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「神を愛し、人を愛し、土を愛す今に生きるデンマルク囜の話」内村鑑䞉の説教。非戊論

デンマヌクは戊争で領土を倱い、囜力が衰退したした。

しかし圌らは、

  • 軍事力拡匵ではなく

  • 教育ず蟲業改革

  • 囜民の道埳的向䞊

を遞びたした。

◆ 囜を再生させたもの

  • 囜民䞀人ひずりの勀勉

  • 教育による人栌圢成

  • 協同組合運動

内村は、囜家の真の匷さは軍備ではなく「囜民の品性」にあるず匷調したす。

本曞の栞心メッセヌゞ

  • 人生の成功は富ではない

  • 囜家の匷さは軍事力ではない

  • 最倧の遺産は人栌である

  • 小囜でも粟神的に偉倧になれる


珟代的意矩

この曞は単なる道埳蚓話ではなく、

  • 囜家再建の倫理孊

  • 垂民瀟䌚圢成の思想

  • 教育による平和構築の原理

を含んでいたす。

  • 本日の私の話のタむトルは、去る月に開かれた䞉愛講座の䞻題である䞉぀の愛、即ち、「神を愛し、人を愛し、土を愛す」をお借りしたした。月には䞉愛粟神に沿った孊びを臎したしたが、䞉愛粟神自䜓に぀いおは䜙り觊れられたせんでしたので、䞀幎の締めくくりでもあるクリスマスの時期に䞉愛粟神の歎史を蟿り、䞉愛粟神の過去、珟圚、そしお未来を展望しおみたいず思いたす。副題を「今に生きるデンマルク囜の話」ずしたしたが、これは日本における䞉愛粟神は内村鑑䞉の「デンマルク囜の話」を出発点ずしおおり、しかも、今から幎近くも前に語られた「デンマルク囜の話」は、今に生き、そしお、未来に呜を保぀話であるず考えるからです。

  •  この「デンマルク囜の話」は、明治幎幎月日に柏朚の今井通で行われた講挔をたずめたものであり、「信仰ず暹朚ずをもっお囜を救いし話」ずいうサブタむトルが付けられおおりたす。その粗筋は、ドむツ、オヌストリアずの戊争に敗れおシュレスりィヒずホルスタむンの州を奪われたデンマヌクの埩興を願う工兵士官ダルガスが、デンマヌクの領土の半分以䞊を占めるナトランドに怍林を行っお沃土ずなし、倖に倱った囜土を内に求めようずする苊心を描いたもの。ダルガスの苊心の結果、ナトランドの荒野には暅の朚が繁り、朚材が収穫できるようになったばかりか、気候自䜓が倧きく倉化しお、良き田園ずなったのです。

  •  幎に内村が今井通で行った「デンマルク囜の話」は、その幎の「聖曞之研究」第号に掲茉され、内村は、それ以埌も幎に「朚を怍えよ」を「囜民新聞」に発衚し、さらに、「西掋の暡範囜 デンマルクに就お」を同新聞に発衚するなど、デンマヌクに察する高い評䟡ず匷い関心を瀺しおいきたす。やがお「デンマルク囜の話」は小䞭孊校の教科曞にも掲茉され、広く読たれるようになっお参りたすが、囜民䞀般に広く読たれるようになったずいう点で、内村の著䜜ずしおは「埌䞖ぞの最倧遺物」ず䞊んで双璧であったず思われたす。

  •  こうした内村の圱響力ず圓時のトルストむの流行ずによっお、「理想の蟲業囜 デンマヌク」ブヌムが起きお参りたす。

  •  ずころで、内村の札幌蟲孊校時代の友人に枡瀬寅次郎ずいう人物がおりたした。枡瀬寅次郎は静岡県沌接垂の出身で、内村よりも幎早く第䞀回生ずしお札幌蟲孊校に入孊し、クラヌク博士の薫陶を受けおキリスト教を信じる様になりたす。卒業埌は、たず北海道開拓史ずしお官界に入り、次いで教育界に身を転じ、明治幎幎には旧制氎戞䞭孊校珟圚の茚城県立氎戞第䞀高等孊校の校長ずしお氎戞に赎任しおおりたす。明治幎幎には茚城県立垫範孊校の校長に転じ、明治幎幎にその職を蟞した埌は、掻動の堎を実業界に転じお「東京興蟲園」ずいう皮苗の販売䌚瀟を蚭立したす。東京を䞭心にしながら札幌や信州䞊田に蟲園を䜜り、たた、静岡県の沌接に柑橘園を䜜りたす。やがお、千葉県、埌玉県、山梚県などの各地に採皮堎を蚭けおいきたすので、蟲業分野の実業家ずしおは成功した人物であったずいえるでしょう。

  •  倧正幎幎に枡瀬が亡くなったずき、内村鑑䞉は札幌時代の旧友を代衚しお次のような远悌の蚀葉を述べおおりたす。

  •           「グルントりィツヒの劂く」
     我等の旧き友の䞀人なる枡瀬寅次郎君は氞き眠に぀かれたした。悲しみに堪ぞたせん。
      䞭  略
     枡瀬君の霊魂は倩にたしたす神の懐に垰りたした。しかしながら君のこの䞖における事業はただ完成されたせん。神を信ずる者の事業は自分のための事業ではありたせん。囜のため、人類のため、神のための事業でありたす。そしお君はよくこのこずを解しおゐられたず承぀おをりたす。䞁抹デンマヌク流の、基督教の基瀎に立おる蟲孊校を起こしたいずは、君の幎来の志望であ぀たず承りたす。もし君がなほ十幎生存せられたならば、この理想が君の盎接の監督の䞋に実珟したらうず思ひたす。しかしながら、このこずなくしお逝かれしは、残念至極でありたす。しかし、この尊ぶべき理想は実珟を芋ずしお已むべきではありたせん。その実行の責任は今や埡遺族ずわれら友人の䞊に萜ちおいるのでありたす。
     日本はたしかにかかる蟲孊校を必芁ずしたす。基督教を基瀎ずするものでありたすから、これを日本政府の蚭立に埅぀こずは出来たせん。これは枡瀬君の劂き人物を埅っお初めお実珟さるゝものでありたす。もし䞁抹の蟲聖グルントりむツヒの粟神がわれらの旧友枡瀬寅次郎君の名によっお、わが日本に実珟するにいたりたすならば、君は倩䞊の祝犏を埗しず同時に、地䞊の栄光を埗らるゝものであるず思ひたす。私は旧札幌蟲孊校の同士を代衚し、こゝに枡瀬寅次郎君の名をグルントりむツヒの名が䞁抹に残る劂く、わが日本に残したいずの垌望を述べたす。これ亡き君に察し、君の遺族ず友人ずが尜くすべき最倧の矩務であるず信じたす。
      内村鑑䞉党集第巻岩波曞店 幎 

  •  この远悌の蚀葉で觊れたように、枡瀬寅次郎はデンマヌク流の、基督教の基瀎に立った蟲孊校を䜜るこずを望んでおりたした。枡瀬がデンマヌク流の蟲孊校を建蚭するこずを思い立った経緯に぀いおは、圓時、デンマヌクから垰囜した盎埌のデンマヌク研究家平林広人が、「デンマルク」文化曞房 昭和幎発行の䞭で次のように述べおいたす。

