隣に座って、一緒に画用紙を眺める
今回読ませていただいたのは、
空波さんの『夏の1コマ|海を緑に塗った子と、締切を破った私』。
締切から逃げて公園にやってきた大人と、緑色の海を描いた男の子。
同じベンチに座った二人を見ていたら、
私は、ある一言が抜けなくなっていました
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「平日の昼に、公園でひとりでアイス食べてるから」
この台詞を読んだとき、反論できなかったのは主人公じゃなくて、私の方だった。
わかる。私も似たようなことを、何度もやっている。締切を抱えたまま、関係のない場所に立っている自分に、後から気づく瞬間がある。
この作品を読み終えて、最初に浮かんだのは「いい話だった」ではなかった。
あの子が広げた画用紙のことを、もう一度見に戻りたくなった。
緑の海。紫の太陽。脚が七本あるタコ。
普通なら、ここで「自由な発想がすてき」と流してしまいそうになる。でも、この絵には理由がついている。
「曇ってて、わかめのお味噌汁みたいな色だった」
これは自由な発想ではなく、観察だ。
あの子は適当に緑を選んだんじゃない。
本当にそう見えた日があって、その記憶をそのまま画用紙に置いている。
だから「海は青でしょ」と言われたとき、
あの子はきっと、色を否定されたんじゃなくて、自分が見たものそのものを否定された気がしたんじゃないか。
私はそこで、少し止まってしまった。
そしてこの作品、実はもう一つ「はみ出し」を隠し持っている。
「……絵の具の水も、こぼした」
「お母さんのパソコン」
海を緑に塗ったことと、パソコンに水をこぼして黙って出てきたこと。
私は最初、この二つを同じ「やらかし」として読みかけた。
でも読み返すと、なんだか同じ棚に置いていいものか、わからなくなる。
海の色は、あの子にしか見えなかった色だ。
誰にも否定できない。
でも水をこぼしたことは、たぶん、あの子自身も「まずい」とわかっている。
だから黙って外に出てきた。
この二つを一緒くたに「子どもは自由でいいよね」と読んでしまったら、たぶん私はこの作品のいちばん面白いところを取りこぼす。
主人公も、たぶん途中でそこに気づいている。
だから、簡単には言わない。
言い方を選んでいる。その選び方に、この短編のいちばんの緊張感がある気がした。
私にも、似たようなことがあった。
婚活のセッションで、ある方が「今日はもう会うのをやめようと思って、連絡もせずに帰ってきました」と話してくれたことがある。
会うのをやめたいと思ったこと自体は、
私は否定しなかった。
その人が感じたことだから。
でも、連絡せずに帰ったことについては、
「それは、ちゃんと言った方がよかったかもしれませんね」と伝えた。
同じ日に起きた二つのことを、私は同じ大きさで扱わなかった。あのとき初めて、自分がそういう分け方をしていることに気づいた。
正しいかどうかは、今もわからない。
ただ、あの人が感じたことと、
あの人がした行動を、私は無意識に別のものとして扱っていた。
今のセッションでも、答えを教える立場にはならないようにしている。
こちらが正解を出した瞬間、その人はまた誰かの正解に合わせにいってしまう。
だから、何が正しいかではなく、
本人が何を感じて、何を避けているのかを、
一緒にほどいていく。
海が緑に見えた。その事実に、そもそも正解も不正解もない。
私にできるのは、隣に座って、一緒に画用紙を眺めることくらいだと思っている。
この短編を読んで、あの日のことを思い出したのは、たぶん偶然じゃない。
木漏れ日の下で、あの子とおじさんが、それぞれ違う理由で公園に逃げてきている。
片方は色を否定され、片方は締切から逃げている。二人とも同じベンチに座っているのに、
抱えているものはまるで違う。
有料部分を読んで、無料部分だけで受け取っていた「海の色」の話は、思っていたよりずっと手前にある話だったんだと分かった。
この先に何が待っているのか。そこには、無料部分の温度とはまた違う手触りがある。
そして、もう一人の家出人のことも忘れられない。
主人公は、書けない文章から逃げてきた。
「夏の思い出」というテーマだけなら、何かしら書けたのかもしれない。でも、爽やかで、懐かしくて、読後に少し元気が出るものを、と言われた途端、夏には正解の色があるような気がしてくる。
私はここを、他人事では読めなかった。
文章を書いていると、いつの間にか「何を書きたいか」より、「どう書けば読まれるか」を考えていることがある。
この書き出しなら続きを読んでもらえる。
この題材なら反応がある。
このくらい説明した方が伝わる。
どれも間違ってはいない。私だって考える。
でも、そればかり考えていると、ときどき自分が何を見ていたのかわからなくなる。
海は青い方が海らしい。
夏は爽やかな方が夏らしい。
文章は、わかりやすい方がいい。
そうやって覚えた「らしさ」は便利だけれど、自分が本当に見た色まで塗り替えてしまうことがある。
だから私は、あの子の絵よりもむしろ、書けなくなって公園に逃げてきた大人の方に、自分を重ねたのかもしれない。
書けないとき、足りないのは言葉じゃないのかもしれない。
まだ、自分が見た色を見ていないだけなのかもしれない。
木漏れ日の下で交わされたやり取りの続きは、正直、無料部分を読んだだけでは想像していた形と少し違った。
海を緑に塗ったこと。パソコンに水をこぼして黙って出てきたこと。
この二つが、この先どんな形で着地するのか。
そこから先は、続きを読んでもらう方がいいと思う。私が書いてしまうと、たぶんこの短編のいちばんいいところを、私が奪うことになる。
感想部分:2,141字
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