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本胜寺の倉 重芁 ◎第68~71話 倩正十幎六月二日、明智光秀が織田信長を蚎った。その時、秀吉は備䞭高束で毛利ず察峙、埳川家康は堺から京郜ぞ向かっおいた。甲斐の歊田は消滅した。日本は戊囜時代、䞖界は倧航海時代。時は今。歎史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀蚘』

重芁 ◎第68~71話 光秀の幎霢 

䞉人の嚘光秀・勝家・䞀益

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→テヌマ別 目次 テヌマ別 通し ◎目次 
→【シリヌズ】信長の甲斐䟵攻 光秀ず長宗我郚元芪 
→その䞀因 目次倧 目次䞭 
→芋えおきたもの 目次倧 目次䞭 
→【 重芁史料 】 【 人物 】 
加筆修正 

光秀の幎霢 䞉人の嚘

 䞉人の嚘光秀・勝家・䞀益  重芁 ◎第68~71話 ◎小68~71
 光秀ず土岐氏          重芁 ◎第72~73話 ◎小72~73
 光秀、最倧の敵         重芁 ◎第74~76話 ◎小74~76
 結論人栌圢成        重芁 ◎第77~78話 ◎小77~78
                           ◎小68~78

◎第68話 ◎小68   第68話

 光秀は、高霢だった。
 
 光秀の幎霢に぀いお。
  珟時点では、信頌し埗る史料は、ただ、芋぀かっおいない。
  諞説あるが、その確実性に問題あり。
  したがっお、特定は䞍可胜である。
  故に、掚枬する他ない。

  倩正十幎、䞉月。
  この時、すでに五十歳を越えおいたものず思う。
  高霢だった。
  以䞋、ある皋床の幅をもっお、考察しおみたい。

 信長は、四十九歳。
  
倩文䞉幎の生れである。
  これが、䞀぀の基準ずなる。
  すなわち、信長より、幎䞊なのか、幎䞋なのか。
  幎䞊ならば、五十歳以䞊になる。

 光秀には、䞉人の嚘がいた。
 
 现川忠興宀、織田信柄宀、荒朚村次宀。
  嚘は、これ以倖にもいたようである。

 光秀の䞉女は、现川忠興ぞ嫁いだ。
 
 忠興は、藀孝の嫡男。
  氞犄六幎の生れ。【 人物 】

  倩正二幎。
  信長の呜により婚玄が成立した。
  光秀の嚘は、䞉女ずされる。
  忠興ず、同幎ずいう。
  埌の现川ガラシャである。【 人物 】 

  䞀、倩正二幎、甲戌(きのえいぬ)、正月、
    藀孝君を始め、諞将、岐阜え至り、幎頭の賀を述べらる、

    同十䞃日、埡饗応有り、
    藀孝君・蒲生・青地・池田・束氞・筒井・畠山・䞭川・
    閉地・関・分郚・平塚等なり、

    歀の時、信長公仰せに、
    明智光秀の四男を、筒井䞻殿入道順慶の逊子ずし、

    光秀の嚘を、織田䞃兵衛信柄(信長の埡舎匟勘十郎殿の子なり)に、
    嫁すべき由、

    又、藀孝君に、光秀ず瞁家たるべきよし、呜ぜられ候、

    藀孝君は、忠興君の剛匷に過ぎるず、蚀を以っお、
    埡蟞退成され候埗ども、

    信長公よりも、教誡を加えらるべき旚にお、再䞉、仰せによっお、
    䞎䞀郎君ず光秀の息女埡瞁玄の事を、諟せらる。

  倩正六幎。
  二人は、結婚した。
  ずもに、十六歳。

   䞀、八月、安土に埡出仕、
     同月、忠興君、埡婚瀌、埡敎いなされ候、
                          (「綿考茯録」)

 光秀の長女は、織田信柄ぞ嫁いだ。
  
信柄は、氞犄元幎の生れずされる。
  信長のすぐ䞋の匟信勝の遺児である。
  織田家の䞀門。
  近江高島城䞻。
  その支配地、高島郡は、光秀の志賀郡に北接しおいる。
  婚姻は、正に、ベストマッチングだった。【 人物 】

 光秀の二女は、荒朚村次ぞ嫁いだ。
  長女は、信柄ぞ。
  䞉女は、忠興ぞ。
  ずなれば、二女は村次ぞずなる。【 人物 】
  「惟任日向守むこに候」
  この女性は、村重の謀叛時、離瞁され、光秀のもずに垰された。
  「日向守むすめをうけずられ候」
  埌、明智秀満に再嫁。【 人物 】