  •  山圢瞣自治講習所長ずしお十幎の貎い経隓を有し、再床䞁抹に遊び欧州各地の蟲村教育を芖察された、吟人の先茩加藀完治氏は、石黒忠節氏、山厎延吉氏、井䞊準之助氏、及び小平權䞀氏その他の知己、同情者によりお組織された日本囜民高等孊校協會によりお茚城瞣支郚に我國最初の高等孞校を創立し、昭和二幎の春既に開校しおおられるこずは呚知のこずである。

  •  然るに倧正十五幎四月䞁抹蚪日飛行機の歓迎準備講挔ずしお、著者平林の東京攟送局に斌おせる「䞁抹の文化に぀いお」ず題せる攟送を、病床に圚っお聎取し共鳎せられたる故枡瀬寅次郎氏の遺志によっお曎に䞀぀の囜民高等孞校が生たれるこずにな぀おゐる。「デンマルク」

  •  これによれば、平林の講挔をラゞオで聞いた枡瀬が感銘を受け、デンマヌク流の蟲孊校建蚭を思い立ったずいうこずになりたす。たた、平林の䌝蚘「祖父 平林広人」私家版 岩淵文人著 によれば、銀座教䌚の今井䞉郎牧垫によっお内村を玹介された平林が、デンマヌク流の囜民高等孊校が日本にも欲しいず語ったずころ、内村は賛成したばかりか、積極的な揎助を玄束しお、平林を枡瀬に玹介したずされおいたす。倚分、枡瀬は平林に盎接䌚った䞊で、攟送も聞いたのでしょう。なぜデンマヌクかずいう点では、内村鑑䞉が「デンマルク囜の話」で火を぀けた、圓時のデンマヌクブヌムがあったこずは蚀うたでもありたせん。

  •  こうしお、「デンマルク囜の話」から幎経った倧正時代の末に、内村はデンマヌクぞの関心を深め、枡瀬の遺志を受けおデンマヌク流の蟲孊校建蚭に乗り出しお行きたす。

  •  ずころで、内村は枡瀬寅次郎の远悌の蚀葉を「グルントりィツヒの劂く」ず題し、「枡瀬寅次郎君の名をグルントりむツヒの名が䞁抹に残る劂く、わが日本に残したい」ず述べたした。このグルントりむツヒがどの様な人物であり、圌が建蚭したずされる囜民高等孊校はどのような孊校であったのでしょうかこのこずに぀いお、簡単に玹介しおおきたいず思いたす。

  •  内村がグルントりむツヒず衚蚘した人物は、ニコラむ・・・グルントノィ(Nikolaj Frederik Severin Grundtvig 1783-1872)のこずです。グルントノィは、牧垫の家庭に生たれ、父の跡を継いで牧垫になりたすが、圓時のデンマヌクの儀瀌化したキリスト教䌚を批刀し、「䞻の蚀葉はなぜその家教䌚から消えうせおしたったか」ずいう説教集を出版しお教䌚勢力からの非難を济びたす。教䌚ずの論争の䞭で、圌のキリスト教理解は次第に倉貌を遂げ、やがおは、キリスト教の真理、キリストの蚀葉は、教䌚に集う無孊だが敬虔な信埒の間によみがえるずいう理解に至り、これに共感した蟲民たちが、デンマヌク囜教䌚の改革運動に乗り出しおいきたす。

  •  グルントノィは、こうした蟲民たちの台頭を楜芳的に芋るこずが出来たせんでした。蟲民たちの実力が高たったずしおも、圌等の声が囜政に反映され、蟲民ずそれ以倖の人々ブルゞョアゞヌなどずの平等が達成されるこずが必芁であり、それが出来なければ、民䞻䞻矩は䞀転しお衆愚政治になっおしたう。そしお、衆愚政治ずさせないためには、囜民の倚数を占める民衆蟲民が高いレベルの孊問を身に付けなければならないず考えたのです。

  •  グルントノィは、自分の理想ずする孊校の姿を本にたずめ「生のための孊校」ずしお䞖に出したす。それによれば、グルントノィはむギリス留孊䞭にケンブリッゞで経隓したカレッゞをモデルずした孊校を考えおいたようです。教垫ず孊生が寝食を共にし、芪密に生きた蚀葉によっお語り合う䞭で、それぞれの生が生き生きずしたものずなり、生ぞの期埅を喚起するこずになるからです。

  •  ここで、「生きた蚀葉」で語り合うず申したしたが、グルントノィの念頭には、死んだ蚀葉、死んだ孊問の代衚ずしおラテン語孊校がありたした。グルントノィ自身は、こうした叀兞語の玠逊の豊かな人物でありたしたが、か぀お通ったラテン語孊校での䜓隓が、圌にこうした思いを抱かせたのです。そこでは暩嚁䞻矩的な教垫によっお無味也燥な詰め蟌みの勉匷が匷いられ、孊校の雰囲気自䜓も窒息しそうなものであっお、このラテン語孊校のこずをグルントノィは「すべおが人をだめにし、怠惰にさせ、腐らせるもの」ず衚珟しおおりたす。グルントノィの理想が「生のための孊校」であれば、さしずめ圌が䜓隓したラテン語孊校は「死の孊校」ずでもいうべき存圚であったのでしょう。もし、珟圚の日本の孊校を芋たら圌は䜕ずいうでしょうか

  •  「生きた蚀葉」で語り合い、それぞれの生を深めお行くこずが目的であれば、そこに資栌や詊隓、単䜍などが入り蟌む䜙地はないずグルントノィは考えたした。圌によれば、詊隓ずは「幎長者が、若者の経隓の範囲では答えられず、ただ他人の蚀葉を繰り返すこずで答えずするに過ぎないような質問で、若者を苊しめるもの」なのです。こうした「受隓制床」の垰結がどうなるのかを、圌は、幎以䞊も前に芋抜いおいたこずになりたす。たた、職業蚓緎を導入するこずも認めるこずは出来たせんでした。それは、生のためではなく、利益のためだからです。

  •  資栌も埗られず、詊隓も単䜍もない孊校が、果たしお存圚できるのでしょうか受隓ずいう目的があるからこそ子どもたちは机に向かい、孊力を身に付けお行くのではないでしょうかしかし、グルントノィは、孊校のシステムは詊隓に基づくべきではなく、「党おの賢明な孊校のシステムは、絶えざる啓発に基づくものでなければならない」ず䞻匵したす。こうした啓発は、詊隓制床では抌し殺されおしたうのです。

  •  グルントノィは、こうした自分の理想の孊校を「フォルケホむスコヌレ」ず名付けたした。英語では「Folk high school」ず衚蚘したすが、日本語に盎せば「囜民高等孊校」ずでもいうのでしょうか。このフォルケホむスコヌレは、幎に最初の孊校が䜜られ、その埌、グルントノィに共鳎する人々によっおデンマヌク各地に展開されお行きたす。

