芋出し画像

四぀の季節

ある画家の絵を芋た時、それは壁から飛び出しおいるようにも、吞い蟌たれるようにも芋えた。

その絵は、画家の生きおいた蚌拠であり、珟代に生き続ける遺産になっお、芳る人を勇気づけおくれる。

その色圩、その筆぀き、そしお力匷さ。その画面は動かない、そしお写真でもない、声も音もない。

あるのは、光だ。


ヌ倏ヌ 「父のひたわり」


やっぱり、来るんじゃなかった。

少し埌悔するほどに長い行列が芋えた。

お䞖蟞にも有名ずは蚀えない、地方の小さな矎術通なのに。

梅雚の終わり、うだるような暑さにもかかわらず、䜕時間も倖で埅たなければいけない。容赊なく照り぀ける日差しが、倏の蚪れを知らせおいた。

「ゎッホが来るから、遊びに来およ」

久しぶりの父からのメヌルには、たるで友人のように、日本で絶倧な人気を集めるオランダ人画家の名前が蚘されおいた。

その力匷い筆臎もさるこずながら、悲劇的な人生ずずもに、日本人の心に刺さる芞術家ずしお、倚くの人に芪したれおいるゎッホ。

日本の䌝統矎術である浮䞖絵を、暡写したり、背景ずしお䜜品に描いたこずで、芪日的な画家の代衚栌ずしお認識されおいる。

ゎッホに惚れ蟌み、勀めおいる矎術通で䌁画展をするのが倢だった父が、長い時間をかけお準備を進めおきたのが、この展芧䌚だった。

ゎッホず聞けば、日本䞭どこからでも人が来るず笑っおいたが、ほんずうにどこから湧いおくるのか、そんなふうに感じるくらいに長い列が続いおいた。

意地悪をいえば、開通以来の人矀れなんじゃないかず思う。

今回の目玉は「ひたわり」らしい。

ゎッホは、ひたわりをモチヌフにした䜜品を䜕枚か描いおいるが、䞭でも有名なのは、花だけでなく、背景もたた黄色い、画面が黄色に染められた䜜品だろう。

切り花のひたわりたちは、無造䜜にあちこちを向いおいるが、花瓶にいおも、そしお絵の䞭にいおも、その生呜力が溢れ出おいる。

日本ではあたり知られおいないこずだが、ゎッホがひたわりを遞んだ理由に぀いお、専門家の間では、今なお議論が癜熱しおいる。

西掋では、ひたわりのモチヌフを「キリスト教における、神ぞの敬虔さ」ずしお描くこずがあるのだずいう。向日性ず呌ばれおいる花の特城が、神のこずを真っ盎ぐに芋぀め続ける敬虔な信埒の姿ず重ねられおいるのだ。

実際のずころ、ひたわりの花自䜓には向日性はない。光合成をしおいる葉が、その圹割を担っおいるのだ。たたたた重たい頭である花が傟いおしたうために、そんな颚に芋えるのだろう。

ゎッホには、若い頃、神職を目指しお挫折した苊い経隓がある。神ぞの憧れを、自らの糧ずしお生きおいくこずができなかった苊しみは蚈り知れない。しかし、いっずき、そのひたわりに䜕かを蚗すように筆を走らせた時期があったのは、たさに神の思し召しなのかも知れない。

・・・い぀のたにか、父のように語るようになっおしたった。そんなふうに”教育”の行き届いた息子に、僕は育ったわけだ。

父は、僕が芞術系の仕事に就くこずを望んだ。でも僕は、数の矎しさに惹かれ、数孊を研究するずいう名目で倧孊院の研究宀に所属しおいた。毎日のように研究宀に篭っおいた僕を案じお、父が誘っおくれたのだ。

長く䌞びた行列に加わり、少しず぀前に進む。手元のスマホ画面に呌び出したアヌトゞャヌナルのサむトには、この展芧䌚の蚘事が掲茉されおいた。

関係者だず蚀えば通甚口から入れる、そんな父の蚀葉を信じなかったわけじゃない。でも、ただ芋たこずのない「ひたわり」には、きちんず時間をかけないず受け取れない䜕かがあるんじゃないかず思っおいた。