  倩正䞃幎。
  以䞋は、その時の様子である。

   倩正六幎霜月(幎月)より、䞃幎の十二月たで、
   せめ぀め(攻め詰め)られ、

   其の内に、荒朚(村重)は、尌厎ぞ、九月比(頃)、有岡を忍び出で候、
   女・子䟛をば、有岡に眮き、其の身、忍び出で、
   荒朚父子どもは、尌厎に籠城候、

   有岡には、荒朚久巊衛門(家臣)請け取り、籠城仕り候ずころ、

   惟任日向守、䞹波の囜、こずごずく切り志たが(埓)ぞ、
   荒朚新五郎(村次)は、惟任日向守むこ(å©¿)に候たた、
   則ち、日向守扱い(調略)を入れられ、皮々調(ずずの)い、
   共にお、有岡を明けお枡し申すべきに盞究め、
   先に、日向守むすめをうけずられ候、
                   (「入巊京亮入道隆䜐蚘」)

 父芪たちの生幎ず幎霢。

 现川藀孝は、四十九歳。
  忠興の父。
  倩文䞉幎の生れ、四十九歳。【 人物 】
  信長ず同幎である。

 光秀は、五十歳以䞊である。
  嫡男ず䞉女の婚姻。
  このこずから、藀孝より、幎䞊であろう。
  すなわち、光秀は、五十歳以䞊である。

  このあたりが、䞋限の目安ずなるだろう。

 織田信勝は、死没。
  
信柄の父。
  
生幎は、䞍詳。
  信長のすぐ䞋の匟である。
  ずすれば、倩文四五幎()頃の生れか。
  氞犄元幎、没。
  生きおいれば、四十䞃八歳くらいだろう。【 人物 】

 荒朚村重は、四十八歳。
  村次の父。
  倩文四幎()の生れ。
  信長の䞀぀䞋。
  四十八歳。
  この頃は、毛利に庇護されおいた。【 人物 】  

 光秀は、荒朚村重ず深い関係にあった。
 
 以䞋、村重の略歎を瀺す。

  元摂接池田氏の家臣。
  埌、䞻家を乗っ取った。
  摂接有岡城䞻。 
  
  倩正元幎
  现川藀孝ずずもに、信長に臣埓。
  摂接の支配を䞀任された。
  光秀・藀孝・村重は、ずもに、西方ぞ芁ずなる。

  倩正四幎
  光秀・藀孝・村重は、ずもに、本願寺包囲戊に参加。
  
  倩正六幎
  謀叛。
  光秀の説埗に応ぜず。
  有岡城に立お籠る。

  倩正䞃幎
  尌厎城に移る。
  光秀、調略。
  有岡城、萜城。
  信長により、䞀族が凊刑される。

  倩正八幎
  尌厎城より毛利ぞ逃亡。

光秀の幎霢 光秀・勝家・䞀益

◎第69話 ◎小69   第69話

 光秀は、珟圹の戊囜歊将。
  光秀は、第䞀線に立぀指揮官である。
  倧軍勢を率いた。
  長期の遠埁。
  激戊の日々。
  包囲・攻撃・远撃・掃蚎等々。
  野陣・長陣、颚雚・降雪の日もあっただろう。
  食糧事情・衛生問題等々。
  正に、䜓力勝負。
  戊い以倖で、死ぬ者たちも、倚くいたものず思う。
  過酷な任務だった。

  倩正四幎、石山本願寺ずの戊い。
  光秀自身、陣䞭で、倧病を発症した。
  暫し、死の淵を圷埚。
  蟛うじお、蘇生した。
  その様なこずも、あった。

 光秀の遠埁戊。
  以䞋、䞻な遠埁を簡略に瀺す。
  
  倩正䞉幎 八月九月  越前䞀揆殲滅戊。
  同        九月     䞹波・䞹埌攻略䜜戊、始たる。        
  倩正四幎 四月五月  石山本願寺を攻める。
  倩正五幎 二月䞉月  玀䌊雑賀攻め。
  同        八月     束氞久秀、謀叛。   
  同        九月十月  信貎山城を攻める。
  倩正六幎 五月六月  秀吉支揎のため播磚ぞ出兵。     
  同        十月     荒朚村重、謀叛。
  倩正䞃幎 十月     䞹波・䞹埌攻略、成る。
  同        十䞀月    有岡城、開城。

 光秀の甲斐遠埁。
  倩正十幎、䞉月四月。
  ルヌトは、次の通りである。

   近江→矎濃→信濃→甲斐→駿河→遠江→䞉河→尟匵→矎濃→近江

  安土を起点ずしお、総延長は、平面で、ザックリず蚈算しお、
  玄㎞。
  これでも、盞圓、長い距離である。
   
  しかし、実際は、そのほずんどが、険難な山䞭の道。
  山あり、谷あり、峠あり、曲がりくねった道。
  アップダりンの激しい道だったであろう。
  越すに越されぬ倧河もあった。
  倩候の問題等々。
  厳しい行軍だったものず思う。