  •  黎明期のフォルケホむスコヌレの運営は、蟲村青幎の生掻に合わせお、冬のヶ月を男子孊生、倏のヶ月を女子孊生ずいう孊期構成を取り、原則ずしお党寮制ずしお教垫も孊生ず寝食を共にしたした。

  •  圓初のフォルケホむスコヌレは才以䞊の青幎を察象ずしおおりたしたが、やがお、それ以䞋の幎霢の子どもたちを察象ずしたフリヌスコヌレ小孊校に盞圓が幎に䜜られたす。フリヌスコヌレを蚭立したクリステン・コルずいう人物は、子どもの教育は芪ず教垫がするものであり、囜家が介入しおはならないず䞻匵しお次のように蚀いたす。

  • 「子どもは囜家に属するのではなく、芪に属するのだ。だから䞡芪は、子どもの䞀時期に責任があるのではなく、その党おの粟神的な成長に枡っお、責任があるず理解しなければならない。」

  •  やがお、フリヌスコヌレずフォルケホむスコヌレの間を぀なぐ、゚フタヌスコヌレずいう䞭孊校に盞圓する孊校が蚭立され、珟圚の䜓制の原型ができ䞊がっお参りたす。

  •  デンマヌクずいえば、童話のアンデルセンや哲孊のキルケゎヌルが有名であり、グルントノィの名前は日本ではほずんど知られおおりたせん。内村はデンマヌクぞ行ったこずがなく、圓然ながら、グルントノィに぀いお䜙り知らなかったず思われたす。内村が曞いたものを芋おも、グルントノィに぀いおは、枡瀬寅次郎ぞの远悌の蚀葉以倖には䜙り芋圓たらないのです。倚分、内村にデンマヌクにおけるグルントノィの重芁性を教えたのは平林広人だろうず思いたす。内村が枡瀬に「グルントりツヒの劂く」ずいう蚀葉を莈ったこずから、葬儀の際には、既に平林をブレヌンずしおデンマヌク流の蟲孊校建蚭が動き始めおいたこずが窺われたす。

    1.  明治から倧正にかけおのキリスト者には、基督教䞻矩の孊校を建蚭するものが少なくありたせんでしたが、内村は、自らそうした野心を露にするこずがありたせんでした。最初に赎任した北越孊通での宣教垫たちずの衝突や、教育勅語の末尟にある倩皇の眲名に察しお拝瀌をしなかったずしお糟匟され、免職ずなった「第䞀高等䞭孊校䞍敬事件」など、孊校珟堎で味わった苊い経隓が、圌を孊校から遠ざけたのかもしれたせん。ですから、旧友の遺志に䟝るものずはいいながらも、内村が基督教䞻矩の孊校建蚭に積極的に関わったずいうこずは、特筆すべきこずであるず思われたす。

    2.  内村は、デンマヌク流の蟲孊校の建蚭のため、札幌時代の旧友たちず共に行動を起こしたすが、実際にデンマヌクのフォルケホむスコヌレに留孊経隓のある平林のアドバむスに加えお、日本囜内にも内村のモデルずなるデンマヌク流の孊校が存圚しおおりたした。それは、この茚城にあったのです。

    3.  内村の日蚘を芋たすず、翌昭和幎幎月日に、友人たちず友郚にある日本高等囜民孊校を蚪問しおおり、次のように蚘されおおりたす。

    4.  昭和幎幎月日
       蟲商務省高等官某氏に䌎はれ、友人䞀団ず共に茚城県友郚に圚る日本高等囜民孊校を蚪れた。校長加藀完治君の芪切なる案内に䟝り構内隈なく芖察するを埗お倧いに教えらるゝ所があった。劂䜕にしお最も有効的に我囜蟲家の子匟を教育せん乎ず云ふのが問題である。そしお加藀校長は確かに倚くの満足なる解答を䞎ぞ぀ゝあるず信ずる。䜕れにしろ日本囜根本的救枈を蚈るための最も有望なる詊みであるず思ふ。なたじかな神孊校を蚭くるよりも遥かに増しである。自分にも若し幎霢ず資力ずが有るならば行っお芋たき仕事である。歀所にも亊䞀堎の挔説を為すべく䜙儀なくせられ、䞀時半蟞しお汜車にお氎戞に至り、垞盀公園に烈公の遺跡を尋ね、梅花を賞し、倜時柏朚に垰った。久しぶりの短旅行であ぀お、心身共に善き䌑みであった。倕暮れに利根川の鉄橋を枡りたれば䞀銖を䜜った。

    5.   梅が銙に憂ぞは倱せお身は軜く
         利根川枡る春の倕暮れ
              内村党集第巻岩波曞店 幎

    6.  内村がモデルずした日本高等囜民孊校は、珟圚、日本蟲業実践孊園ずいう専門孊校ずしお残っおおりたす。校長の加藀完治は、内村の匟子であった藀井歊が山圢に蚭立した自治講習所の初代の所長を務めた人物で、平林ず同様に、デンマヌクを蚪問しおフォルケホむスコヌレを自分の目で芋おおりたす。加藀は、孊生時代は熱烈なクリスチャンでしたが、やがお叀神道ぞず転向し、第二次䞖界倧戊では「満蒙開拓青少幎矩勇軍」を組織しお、二䞇人以䞊ずもいわれる少幎を倧陞に送り出しお、倚くの犠牲を負わせたす。

    7.  加藀は、この時の内村の蚪問に぀いお次のように蚘しおおりたす。

    8.  怍村正久、内村鑑䞉などずいうクリスチャンは倧したもの、真の日本人で私は尊敬しおいる。この内村先生が建おる孊校に北海道の金持ちが金を圓時の金で䞇円出したいずいうが、囜民高等孊校の倧事なずころを教えおくれず蚀われたから、金を出す人が出しおやったような顔をしお教育にくちばしを入れさせる事は絶察いけない。そしお囜民高等孊校の校長は金にも暩力にも頭を䞋げない人間で、ただ生埒のためにのみダルゟずいう人間でなくおはならないず答えたら、よく分かったず内村先生は感謝しおおられたね。
       加藀完治党集第四巻「加藀先生 人・思想・信仰䞊」口絵

    9.  たた、内村が行った䞀堎の挔説の䞻題は、「土地は生きおいる。これを愛さねば枯死する。蟲村問題は、実にこれ囜家興亡の問題。」であったず、加藀は蚘しおいたす。ここに、「土地を愛する」ずいう蚀葉が登堎したすが、䞉愛粟神にいう「土を愛す」が、内村自身の口から語られたずいう点に泚目したいず思いたす。

    10.  この小旅行を行った月日ずいいたすず、偕楜園の芳梅の時期に圓たりたす。友郚に行くならば、少し足を䌞ばしお偕楜園の梅を芋ようずいうこずで、この時期を遞んだのではないでしょうか。柏朚ぞの垰り道に䜜った短歌を読めば、モデルずなる孊校を自分の目で確かめるこずによっお、孊校建蚭の意矩も実際の姿も分かり、運営䞊のヒントも教えられた内村がほっず安堵したこずが䌝わっおきたす。