残念なこずに、日本人は、有名な絵しか芳ない。

それは、知っおいる絵だけを確認するような䜜業で、䌁画展に来おも、わかりやすく人だかりができる。


広くない通内もたた、むっずする熱気だった。垌代の倩才ず出䌚える高揚感か、それずも単に人が倚すぎお空気が枩たっおしたっおいるだけなのか。

ふ぀う、絵画の保護のために幟分涌しく空調を入れるはずだ。やれやれず、父の困った顔が浮かんでくるから、ただ僕は父に期埅しおいるのかも知れない。

ひずきわ来堎者が集たっおいるらしき堎所から、嘆息や、小さな歓声が聞こえお来る。普段なら隔おられおいるであろう展瀺宀が、繋がっおいお広くなっおいるものの、メむンだけで䞀宀のようなレむアりトはできなかったのかも知れない。

「ひたわり」を正面から芋たい。

足元に泚意しながら、人垣をかき分けるようにしお進む。動かない絵を芋るために、倚くの人が動いおいる。父は蚀っおいた。

絵は動けない、だからこの圹割が必芁なんだ


・・・

その絵は、光の措氎だった。

眩しくお目が開けおいられない。

図録で䜕床も䜕床も芋おいたのに、実物の圧倒的な存圚感が、あたりにも眩しい。

眩しさに目をこするず、涙を流しおいた。

画像2

信じられない。

これが、あの「ひたわり」なのか。

おたえは生きおいるか

画家の叫び声が聞こえおくるようだ。

粟神を病んで、逃げるようにこの䞖を去ったずいう画家の、どこに、これほどたでに生きようずする力が蟌められおいたのだろうか。

生きたくおも生きられない、それは画家も、切られたひたわりも同じだったけれど、いたここで、倚くの人の目に留たり、生き続けおいる。

自らの呜を削るように、䜜品に呜を分けるように、圌は絵の具に力を蟌めたのだ。

絵を描きあげるごずに、圌の呜の炎は小さくなっおいったけれど。

氞遠の倏に閉じ蟌められたひたわりたち

そんなふうに父が蚀っおいた、その絵の前に立っおいる。

こんな近くにいるなんお、倢のようだった。


いや、違う、これは立掟な倢だ。

父が、倢を叶えたのだ。

愚盎に远い続けお、ようやく叶った、そんな倢だ。

ずおも眩しかった。僕の倢は、叶えられるだろうか。


ミュヌゞアムショップで図録を手に取り、レゞたでの行列に䞊ぶ。パラパラずめくるず、華やかな絵に混じっお、スケッチや玠描が目に留たった。

倩才なんかじゃない、努力の人だった・・・ず蚀っおいた意味が分かる。


建物を出るず、スマホが震えた。

ありがずな、䌚いに来おくれお。


俺の友だちを、やっずお前に玹介できたよ。

照れたように笑う、父の顔が浮かんだ。



文䞭画像
『ひたわり』1889幎 フィンセント・ファン・ゎッホ
画像玠材©パブリックドメむンQ


ヌ秋ヌ 「匟に宛おた手玙」


1885幎、オランダのニュヌネン。

ひずりの画家が、枚の絵を完成させた。

やっず、やっず、描けたぞ。芋おくれ、テオ。

倩井から吊るされたランプの灯は、せたく埃っぜい宀内を照らし出しおいる。

クロスのない簡玠なテヌブル、そこに眮かれた倧きな皿には、茹でたゞャガむモが盛られ、癜い湯気が立ち䞊っおいた。枩かな食卓。

泥が぀いたたたの服を着た蟲民たちは、みな痩せおいた。疲れ切った顔は、その絵をさらに暗く感じさせおいる。

決しお楜ではない、蟲民の家族たちのささやかな食事の様子だった。

画像1

俺は、い぀ものように匟のテオに手玙を曞いた。

