡だったのではないか。
そんなふうに私は感じたのです。

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本皿で考えたいこず

本皿では、ゎッホの技法や䜜颚を、いったん「印象掟」ずいう枠組みから切り離し、
圌の衚珟の栞心にあったもの──
蚀い換えれば、ゎッホの「発明」に぀いお考えおみたいず思いたす。

• ゎッホは、䜕を新しく描いたのか
• なぜあの色圩ず筆觊が必芁だったのか
• それは「衚珟」だったのか、それずも䞖界ぞの応答だったのか

たた、ゎッホ展に぀いおは3蚘事構成で考えおおり、2蚘事目では今回の展芧䌚がどのような意図で構成されおいたのか
3蚘事目では以前評論したミロやピカ゜ずいった他の画家ずの違いも芖野に入れながら、考察を進めおいきたす。

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ゎッホ以前の西掋絵画


印象掟ずは䜕だったのか

ゎッホを語る前に、避けお通れない前提がありたす。
それは、西掋絵画が長い時間をかけお「䜕を描こうずしおきたのか」ずいう問いです。

ルネサンス以降の西掋絵画においお、絵画ずは基本的に
「䞖界をいかに正しく、説埗力をもっお再珟するか」ずいう営みです。

遠近法によっお空間は統埡され、
解剖孊によっお身䜓は理想化され、
光ず陰圱は䞉次元的リアリティを保蚌するために甚いられたした。

そこでは、䞖界は秩序立ち、䞻䜓は安定し、
絵画は「芋る者にずっお分かりやすい」こずが前提ずされおいたのではないかず思いたす。

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印象掟の登堎――「正しさ」からの逞脱

モネ 睡蓮

19䞖玀埌半、そうした前提に揺さぶりをかけたのが印象掟ず呌ばれる画家たちです。

モネ、ルノワヌル、ピサロ、シスレヌ。
圌らが挑んだのは、「䜕を描くか」ではなく、
「どのように芋えおいるか」
でした。

たずえばモネの連䜜は、
同じ察象を、時間・倩候・光の違いによっお描き分けたした。
そこにあるのは、察象そのものよりも、芖芚の倉化、感芚の揺らぎです。

印象掟にずっお䞖界ずは
固定された実䜓ではなく
刻䞀刻ず倉化する光ず色の集合でした。

この点においお、印象掟は
「客芳的䞖界」を描く写実䞻矩から䞀歩離れ、
知芚そのものを䞻題化した最初の運動だったず蚀えたす。

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それでも印象掟は「䞖界の内郚」にずどたっおいた

しかし、ここで重芁なのは
印象掟が決しお「䞖界そのもの」を壊したわけではない、ずいう点です。

モネやルノワヌルの絵は
たしかに茪郭は揺らぎ、筆觊は分割されおいたす。
ですが、それでも䞖界は矎しく、調和的で、どこか安心できる

-䞖界は倉化するが、厩壊はしない
-䞻䜓は揺れるが、解䜓されない

印象掟の䞖界には、ただ
「䞖界は理解可胜である」ずいう前提が残っおいたす。

光はたばゆいが、暎力的ではない
色圩は豊かだが、䞍安を呌び起こすこずは少ない

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ゎッホは、印象掟の“内郚”から倖ぞ出た

ゎッホは、この印象掟的技法を受け取りながら、
その内郚にずどたるこずができなかった画家なのでは無いかず思いたす。

圌もたた、筆觊を分割し、色圩を解攟し、印象掟的な衚珟を甚いたした。

しかし、圌の絵にあるのは
「矎しく倉化する䞖界」ではありたせん。、

そこにあるのは、
迫っおくる䞖界
圧倒しおくる自然
䞻䜓の茪郭を溶かしおしたう珟実です。、

印象掟が「芋るこず」を曎新したのだずすれば、
ゎッホは「生きおしたうこず」の過酷さを描きたした。

この地点で、ゎッホは
印象掟の延長線䞊にいながら
同時にそこから決定的に逞脱しおいたす。

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ゎッホは「次の問い」を描いた画家だった

印象掟が問うたのは、
「䞖界はどのように芋えおいるか」ず先ほど曞きたした。

しかし、ゎッホが突き぀けたのは、
「䞖界は、なぜこれほど匷く私たちに珟れおしたうのか」
です。

そこでは
䞖界ず䞻䜓の境界は曖昧になり
芋るこずは、感じるこずぞ
感じるこずは、生きるこずぞず接近しおいく

ゎッホは、印象掟を手段ずしお通過し
その先で、䞖界ず䞻䜓の関係そのものを描こうずした画家だったのではないでしょうか。

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1. ゎッホの発明①䞖界を「感情」ではなく「珟象」ずしお描く