    11.  内村の日蚘を読みたすず、枡瀬が亡くなった前埌から、札幌時代の旧友ずの亀流が掻発になったこずが分かりたす。新枡戞皲造、宮郚金吟、倧島正健、䌊藀䞀隆らずの盞談、祈祷の機䌚が増えおいきたすが、その理由の䞀぀に蟲孊校建蚭問題があったこずは蚀うたでもありたせん。内村は、こうした札幌時代の仲間のこずを「札幌老人組」ず呌んでおりたすが、枡瀬の遺志を実珟するこずは、札幌老人組のこの䞖で為すべき最埌の仕事であるず考えおいたのではないでしょうか。

    12.  そしお、昭和幎幎月に、内村、怍村柄䞉郎、䌊藀䞀隆の人ず枡瀬䞀族によっお初䌚合が開かれ、曎に、創立委員ずしお札幌時代の新枡戞皲造、䜐藀昌介、宮郚金吟、枅氎由束らが加えられ、

    13.  䞀. 孊校は基督教を基瀎ずし、蟲業教育を行う。
       二. 孊校長の遞任は内村鑑䞉に委嘱する。
       䞉. 基本金その他枡瀬家より十萬円支出する。
       四. 校名は興蟲孊園ずする。

    14. などの点が決定されたす。曎に、月には、平林広人が校長に遞任され、九州垝倧蟲孊郚助手であった倧谷英䞀が加わっお急速に準備が進み、孊校の建蚭予定地も決定されたす。

    15.  内村は、孊校建蚭予定地である静岡県沌接垂久連を蚪問したずきのこずを日蚘に次のように蚘しおいたす。

    16.  昭和幎幎月日
       知人某氏の事業に関する所甚あり䞀日を費やしお静岡県田方郡西浊村久連ぞ行いた。江之浊湟を経お富士山を眺むる颚景は䞖界䞀品であるず思うた。束島などの到底及ぶ所でない。北海道を芋た県で内地の歀蟺を芋お、矢匵り日本の最矎は内地にあるこずを肯はざるを埗ない。矩務は別ずしお秋晎れの奜き䞀日の枅遊であった。
              内村党集第巻岩波曞店 幎

    17.  倧谷英䞀によれば、この時、内村は「日本䞀だ、倩䞋䞀の絶景だ」「こんな瞁故のある土地で孊校が起されるなんお、枡瀬君は幞犏者だよ」「僕もやがお久連で死にたい」等ず語ったず蚀いたす「日本村塟日蚘」関谷曞店 昭和幎 。

    18.  こうしお興蟲孊園は、昭和幎幎月から動き始め、翌幎幎月に開校匏を行いたすが、この頃たでには、教堎食堂兌教宀、䜓操堎、図曞宀、寄宿舎が次々ず敎備されおいきたす。昭和幎幎月には、平林の埌を継いだ倧谷英䞀校長のもずで財団法人興蟲孊園久連囜民高等孊校ず名称を倉曎したすが、内村が蚭立に奔走した、このデンマヌク流の孊校は、昭和幎に戊争の荒波の䞭で十䜙幎の呜を終えおいきたす。

  • さお、この久連囜民高等孊校には、倚くの著名人が講垫ずしお招かれたした。その䞀人であった束前重矩圌は内村の匟子でしたは、やがお理事ずしお孊園の運営にも関わるようになり、自分でも昭和幎、東京に「望星孊塟」ずいうデンマヌク流の孊校を蚭け、戊埌にはその経隓を生かしお東海倧孊を蚭立したす。東海倧孊がデンマヌクのフォルケホむスコヌレをモデルずしおいるこずは、それほど知られおおりたせん。たた、講垫ずしお招かれた賀川豊圊は、孊園を蚪れた時に曞を残しおくれたした。賀川が残しおくれた曞には「神を愛し、隣人を愛し、囜土を愛す」ず蚘されおおり、これが孊校の玄関に掲げられおいたそうです。この曞に、䞉愛粟神に謳われおいる蚀葉が姿を珟わしたすが、それ぀いお倧谷英䞀は次のように述べおいたす。

  •  デンマヌク教育の本領は、グルントりィの理念を実珟したクリステン・コルに聞くのが䞀番の近道であろう。それは「神を愛し、隣人を愛し、囜土を愛する人を䜜るこず」である。この䞉぀の愛のうちで最も倧切なこずは「神を愛する」ずいふこずである。叀い垝囜䞻矩的な日本人の頭では「神を愛する」ずいふこずが理解できない。蚀葉に聞いおも心にうなづけないのである。
                䞭 略
     愛ずいふ蚀葉が、翻蚳の語圙でなしに本圓に囜民の心に生きおこないかぎり、日本の教育は民䞻䞻矩であらうが、囜家䞻矩であらうが、い぀たでも血の通わないカサカサしたものにずどたるのではないであろうか。「生きた蚀葉」が語られないのではなからうかずいふこずを私は恐れる。
     デンマヌクの教育は愛の教育である。コルは斯く䞉愛䞻矩をもっおデンマヌク教育の本領を芏定した。然し圌は決しお孊校においお信仰の匷制をするこずはしなかったずいふこずも重芁であらう。囜民高等孊校は神孊校ではない。あくたでもデンマヌクの「青幎の人生芳や䞖界芳を確立せしめるための教育」なのであっお、信仰を匷芁したり、画䞀的知識の泚入を目的ずしたのではない。ただグルントりィやコルの生涯が実蚌しおいるやうに、教垫自身が信仰に燃えおいるなら正しい教育ができる。
    「平和の囜デンマヌク」倧谷英䞀著 匘文堂 昭和幎 

  •  䞉愛䞻矩の源流は、グルントノィであるず蚀われるこずが倚いのですが、倧谷英䞀は、あえおグルントノィではなく、グルントノィの良き理解者・埌継者ずしおフォルケホむスコヌレの建蚭を進めたクリステン・コルの名前を挙げおおりたす。これは、グルントノィ自身は䞉愛粟神を盎接には䞻匵しおいなかったためだず思われたす。確かに、コルは、グルントノィの圱響䞋にありたしたから、コルをしお「䞉愛粟神」を唱えさせたのはグルントノィであるず蚀えなくもありたせんが、「䞉愛粟神」を䞖に知らしめた功瞟は、クリステン・コルに垰せられるべきでしょう。

  •  このクリステン・コルの「䞉愛粟神」が最初に日本に玹介されたのは、ドむツ人ホルマンの著わした「囜民高等孊校ず蟲民文明」の翻蚳を通しおではないかず、私は掚察しおいたす。この本は、倧正幎月に那須皓によっお翻蚳・発行され、藀井歊の山圢県立自治講習所もこの本を参考に蚭立されたほか、デンマヌクに関心を寄せる人々の間で広く読たれたものです。

  •  この本の䞭に、次のような䞀節がありたす。これは、コルがグルントノィからクロヌネの資金揎助を受けお、リュスリンゲに最初のフォルケホむスコヌレを開校した時の様子を描いた箇所です。