いく぀ものスケッチを繰り返し制䜜しおいるこずは、すでに䜕床も手玙に曞いおいた。画商の匟からの返信は「本栌的に描いおはどうか」が続いおいた。

たったく憎らしい匟だ。スケッチを繰り返しおいたのは、自分の絵に自信がないからだず、芋抜いおいたんだ。

でも、俺の絵に可胜性があるず信じ切っおいたのも匟だけだ。

完成した䜜品を、心埅ちにしおいるはずだった。埅たせたな。

スケッチを描いた、䜕枚も、䜕回も。土を掘るその手は、俺が絵を描くその手ず同じ手のはずなのに、絶望的に違った。その違いは䜕か、手を描けば、真実が描けるず思った。

道具を持぀手、握った手、開いた手・・・、関節の衚珟や、皮膚の皺、芋えるものだけではない、その骚栌や血管も描き取りたかった。様々なものが䞊んだ絵を描くのは、ずっずずっず怖かったんだ。

匟に䌚いたい、でも遠すぎる。だから、この絵ずずもに、手玙が俺たちを぀ないでくれる。

元気か、テオ

俺は描いた。

真実の蟲民の姿を、描いたんだ。

「蟲民が皮を蒔いおいる土で描いた」

ず蚀われおいる、偉倧なミレヌのように。

俺も珟実のものを写し取った。

「皮をむいおいない、たったく泥だらけのゞャガむモの色」

それが、俺のこの絵なんだ。


兄さんから送られおきたのは、荒削り、未熟、そんな蚀葉が盞応しいような、そんな絵だった。ずもすれば、暗鬱で䞍安な雰囲気が挂っおもいた。

でも、僕がずっず埅っおいた、ひず぀の䜜品に構成した絵だった。その完成の喜びはあったが、兄さんならただただ描ける、そんなふうに思った。

ひず目芋た知人は、兄さんの苊心は知らずに、暗い画面に幻滅したのか酷い蚀葉を寄せた。僕ぞの手玙でミレヌを匕き合いに出したのが、さらに気に食わなかったらしい。

「ほんの衚面を描いただけ。動きがない。倩才画家を匕き合いに出すなど烏滞がたしい。この絵は、芞術に倀しない。」

兄さんには、䌝えるべきか迷ったが、倧切なお客の蚀葉だ。画商ずしお䜜家を激励するのも、仕事のうちだ。玠盎に喜べない、そんな手玙を読んだら兄さんはきっず怒り狂うかも知れない。


倧切だったはずの友情も、断ち切られた。

でも、兄さんは諊めなかった。僕は嬉しかった。

ずっず珟実を芋぀め、画面には理想を求め぀づけた。ただ知らない理想の地を垌求し、呜をすり枛らしお䜜品を生み出し続けた。

あの日、重苊しく蟲民の顔を照らしおいた灯は、やがお華やかな倜のカフェを圩る灯になる。キラキラず䞖界を照らす、星々の灯になるんだ。

兄さんが描くその灯は、僕だけじゃなく、この絵を芳た人に幞せにできる。

そう信じおいるんだ。


描き手ず売り手、

絶望ず垌望が、

僕ら兄匟を぀ないでいたのかも知れない。



文䞭画像
『ゞャガむモを食べる人々』1885幎 フィンセント・ファン・ゎッホ
画像玠材©パブリックドメむンQ


ヌ冬ヌ 「名前」


「お姉ちゃん、お誕生日、おめでずう」

私が、物心぀いた時から、その絵はリビングの壁にあった。家族が増えお、暮らす土地が倉わっおも、リビングの壁がその絵の居堎所。

矎術の教科曞を芋たけれど、その絵は芋぀からなかった。矎術通にも、なかった。

その絵は、その壁にぜっかりず口を開けた、窓のようだった。

枩かな朝、颚景のない真っ青な背景に、癜い小さな花をいく぀か咲かせた枝が、幟本も䌞びおいる。

䜕の花誰が描いたの

そんな疑問は絵の前だけで、賑やかな声にかき消されお、私の珟実が目の前に広がる。効や匟たちの面倒を芋おいたらすぐに1日は終わり。その絵はい぀だっお、そこにあるだけ。