ゎッホ 星月倜1889幎

ゎッホの絵を前にしお、誰もが䞀床は奇劙な違和感を芚えたこずがあるず思いたす。
䟋えば
• 空が緑色に芋える
• 倜なのか昌なのか刀然ずしない
• 色圩が珟実ずかけ離れおいる
• どこか䞍安で、萜ち着かない

これらはしばしば、「感情的」「䞻芳的」「デフォルメされた衚珟」ずしお説明されおきだのではないかず思いたす。
ゎッホの内面が、激しい感情ずなっお画面に噎き出したのだ、ず。

しかし、今回の展芧䌚で展瀺されおいた初期の写実的な䜜品や、確かなデッサン力を持぀習䜜矀を芋おいるず、その説明にはどうしおも違和感が残りたす。

ゎッホ 防氎垜を被った持垫の顔1983幎

(展瀺䌚2章でこの絵を芋た時、マゞで痺れたせんでした䞊んでいた他の絵ず比范しおうたすぎる!!)

ゎッホは、描けなかった画家ではありたせん。
写実を捚おざるを埗なかった画家でもありたせん。

それでも圌は、あの色を遞び、あの筆觊を遞び続けたのです。

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「䞻芳的」なのではなく、「そう芋えおしたった」

ここで重芁なのは、
ゎッホの絵が「感情を投圱した䞖界」なのか、それずも「芋えおしたった䞖界」なのか、ずいう点である。

ゎッホにずっお䞖界は、安定した客芳的察象ではなかった。

倪陜は、ただそこにある倩䜓ではない
圧ずしお、重量ずしお、こちらぞ迫っおくる存圚でした。

空は、単なる背景ではない
地䞊ず同じ匷床を持ち、同じリズムでうねり、蠢くものでした。

人物はしばしば画面の䞭心に眮かれるが、
その茪郭は背景ず溶け合い、䞖界の䞭に吞収されおいるような。

そこには、「私が䞖界を芋る」ずいう構図よりも、
「䞖界が先にあり、そこに私が巻き蟌たれおいく」ずいう感芚がありたす。

ゎッホの色圩は、感情の象城ではない。
むしろ、䞖界がそう立ち珟れおしたった結果ずしおの色なのではないか、そう私は感じたした。

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内偎ず倖偎が反転する地点

䞀般に、衚珟䞻矩的な絵画は「内面→倖界」ぞの投圱ずしお理解されおいるのではないかず思いたす。
しかし、ゎッホの絵を芋おいるず、その方向が逆転しおいるように感じられたした。

䞖界が先にあり、
その匷床やうねりが、䞻䜓の内偎にたで流れ蟌んでくる

だからこそ、ゎッホの「内面」ず「倖界」は分離されない
圌の内偎ずは、䞖界がそのたた流れ蟌んだ堎所にほかならないのではないかず。

ゎッホの内偎䞖界なのである。

そのため、圌の絵は自己䞭心的でありながら、同時に自己を超えお広がっおいく
䞭心はある
だがその䞭心は、䞖界に溶け、拡散しおいく

ひたわりの背景が黄色であるこずの「奇劙さ」も、この地点においお理解できたす。

䞭心ずなるモチヌフが、背景ず同じ色を持぀
それは匷調であるず同時に、同䞀化でもある

䞖界ず察象の境界が、溶け始めおいるのだ

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ゎッホの発明ずは䜕だったのか

ゎッホの発明は、
• 䞖界を再珟したこずでもなく
• 内面を衚珟したこずでもなく

䞖界が、どのような仕方で珟れおしたったのか
その「珟象そのもの」を描いたこずだったのではないかず思いたす。

それは印象掟的技法の延長に芋えながら、
実際には、印象掟がただ螏み蟌んでいなかった地点に足を螏み入れおいるず。

䞖界を芋る䞻䜓ず、芋られる䞖界が、ただ分離しきっおいない地点
そこでゎッホは、絵を描いたのです。

この「珟象ずしおの䞖界」を描く態床こそが、
埌の衚珟䞻矩ずも、シュルレアリスムずも異なる、
ゎッホ固有の堎所だったのではないでしょうか。

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2. ゎッホの発明②印象掟的技法は、目的ではなく手段だった

ゎッホは印象掟の文脈で語られるこずがあるず思いたす。
時代もさるこずながら、短い筆觊、原色に近い色圩、茪郭の曖昧さ
技法的な特城だけを芋れば、確かにその系譜に䜍眮づけるこずは容易です。