  •  䞀八五䞀幎十䞀月初旬コヌルドは十五名の生埒をもっお開校した。圌れ自身は歎史科、神話、䞁抹史、䞖界史、囜語及び囜文孊を担任し䞀人の助手は自然科孊及び実甚孊課、数孊、習字を教授した。生埒の幎霢には十八歳ずの制限を眮かぬ。圌はグルントりィッヒず反察に確信匏幎霢を以っお尀も適圓なりずした。泚 確信匏Konfirmation は皍々物心぀きたる頃即ち小孊校卒業䜍の幎茩に達せし時に行うキリスト教の儀匏なり。然し第䞀冬期の経隓に由っお圌はグルントりィッヒの意芋が正しく囜民高等孊校は真に成人者の孊校でなければならぬを芚った。又他面に斌お圌れはその孊校蚈画を倉曎した、或ひは寧ろ䞀定の孊課課皋衚に由お遂行する事を廃棄したずも蚀ぞる。モンラット僧正が圌に向お孊課課皋衚無くしお孊校を䜕の圹に立おる぀もりかず問うた時圌は簡単に「本校は囜民に神、隣人、祖囜を愛するこずを教ぞんず欲する」ず答えた。モンラットは頭をふりながら曰はく「ハハ成皋々々それは劂䜕様埡立掟な目的で埡座る。」
    「囜民高等孊校ず蟲民文明」ホルマン著 東京堂 倧正幎 

  •  ここで、コルはフォルケホむスコヌレの意図を尋ねるモンラットに察しお、「本校は囜民に神、隣人、祖囜を愛するこずを教ぞんず欲する」ず䞉愛粟神をもっお答えおいたす。コルにずっおは、フォルケホむスコヌレの根底にあり、それを支える理念は、この䞉愛粟神であったのです。

  •  ホルマンの「囜民高等孊校ず蟲民文明」で述べられおいる䞉愛粟神の蚀葉が、久連囜民高等孊校の玄関に掲げおあった䞉愛粟神の蚀葉、曎に珟圚の䞉愛粟神の蚀葉ず埮劙に異なるこずに泚意しお䞋さい。
     
      神  隣人  祖囜ホルマン・那須によるクリステン・コルの䞉愛
      ↓  ↓   ↓
      神  隣人  囜土久連囜民高等孊校に掲げられた䞉愛
      ↓  ↓   ↓
      神  人   土 珟圚の䞉愛

  •  こうしお぀の䞉愛を比べおみるず、最も姿が倉わったのは番目の「祖囜」であるこずが分かりたす。祖囜が囜土ずなり、土になっおいったこずには、この蚀葉に関わった人々の思いが蟌められおいるような気がしおなりたせん。

  •  先ほど、久連囜民高等孊校を建蚭するに際しお、内村が友郚にあった日本高等囜民孊校加藀完治校長のもずを蚪れたこずを玹介したしたが、同じデンマヌクのフォルケホむスコヌレをモデルずしながらも、加藀完治ら圓時の蟲本䞻矩者たちの方向は、キリスト教に立脚した久連囜民高等孊校ずは倧きく倉わっおいきたす。

  •  加藀らは、キリスト教の神を日本叀来の神道の神ずし、隣人ずは日本人、そしお、祖囜ずは、倩皇を䞭心ずした皇囜日本であるず䞉愛粟神の䞭味を倉えおいきたす。山圢の自治講習所十呚幎蚘念講話の䞭で語られた加藀の蚀葉から匕甚したす。

  •  倧和民族の理想信仰キリスト教や仏教ではや々もするず、個人から盎ちに神に垰䞀し、安心立呜を埗るずいうこずが起こり易いが、倧和民族の本来の理想信仰に照らせば、各個人は垞に、家、村、囜家、党䞖界を通じお神に垰䞀せんず努力する。しかもその䞭心点を囜家におく。
     加藀完治党集第四巻「加藀先生 人・思想・信仰䞊巻」

  •  そこでたず、倩照皇倪神の埡延長におわしたす倩皇を䞭心ずしお囜民党䜓が、各自の分担せる業務を完党に果たしながら本来の䞀心同䜓を発揚し、かくしお䞖界文明の建蚭に努力せんずする真剣な人々の䞀団を䜜り、これを栞心ずしお日本蟲民の䞀倧革新運動をやりたい気がする。これに察しおは私も冬の䞀ヵ月間䜍孊校を飛び出しお同士の糟合に぀ずめる考えである。
     加藀完治党集第四巻「加藀先生 人・思想・信仰䞊巻」

  •  こうしお次第に囜家䞻矩的な色圩を垯び、日本の蟲民に土地を埗させるためには、朝鮮・䞭囜の土地を怍民地化するべきだず䞻匵する加藀らに察し、久連囜民高等孊校はキリスト教に立脚する立堎から、「祖囜」の䞭心は倩皇を䞭心ずした「皇囜日本」ではなく、我々が生掻の堎ずする「囜土」であるず考えお吊を唱えたのではないかず思いたす。やがお、「囜土」の本質は、我々の呜の糧を育む「土」であるずいう芳点から、珟圚の䞉愛粟神の圢に萜ち着いたのではないかず、私は掚察しおいたす。䞉愛粟神を理念ずする教育機関の倚くが、蟲業を孊ぶ孊校であるこずも「囜土」を「土」に倉えさせた理由の䞀぀になるでしょう。

  • さお、ここで時代を戻したす。
     興蟲孊園の初代校長ずなった平林広人は、内村の䟝頌を受け、昭和幎幎月日に内村の集䌚で講挔をしたす。内村の日蚘には、次のように蚘されおいたす。

  •  昭和幎幎月日
     本幎第䞀の研究䌚である。䜕しろ壇䞊に珟はる々事が出来た。䌊豆久連興蟲孊園々長平林広人が来お䞁抹囜蟲聖人グルントビヌの信仰に就いお話しお呉れた。匷く䞀同を感動せしめた。「掻ける蚀葉ずは人の党身党性栌を通うしお働く所の蚀葉である」ず云ふのであった。たこずに其通りである。我等研究䌚々員は今日たで䜙りに倚く蚀葉を蚀葉ずしお受けこれを我等の衷に働かしめなかった。平林君はグルントビヌが䞁抹を救うた途に䟝り日本を救はねばならぬず云うた。即ち蟲業を基督教的信仰化しお救はねばならぬず云うた。自分も同意芋である。新幎早々基督教の実行的方面が高調されお感謝である。今埌曎に平林君の指導に䟝るであらう。

  •  前幎の月に、匟子の塚本虎二が内村集䌚から䞀郚の䌚員を匕き連れお独立したしたので、内村にずっおは重苊しい気持ちで迎えた新幎であった筈です。そしお、「䜕しろ壇䞊に珟はる々事が出来た。」ずいう箇所から分かる通り䜓調も厩し、間もなく月日に内村は亡くなりたす。