  これを立䜓的か぀詳现に蚈算すれば、㎞近くになるのでは
  なかろうか。

  昔の人は、健脚だった。
  しかし、若者ならばいざ知らず。
  果たしお、老人に、この様なこずが可胜なのだろうか。
  難しいず思う。
  劂䜕、だろうか。

 光秀は、高霢であるがただ老人ではない。
  遠埁は、過酷な軍旅。
  肉䜓的負担が倧きい。
  光秀にずっおも、それは同じ。
  甲斐遠埁のように、長期間ずなれば、なおさらである。

  光秀には、それが出来た。
  ずいうこずは、高霢であるがただ老人ではない。

 しかし、着実に、それに近づいおいた。
  
おそらく、これたでにない、疲劎を感じおいたのではないか。

 䞭囜攻めは、既定の䜜戊だった。
 
 信長は、毛利の出方を埅っおいた。
  信長は、来秋を予定しおいた。
  光秀は、その぀もりでいた。

  これらに぀いおは、埌述する。

 光秀には、気力・䜓力・行動力があった。
 
 䞭囜攻めは、光秀が、これたでに経隓したこずのない、
  倧芏暡な長期倧遠埁ずなる。
  「倩䞋垃歊」の総仕䞊げ。
  織田家の総力を結集した戊いであった。

  老人には、盞応しからぬ圹目。
  出来ぬこずである。

  光秀には、それを遂行し埗る、気力・䜓力・行動力があった。
  その様な幎頃だった。
 
  ならば、「老人」ずは、・・・・・。 

◎第70話 ◎小70   第70話

 信長の郚将たち。

 柎田勝家は、六十䞀歳。
  
倧氞二幎の生れ。
  この時、六十䞀歳。
  織田家の郚将ずしお、最長老である。【 人物 】

  倩正䞉幎。
  越前八郡を䞎えられた。
  北庄城を居城ずする。
  北陞方面軍の総叞什官である。

 滝川䞀益は、五十八歳。
  
倧氞五幎の生れ。
  この時、五十八歳。【 人物 】

  倩正二幎。
  長島殲滅戊の埌、北䌊勢五郡を䞎えられた。
  倩正䞉幎。
  長篠の合戊に参陣。
  倩正八幎。
  北条氏の取次に任ぜられた。
  倩正十幎、䞉月。
  信忠の補䜐圹ずしお、甲斐攻めに埓軍。
  田野で歊田勝頌を蚎取った。
  䞊野䞀囜・信濃二郡を䞎えられ、東囜の総取次を呜じられる。

  䞀益もたた、光秀同様、その行動範囲が広い。
  正に、東奔西走。
  信長の、あらゆる戊いに参陣しおいる。

 䞹矜長秀は、四十八歳。
  
倩文四幎の生れ。
  四十八歳。
  信長の䞀぀䞋。
  若くしお、信長に仕えた。
  股肱の臣である。
  その信頌は、あ぀い。
  䜐和山城䞻。
  若狭の支配を兌任。【 人物 】

  倩正䞉幎。
  長篠の合戊に参陣。
  倩正十幎、五月。
  信孝の補䜐圹ずしお、四囜出陣を呜じられる。 

 矜柎秀吉は、四十六歳。
  
倩文六幎の生れ。
  四十六歳。
  長浜城䞻。【 人物 】

  氞犄十䞉幎。
  毛利取次になる。
  倩正䞉幎。
  長篠の合戊に参陣。
  越前䞀揆殲滅戊に参陣。
  倩正五幎。
  播磚入囜。
  倩正八幎。
  播磚平定。
  䜆銬〃〃。
  倩正九幎。
  因幡平定。
  淡路島攻略。
  倩正十幎、䞉月。
  備䞭高束城を包囲。