しかし、ここで䞀床立ち止たる必芁がありたす。

印象掟が远求したものは䜕だったのか
それは「光の倉化」であり、「芖芚の瞬間性」でした。
移ろう光、反射、空気感──
䞖界をどれだけ新しく、どれだけ正確に“芋る”こずができるか。
印象掟の革呜性は、芖芚の曎新にあったのです。

その意味で、印象掟は間違いなく矎術史における倧きな革呜です。
写真の登堎以埌、写実の圹割が揺らぐ䞭で、
「芋るこず」そのものを問い盎した功瞟は蚈り知れたせん。

ですが、ここであえお䞻芳を述べるならば、
印象掟は芞術の衚珟技法ずしおは革新的だったが、
芞術が本来持ちうる「自明性の砎壊」──
぀たり、私たちが䞖界を圓然のものずしお受け取っおしたう感芚そのものを壊す力は、
必ずしも匷烈ではなかったのではないか、ず私は考えたす。

印象掟の絵は矎しい
だが倚くの堎合、その矎しさは「䞖界を心地よく曎新する」方向に働きたす。
䞖界が揺らぐずいうより、掗緎されるに近いです。
芋る䞻䜓の内面が壊されるずいうより、掗われる、救われる等

䞀方で、ゎッホの絵から䌝わっおくるのは、
光のきらめきよりも、䞖界の重さや圧力です。、

空はきらめくのではなく、うねる
颚景は軜やかではなく、身䜓にたずわり぀く
色圩は快楜ではなく、時に䞍安や違和感を䌎っお迫っおくる

ここに、印象掟ずの決定的な差異がありたす。

ゎッホにずっお印象掟的技法は、目的ではありたせん。、
「光を描きたい」「芖芚の瞬間を捉えたい」ずいう欲望のための技法ではありたせん。

むしろそれは、
「この䞖界を描くには、埓来の写実では足りない」
ずいう切実な必然から遞び取られた手段だったのではないでしょうか。

事実、オランダ時代のゎッホの写実力は非垞に高いです。(先ほどの防氎垜を被った持垫の顔)

陰圱、構造、量感──
どれをずっおも、基瀎胜力の䞍足を感じさせるものはありたけん。
デッサン力においおも、圌はすでに十分すぎるほどの氎準に達しおいたした。

だからこそ、パリ以降の筆觊や色圩は
単なる技術的な「進歩」でもなければ
感情が抑えきれなくなった結果でもなく、

それは、
䞖界がそう芋えおしたった以䞊、そう描かざるを埗なかった
ずいう遞択の集積だったのではないかず思いたす。

印象掟的技法は、ゎッホにずっお衚珟の到達点ではありたせん。
䞖界を描くために、䞀床通過され、拡匵され、
そしお別の地点ぞず抌し出されおいった手段だったのです。

この点においお、ゎッホは印象掟を「完成させた」のではなく、
その技法を䜿い切り、超えおいった画家だったず蚀えたす。

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結──ゎッホは䜕を発明したのか

今回のゎッホ展を通しお匷く感じたのは、
ゎッホが実は「感情を描いた画家」でも、「内面を吐露した画家」でもなかった、ずいうこずです。

圌が描こうずしたのは、
䞖界がどのように立ち珟れおしたったか──
その珟象そのものだった。

印象掟的技法は、そのために遞び取られた手段にすぎたせん。
短い筆觊も、匷い色圩も、デフォルメも
䞖界を矎しくするためではなく
䞖界の重さや圧力をそのたた匕き受けるために必芁でした。

ゎッホの発明ずは、
䞖界を再珟するこずでも、内面を衚珟するこずでもなく、
䞖界の「珟れ方」を描くずいう地点に絵画を抌し広げたこずだったのではないでしょうか。

次回は、
今回の展芧䌚の意図
-なぜ「ゎッホの䜜品が少ない構成」だったのか
-圱響関係の連鎖A→A’→Bを匷調しおいたのか

その展瀺意図に぀いお、もう少し螏み蟌んで考えたす。
楜しみにしおください。
第2郚曞きたした↓

かなり長くなっしたいたしたが、読んでくださっおありがずうございたした
感想に共感いただけた方、もしよければチップいただけるず嬉しいです。
次回䜜ぞのモチベヌションになりたす

いいなず思ったら応揎しよう

杉山 ありがずうございたす モチベアップに繋がりたす たた、リク゚ストがあればお願いしたす