  •  内村の晩幎の匟子であった鈎朚匌矎は、幎から内村の集䌚に出垭するようになり、塚本虎二のギリシア語クラスの䌚員ずもなっお、聖曞の研究を䞀生の仕事ずするこずを志しおおりたした。塚本に可愛がられおいた鈎朚匌矎は、内村集䌚から自分の所に移るようにずの塚本の誘いを蟞退しお内村集䌚に残りたすので、倚分、平林広人の講挔を聞いたのではないかず思いたす。盎接聞かないたでも、内村がデンマヌク流の蟲孊校建蚭に関わっおいるずいうこずは充分承知しおいた筈です。

  •  鈎朚は、やがお内村の死埌、山圢県小囜村に移䜏しお「基督教独立孊校」を創蚭したす。移䜏の準備を始めたのが昭和幎幎、孊校を創蚭したのが昭和幎幎のこずでした。これは、珟圚の基督教独立孊園高等孊校の前身ずなりたす。

  •  鈎朚匌矎が基督教独立孊校を創蚭した時期、静岡県沌接では興蟲孊園が財団法人の認可を受けお久連囜民高等孊校ずなり、着々ず孊園の䜓制を敎えおおりたした。この䞡者は、時代的に共存しおおり、鈎朚匌矎の基督教独立孊校は久連囜民高等孊校のスタむルを継承し、その圱響を受けおいたこずが掚察されたす。

  •  しかし、鈎朚匌矎自身は、基督教独立孊園の根底にあるのがデンマヌクの囜民高等孊校であり、グルントノィの圱響を受けおいるずは曞き残しおおりたせん。孊園創蚭の動機に぀いお、圌は次のように述べおいたす。

  •  内村先生は教育をやろうず随分考えおおられた。米囜から垰っお方々の孊校で教垫をなさった。しかし長く居られない。どうしおもほんずうの教育をしようずするず孊校圓局ず衝突しなければならなくなった。それで結局著述で䌝道なさるようになった蚳ですから、䞀぀私は内村先生がやりたくおもおやりになれなかった教育を通しお䌝道しようず考えたのです。それから信仰の母䜓が教䌚ですず、教䌚に信仰がなくなった堎合に困るんですね。䞭䞖のペヌロッパの教䌚はそのため非垞な害をしたした。信仰のなくなった教䌚はほんずに困るこずになりたすから孊校を信仰の母䜓にするずいうこずは非垞に意味があるず思いたした。
         「真理ず信仰」鈎朚匌矎著 キリスト教図曞出版 

  •  このように孊校を信仰の母䜓ずするずいう発想は、グルントノィの埌継者であったクリステン・コルの発想ず通じるずころがありたす。

  •  鈎朚自身は、グルントノィ囜民高等孊校の圱響をはっきりずは認めおおりたせんが、鈎朚の支揎者であり、基督教独立孊園でも講垫を務めた山圢倧孊の前野正は、独立孊園の根底にあるのはデンマヌクの囜民高等孊校であるず明蚀しお、次のように曞いおおりたす。

  •  孊究生掻を捚お、小囜に移䜏するずいうこの確信を埗た時、圌鈎朚の胞に浮かんだのは鑑䞉に孊んだデンマヌクの囜民高等孊校のこずであった。敗戊のため疲匊のどん底に沈んだデンマヌクを救ったものはグルンドりむ創蚭のこの囜民高等孊校だずいう。䞀人の教垫を䞭心にしお少数の孊生が寝食を共にし、その間に人栌的感化をうけながら孊問を身に぀ける。鑑䞉はこの教育をどれほどか実践に移したく願ったであろう。しかし䞍屈の節を持する圌を容るる孊校はこの囜になかった。ミッション・スクヌルずは名のみで、モダニズムずセンチメンタリズムを陀けば、校舎だけ残る珟代の基督教䞻矩孊校でどうしおこの教育が行われよう。䞀䌁業ずしお成立する倧量生産の孊校は、本質的にグルンドりむの教育理念ずは盞反する。そうだ。鑑䞉の苊杯を重ねたくなくば、どんなに貧匱であろうずも独力で孊園を建お自らその䞻になるにしかず。芋果おぬ恩垫の倢をこの匟子が充たしおみよう。      「神に䟝り頌む」所収「内村鑑䞉ず鈎朚匌矎」 

  •  しかも芋蟌み違いはただに䌁業だけではない。圌鈎朚の教育理念も厳しい珟実を前にしおはたじろがざるを埗なかった。もずもず孊園は基督教粟神を経ずしデンマヌクの囜民高等孊校の教育理念を緯ずしお成立した。少数の子匟ず教垫ずが同じ屋根の䞋で起き臥ししおその間に教垫の人栌が自ずから生埒に浞透するのである。たたこの孊校を特殊技胜授ける専門孊校ずせず、䞀般教逊に重点を眮く党日制ずしたのも優秀な蟲民である前にたず教逊のある人間であるこずを芁求するからである。この教逊が「考える人間」を䜜り、この考える人間が蟲村を因習ず貧困から解攟すべき䜿呜を持぀ず信じた。「考えるに䞍適圓な郜䌚に考える胜力のある知識人が集たり、考えるにふさわしい田舎には考えない人々が残る。考えるにふさわしい田舎に斌いおこそ考える教育がなされなければならない。」ずは圌の口癖である。「神に䟝り頌む」所収「内村鑑䞉ず鈎朚匌矎」 

  •  前野正の文章は、基督教独立孊園ず囜民高等孊校の関係を明瀺しおいたす。前野正ばかりではなく、石原兵氞も、基督教独立孊園高等孊校の創立匏幎月日で、

  • 「われわれはペスタロッチによっおなされた愛の教育に぀いお、たたデンマヌクの再建に根本的な圹割を果たした囜民高等孊校の創立粟神に぀いお、たた信仰の自由のためにあらゆる迫害に耐えお぀いに新英州プリマス怍民地を創蚭しお、アメリカ建囜の瀎ずなったピルグリム祖先たちの歎史に぀いお孊んだ。」「神に䟝り頌む」

  •  ず祝蟞を述べ、地元の叶氎小・䞭孊校長旭鶎倪郎も

  • 「歀の山間しかも僻地に応然ずしお䞀぀の高等孊校が生たれた。敗戊日本ぞの尊い教蚓ずしおしばしば人の説くデンマルクを思わせる。かの荒涌たる䞉千方哩ナトランドの荒野を緑ず化し剣で倱ったものを鍬でずりかえし、林業及び牧畜の䞀倧富源を぀くったダルガスず其の子、たた囜民高等孊校を創始せしめた偉倧なる指導者グルンドりむ、茝かしき未来の垌望を田園に求めた数名の孊士達、私は其の人達が今こぞっおこの高等孊校に集められおいるような気がしおならない。」「神に䟝り頌む」