 柎田勝家は、六十二歳で敗死。
 
 信長より、十二歳、幎䞊。
  この時は、ただ、気力・䜓力・行動力のバランスが取れおいた。

  しかし、このわずか䞀幎埌。
  翌幎、四月。
  賀ヶ岳の合戊で、敗れる。
  北庄城にお、自害。
  享幎、六十二。

  勝者ずなった秀吉は、勝家より、十五歳も若い。

 滝川䞀益にも、老人になる時が近づいおいた。
 
 信長より、九歳、幎䞊。
  仕えたのは、倩文の終り頃。
  以来、䞉十有䜙幎。
  忠矩䞀筋、実によく働いた。

 信長は、䞀益に、配慮を瀺した。
 
 以䞋は、倩正十幎䞉月二十䞉日、信長が、諏蚪法華寺にお、
  滝川䞀益に、䞊野䞀囜ず信濃二郡を䞎えた時の様子である。

   䞉月廿䞉日、滝川巊近召し寄せられ、
   䞊野囜、幷(なら)びに、信州の内二郡䞋され䟯。  

  信長は、間もなく、六十代に突入する䞀益に、名誉を䞎え、
  最埌の花道をかざっおやろうずした。 

   幎眷り寄り、遠囜ぞ遣はされ䟯事、
   痛みおがしめされ䟯ず雖(いえど)も、

   関東八州の埡譊固を申し぀け、老埌の芚えに䞊野に圚囜仕り、
   東囜の儀埡取次圌れ是れ申し぀くべきの旚䞊意、

   忝くも埡秘蔵のゑびか毛の埡銬䞋され、
   歀の埡銬に乗り䟯お、入囜仕り䟯ぞず、埡諚。
   郜鄙の面目、歀の節なり。
                    【 重史 022】(『信長公蚘』)

 䞀益も、六十二歳で没。
 
 本胜寺の倉埌、䞀益は、柎田勝家に䞎し、秀吉に反抗するも、
  やがお、これに屈し、北䌊勢の所領を党お没収された。
  埌、秀吉の家臣ずなる。
  倩正十四幎、越前にお没す。
  享幎、六十二。
  偶然にも、勝家ず同じである。

◎第71話 ◎小71   第71話

 信長は、老臣たちの「知」を重んじた。
  圌らの、知識・教逊・経隓等を重芖した。

 信長は、老臣たちの䜓力を気遣った。
  以䞋は、信長が、倩正十幎()䞉月十䞃日、束井友閑に送った
  曞状である(䞀郚抜粋)。【 人物 】

   歀の劂く、卅日・四十日際に䞀偏に属するの事、
   我ながら驚き入る蚈りに候、

   盞州氏政(北条)、駿河ぞ圚陣にお、䞀廉(ひずかど)銳走候、
   東八箇(ヶ)囜の儀は勿論、い儀なく隙を明け候、
   然らば、甲斐・信濃の事、城介(ä¿¡å¿ )を残し眮き申し付くべき候、

   信長は、䞍日、垰囜すべく候、
   爰蚱(ここもず)芋廻り無甚に候、
   幎寄ども呌び寄すべきず存じ候ぞども、
   路次険難、老足叶うべからざる儀に候間、
   眷り越すべからず候、
          (「束井友閑宛黒印状写」「織田信長文曞の研究」)

  圌らには、䜓力に難があった。
  「路次険難、老足叶うべからざる儀に候」
  老人の足では、無理である、ず蚀っおいる。
  
残念なこずである。

  なお、これに぀いおは、埌述する。

 老人ずは。
 
 やはり、「六十代」からであろう。
  そしお、か぀。
  知力・気力・䜓力・行動力のバランスに倉調を芚えた時。
  自身が、それを自芚した時からである。

  「代」ずしたのは、幅があるから。
  結局は、人、それぞれ。
  十人十色。
  癟人癟様。
  個人差がある。
  䞀抂に、決め぀けるこずなど出来ない。 
 
  圓時の人々は、短呜だった。
  それ故、珟代の我々よりも早かった。 

  以䞊、瞷々述べおきた。
  勝手ながら、ここでは、そうさせお頂く。

 光秀は、老人の䞀歩手前だった。
 
 その時は、確実に迫っおいた。
  「是非もなし」、である。
  光秀は、そのような時期に差し掛かっおいた。

 光秀の長女は、氞犄の初め頃に生たれた。
 
 䞉女が氞犄六幎の生れずすれば、そうなる。

 光秀は、匘治の終り頃に劻朚氏を劻に迎えた。
 
 匘治は、元幎䞉幎の短期間。
  長女の誕生が氞犄の初め頃だずすれば、倧䜓、その頃になる。



 ⇒ 次ぞ぀づく

NEW

目次 が曎新されたした。

 これで、党䜓像がよくわかる
 毎日曎新
 原因・動機の究明は、この䞀歩から

重芁 ◎目次 が曎新されたした。

 「本胜寺の倉」
 原因・動機は、この䞭にあり
 ご泚目䞋さい

テヌマ別 目次 が曎新されたした。

 芖点を倉えれば、芋える景色も違っおくる

芋えおきたもの 目次 が曎新されたした。

 これで、さらに、䞀歩、近づいた
 ご期埅ください


いいなず思ったら応揎しよう