【読書感想】超能力と1日3回。『教育』という名の地獄に怯えた件
日曜日の午後、妻がポテトチップスをパリパリとかじるリビングのソファで、僕は分厚い文芸誌をめくっていた。
休日の穏やかな空気の中での、知的な読書タイム。
だが、ペラペラとめくる紙の隙間から、なぜかムワッとした不穏で生臭い熱気が漂ってくる気がしたのだ。
僕が読んでいたのは、遠野遥さんの『教育』といういかにもお堅いタイトルの小説だ。
高尚な読書欲を満たすはずが、十数ページを過ぎたあたりで僕の目は完全に点になった。
そこは「一日三回オーガズムに達すると成績が上がる」という、狂気の全寮制学校だったのだ。
僕が義務教育で受けてきた時間割には、絶対に存在しない科目がそこにはある。
しかも主人公は、そんな異常な校則を一切疑わず、ひたすら従順にミッションをこなしていく。
「……絶対にしんどい」
カサカサに乾いた僕の唇から、思わず本音がこぼれ落ちた。
思春期の男子なら夢見るシチュエーションかもしれないが、僕に羨ましいという感情は1ミリも湧かない。
それはまるで、あの地獄の「シャトルラン」を一日三回、真顔の試験官に監視されながら走らされるような絶望感ではないか。
だんだんテンポが速くなるドレミファソラシドの電子音が、脳内で鳴り響いて止まらない。
「ねえ、今日の夕飯、カレーでいい?」
隣から妻ののんきな声が鼓膜を揺らす。
肉の焼ける幸せな匂いを想像しつつ「あ、うん。いいよ」と生返事をしながらも、僕の脳内はすでに異次元の学園生活に支配されていた。
僕は真面目にシミュレーションしてみた。
もし僕がこのディストピアに放り込まれたら、どうなるだろうか。
「おい、今日の三回目もう終わった?」
「いや、まだ二回目でさ。もうフラフラだよ」
廊下では、そんな部活終わりのような爽やかな会話が交わされるに違いない。
僕なら間違いなく入学して三日で膝がガクガクになり、保健室のベッドと永遠の親友になる。
しかも、成績を維持するための課題はそれだけではない。超能力のテストまであるというのだ。
伏せられたカードの裏面の色を透視し、一定の確率で当てられなければ容赦なく成績が下がるという、理不尽極まりない教育システムである。
ネットのレビューには「成果主義への風刺」なんて高尚な考察が並んでいたが、僕の思考はもっと切実だ。
超能力の透視などできるはずもなく、ただ無意味に体力だけが搾取されていく底辺のモブ生徒。
そんな哀れな自分の姿をリアルに想像した瞬間、恐怖で太ももの裏あたりがピクッと痙攣した。
官能的どころか、徹底的に機械的で管理されたシステムの恐ろしさに、僕の倫理観は完全に迷子になっていた。
数日後、読後特有の不快なモヤモヤを抱えたまま、僕は最後のページをパタンと閉じた。
「面白かった? どんな話?」と無邪気に尋ねてくる妻に対し、僕の口は重く閉ざされたままだ。
「透視に失敗しながら、一日三回頑張る話だよ」とは死んでも言えず、僕はただ悟りを開いたような顔で本を裏返した。