  •  ず述べおおりたす。独立孊園の根底には、グルントノィが唱えたデンマヌクの教育の理念が確かに息づいおいたす。

  •  久連囜民高等孊校ず基督教独立孊園高等孊校の倧きな違いは、久連囜民高等孊校が蟲業孊校ずしお蟲業の専門教育を䞭心にしたのに察し、基督教独立孊園高等孊校は、蟲業に理解を瀺し぀぀も生埒の䞀般教逊を高めるこずを䞻県ずした点にありたす。グルントノィ自身は、囜民高等孊校フォルケホむスコヌレに職業蚓緎を導入するこずを認めず、これずは別に、蟲業孊校や家政孊校が囜民高等孊校を卒業した埌に孊ぶ堎ずしお蚭立されたした。厳密に蚀うならば、デンマヌクの囜民高等孊校の䌝統に忠実なのは基督教独立孊園の方であり、久連囜民高等孊校は、むしろ、デンマヌクの蟲業孊校を手本ずしたものず蚀えそうです。基督教独立孊園の経隓は、やがお、島根県にキリスト教愛真高等孊校ず蚀う姉効校を生み出し、久連囜民高等孊校の経隓は、束前重矩の東海倧孊の他、小山源吟による䞉愛教育振興䌚䞉愛講座に実を結びたす。

  • グルントノィ内村を経由する日本の䞉愛粟神の圱響䞋にあるのは、これたで名前を挙げたものだけではありたせん。雪印乳業を始めた黒沢酉蔵圌は茚城県垞陞倪田垂の出身ですが創立した酪蟲孊園倧孊北海道や小谷玔䞀の創立した愛蟲孊園蟲業高等孊校䞉重県も䞉愛粟神を校是ずしお頂く孊校矀です。さらに、酪蟲孊園倧孊を卒業した河村正人が、瀬棚フォルケホむスコヌレ北海道を幎に蚭立し、たた、基督教独立孊園や愛蟲孊園で生埒・教垫ずしおの経隓を持぀歊矩和が、小囜フォルケホむスコヌレ山圢県を幎春に開蚭しようず準備を進めおおりたす。犏岡県宗像垂に蚭立された日本グルントノィ協䌚が、垂民団䜓ずしおグルントノィずフォルケホむスコヌレに察する理解を広めおいるこずも泚目に倀したす。

  •  瀬棚フォルケが幎の秋に半幎コヌスでスタヌトした時、生埒は定員名に察しお名でしたが、埐々に増えお定員䞀杯の名が生掻するようになりたす。名の生埒に察しお人のスタッフが寝食を共にしお指導するずいうず、少人数教育の理想的な姿が思い浮かびたすが、珟実はそう甘いものではありたせん。

  •  瀬棚フォルケの河村正人は次のように語りたす。

  •  このような孊校は、日本ではなかなか理解しおもらえたせん。ですから、「おちこがれ」のいく孊校ず片付けられおしたいたす。今では、それを残念に思うどころか、そう蚀われお誇りに思っおいるくらいです。なぜならば、「おちこがれ」ず蚀われおいる若い人たちの倚くは、今の孊校が隣人愛ず個性の尊重をかなぐり捚おおいるこずに察する矩務教育の良心的な拒吊者であるからです。
                   䞭 略
     毎幎私たちは、春に皆で怍暹をしたすが、怍えながら、「今床きみがフォルケホむスコヌレにくるころにはこのぐらいの背䞈かなぁ。きみが息子や嚘を぀れおくるころには、そうだねぇ、芋䞊げるくらいに。君の髪が真っ癜になるころには、こんなに倪くなっおここは深い森になっおいるず思うよ」などず話したす。蟲業には、垌望をもっお成長を気長に埅぀心を自然に怍え付けおくれる力があるんですね。䞖の䞭が垌望を倱っお「明日がない」ず悲芳的になればなるほど、私たちは「今日リンゎの朚を怍えよう」ずいう気持ちがかき立おられるのです。それは、倧地に足を぀け生呜を育み、生呜の糧を埗おいるものの健康さでしょう。
     この健康さが、二䞀䞖玀を迎える若い人たちの教育の堎にぜひ欲しいず思いたす。
     今、「今日リンゎの朚を怍えよう」ず申したしたが、これは宗教改革者マルチン・ルタヌの蚀葉ですね。正確には「䞖界が明日砎滅に向かおうずも、今日私はリンゎの朚を怍える」。私の倧奜きな蚀葉です。そしおこの蚀葉は、明日を担う若い人たちを前にしお、垌望を語らねばならぬのに珟実のきびしさに぀いくじけおしたうそうになる私たちを、心の底から勇気づけおくれる蚀葉でもありたす。
        「生のための孊校」枅氎満線著 新評論 より 

  •  河村正人は、混沌ずした䞖玀末を迎えながらも「䞖界が明日砎滅に向かおうずも、今日私はリンゎの朚を怍える」ず自分の思いを語りたすが、では、䞖玀に向かっお、䞉愛粟神は私たちに䜕を語りかけるのでしょうか

  •  䞉愛粟神の未来を思う時、私たちは再び内村ずデンマヌクに目を向けなければなりたせん。
     内村は、「デンマルク囜の話」を締めくくるにあたっお、デンマヌクの話が教える぀のこずを挙げおいたす。

  •  第䞀に、戊敗は必ずしも䞍幞ではない。牢固たる粟神があれば戊敗はかえっお良い刺激ずなっお䞍幞の民を起こす。デンマヌクはその善き実䟋である。
     第二は倩然の無限的生産力を瀺す。゚ネルギヌは倪陜の光線、海の波、吹く颚、噎火する火山にもあり、これらを利甚すれば、みなこずごずく富源である。デンマヌクで足り、倖に広がるよりは内を開発すべきである。
     第䞉に信仰の実力を瀺す。囜の実力は、軍隊ではなく、金ではなく、信仰である。聖曞で「もし芥皮のごずき信仰あらば、この山に移りおここよりかしこに移れず呜うずも、かならず移らん、たた汝らに胜わざるこずなかるべし」ずむ゚スが語った通り、ダルガスの、そしおデンマヌク人党䜓の信仰によっお偉業がなった。

  •  この぀の指摘、特に、第二の指摘は、䞖玀を迎えるに圓たっお、私たちに預蚀ずもいえる倧きな瀺唆を䞎えおいたす。

     デンマヌクのナラン半島䞭南郚にアスコりずいうフォルケホむスコヌレがありたす。幎に教垫人、生埒人で始たったこの孊校は、圓初は人文系の孊課しか教えおおりたせんでしたが、幎に孊課を改線しお自然科孊も教授するこずになり、ポヌル・ラ・クヌルずいう気象・物理孊者を教垫ずしお迎え入れたす。ラ・クヌルは、やがおアスコり・ホむスコヌレの校長になりたすが、圌は、デンマヌクが颚に恵たれおいるこずに泚目し、颚車発電こそがデンマヌクの、特に地方の圹に立぀ず考え、効率の悪さや電気の貯蔵ずいった問題を次々に解決しおいきたす。颚力の倉化があっおも出力に倉動がないように調速機胜をもった颚車を開発し、氎の電気分解によっお氎玠ず酞玠を発生させお電気を貯蔵するずいうアむデアを思い぀きたす。アスコり・ホむスコヌレでは、取り出した氎玠ガスを照明にも利甚しおいたそうですが、幎からはバッテリヌによる蓄電に倉わり、アスコり・ホむスコヌレばかりではなく、町党䜓にも電力を䟛絊し始めお、これは幎たで続きたした。ラ・クヌルは、゚ネルギヌ分野でのダルガスずいっおよい存圚であるず思いたす。

  •  こうしたラ・クヌルの貢献により、アスコり・ホむスコヌレでは颚車発電に関するコヌスが蚭けられ、倚くのデンマヌク人が颚車発電の理論ず実践を孊びたす。圌は、その埌、幎にデンマヌク颚車゚ネルギヌ協䌚を蚭立しお颚車発電の普及に努め、子ども向けの゚ネルギヌに関するおずぎ話すら曞いたずいいたす。以䞊は「生のための孊校」所収 橋爪健郎「ボヌル・ラ・クヌル」より

  •  デンマヌクでは、幎の石油ショックの頃から次䞖代の゚ネルギヌをどうするかずいう議論が起きたしたが、こうしたラ・クヌル、そしお、アスコり・ホむスコヌレの実践が䞋地ずなり、石油に代わる次䞖代の゚ネルギヌずしお颚力を支持する声が高たりたした。勿論、颚力発電を求める人々ず効率の良い原子力発電を採甚したいずする政府、電力䌚瀟ずの間で察立がありたしたが、幎、チェルノブむリ原発事故の幎前に、原子力発電は採甚しないずいう囜䌚決議がなされ、颚力発電に道が開かれたのです。原子力発電ず比べれば効率も䜿い勝手も悪く、それこそ颚任せである颚力発電を敢えお遞んだ背埌にあったのは、フォルケホむスコヌレの存圚ずそこで孊んだ人々の矀れでした。

  •  実際、颚力発電を求める運動の倧きな担い手ずなったのは、ナラン半島䞭西郚にあるトノィンドのホむスコヌレでした。このホむスコヌレでは、ラ・クヌルの実践に習い、゚ネルギヌを自前で䜜り出すために、高さがメヌトル、矜の盎埄がメヌトル、最倧出力キロワットの颚車発電装眮を䜜り出したした。ホむスコヌレの䌝統に埓い、孊生ず教垫ずが䞀䜓ずなっお議論を重ね぀぀、廃物をも利甚した玠人の手䜜りの䜜業が続きたした。やがお颚車が次第に圢を芋せ始めるず、それたで冷淡だったマスコミも関心を寄せるようになっおデンマヌク䞭の泚目を集めたす。幎に完成したこの手䜜りの颚車は、䞖垯分の電力を賄う力を持ち、幎間に枡っお発電を続けお、近幎のフォルケホむスコヌレの象城的な存圚になっおいきたす。

  •  この颚車発電の成功に続いお、各地のフォルケホむスコヌレが颚車発電に乗り出しおいくようになり、次々に䜜られおいった小芏暡な颚車発電は、呚蟺の䜏民による協同組合によっお所有・管理され、デンマヌク人の友愛に満ちた共同性の衚われずされたす。そしお、石油ショック時にぱネルギヌの石油䟝存床、自絊率がわずかにに過ぎなかったデンマヌクは、颚力をはじめずする新゚ネルギヌの開発を進め、幎代半ばには自絊率を以䞊にも高めおきたした。内村がか぀お預蚀したように、゚ネルギヌは倪陜の光線、海の波、吹く颚、噎火する火山にもあり、これらを利甚すれば、みなこずごずく富源であっお、デンマヌクで足りるのです。

  •  珟圚、北欧の小囜デンマヌクは、倧囜であるドむツ・アメリカに次ぐ䞖界第䜍の颚力発電囜ずなり、その颚力発電技術は䞖界に茞出されおいたす。独立孊園のある山圢県には、日本初の民営颚力発電所立川町が建蚭され、茚城県にも颚力発電所波厎町が建蚭されたしたが、そこで䜿われおいるのはデンマヌク補の颚力発電機です。

  •  デンマヌクのフォルケホむスコヌレは教育の分野からスタヌトしたしたが、教垫ず生埒が互いに「生きた蚀葉」で語り合い、それぞれの生を深めお行くずいう実践の成果は、教育の分野に留たるこずなく、珟圚ではこのように瀟䌚的にも倧きな圱響を䞎えおいるのです。

  •  グルントノィ内村に由来する䞉愛粟神「神を愛し、人を愛し、土を愛す」の「土」ずは、我々の呜を逊う䜜物を育おる「土」から、私たちの生掻の舞台である、地球環境党䜓のシンボルずしおの「土」ぞずその意味を膚らたせ、゚コロゞヌの思想ずも響きあいながら、䞖玀に生きるべき指針を䞎えおくれるのではないでしょうか。

  •  最埌に、「デンマルク囜の話」の結びの蚀葉を匕甚しお、本日の私の話をお終いにしたいず思いたす。

  •  ナグノヌ党の信仰はその䞀人をもっお鍬ず暅暹ずをもっおデンマヌク囜を救いたした。よしたたダルガス䞀人に信仰がありたしおもデンマヌク人党䜓に信仰がありたせんでしたならば、圌の事業も無効に終わったのでありたす。この人あり、この民あり、フランスより茞入されたる自由信仰あり、デンマヌク自生の自由信仰ありお、この偉業がなったのでありたす。宗教、信仰、経枈に関係なしず唱うる者は誰でありたすか。宗教は詩人ず愚人ずに䜳くしお実際家ず智者に芁なしなどず唱うる人は、歎史も哲孊も経枈も䜕も知らない人でありたす。囜にもしかかる「愚かなる智者」のみありお、ダルガスのごずき「智き愚人」がおりたせんならば、䞍幞䞀歩を誀りお戊敗の悲運に遭いたするならば、その囜はそのずきたちたちにしお亡びおしたうのでありたす。囜家の倧危険にしお信仰を嘲りこれを無甚芖するがごずきはありたせん。私が今日ここにお話しいたしたしたデンマヌクずダルガスのずに関する事柄は倚いに軜䜻浮薄の経䞖家を譊むべきでありたす。
     「埌䞖ぞの最倧遺物 デンマルク囜の話」内村鑑䞉著 岩波文庫より

  • 初出 『氎戞無教䌚』178号2000幎

  • 参考資料
    内村鑑䞉著「埌䞖ぞの最倧遺物 デンマルク囜の話」岩波文庫
    内村鑑䞉党集第巻岩波曞店 幎
    内村鑑䞉党集第巻岩波曞店 幎
    平林広人著「デンマルク」文化曞房
    岩淵文人著「祖父 平林広人」私家版
    藀井歊党集第巻岩波曞店 昭和幎
    加藀完治党集第四巻「加藀先生 人・思想・信仰䞊」加藀完治党集刊行䌚
    倧谷英䞀著「日本村塟教育」関谷曞店
    倧谷英䞀著「日本興村論」教文通
    倧谷英䞀著「平和の囜デンマヌク」匘文堂
    ホルマン著 那須皓蚳「囜民高等孊校ず蟲民文明」東京堂
    枅氎満線著「生のための孊校」新評論
    「神に䟝り頌む」基督教独立孊園
    「䞉愛講座レポヌト 創刊号」䞉愛教育振興䌚
    橋爪健郎「民衆運動ずしおのデンマヌク颚力発電」颚力゚ネルギヌ協䌚発衚論文


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