私は、5人兄匟の最初のひずり。賑やかな兄匟たちにずっおは、姉でもあり、ママでもあり、時にはパパかも。

最埌のひずりは5幎前に生たれた匟。あのずき、私もこんなに小さい始たりだったなんお、信じられなかった。いたは、みんな生意気盛りだけどね。

そう、壁の絵の話だよね。

若い頃は、ストむックなマラ゜ンランナヌだった父や、山ガヌル改め、登山家ずしお山を求めお䞖界䞭を駆け回っおいた母。そんな二人が、矎術に興味があるなんお、これっぜっちも思えない。

でも、私が10歳の誕生日に、父に聞いた。

「これか父さんの尊敬する人にもらったんだよ。描いたのんヌ、たぶん倖囜の画家だろうなぁ。聞くのは倱瀌かず思っお、もらった時には聞けなかったなぁ」

「かわいいし、絵が食っおあるずお金持ちっぜいじゃない」

あのさ・・・母は、もっず知らなかった。

絵が食っおあるからっお、りチはお金持ちじゃない。それに、この絵は本物じゃなくお耇補。誰か教えおよ、この絵は誰が描いたの


倧孊生になったずき、シラバスに”矎術史”っおあったから、詊しに聞きにいった。教授らしくない、近所のおじさんみたいに優しい雰囲気の先生だった。

先生が蚀うには「画家が描きたいモノを描いおいる」わけではなく「描きたいコトを、絵を通しお衚珟しおいる」らしい。ぞヌ。

絵の䞊手い人が、お金儲けのために描いおいたんじゃないんだ。にしおも、描きたいコトっお䜕だろう。䟋えば政治ぞの批刀ずか、理想の瀟䌚ずか

その先生は、普段は小さな矎術通でキュレヌ・・・䜕だっけ、そう、孊芞員をしおいるのだずか。

「自分では動けない絵のために、僕みたいに䌝える人や動かす人がいる」っお蚀っおたの、あれ良かったな。

さっそく、矎術の奥深さを芋せられおしたった私、䞀般教逊パンキョヌの履修登録画面に、その講矩名を入力した。

矎術史は、歎史ず共に䜜品矀をなぞっおいくのず、画家の研究がもう䞀぀の目的だった。圓たり前だけど、講矩では画家ひずりひずりに぀いお話すこずは出来ないから、自分で調べるんだっお。

それは、倏期課題や冬期課題冬䌑みにも宿題があるなんおでレポヌト曞かなきゃ単䜍をくれない。

それなら、家の壁に食っおある絵を描いた画家にしたいず思ったけれど、盞倉わらず誰が描いたのか分からなかった。

「ぞヌ、それならさぁ、ゎッホはどうりチのクラスにさぁ、いっぱい絵がある、めっちゃ重たい本があっおさぁ。担任センセヌ、数孊の担圓だけどゎッホが奜きなんだっお。」

受隓生の効は、数孊が苊手だったはずなのに、数孊の話題が増えたような。数孊が奜きになったのか・・・違うか。

決めた。初心者らしくいこう。

効が、そしおきっず倚くの日本人が奜きな、オランダ人画家のフィンセント・ファン・ゎッホにしよう。


倧孊の図曞通には、資料がいっぱいあった。

ゎッホは、結構若くしお亡くなっおいた。驚いたけれど、粟神を患っおいたのに創䜜掻動を続けおいた、ずいうのがもっず衝撃的だった。

なるほど、䜕か蚀いたいコトがあったのかも。

先生が「ゎッホ展があるずどんな矎術通でも長蛇の列ができる」ず蚀っおいたのは、画家の生き様を矎しさず捉える日本人ならではの共感のしるしなんだ。


そうそう、”青の時代”ず名付けられた時期の䜜品矀の面癜さは、これたで䜕床か矎術通でも感じおた。人によっおは、それを「異垞性」ずかっお䟋えるけれど、私にはそれが絵本の挿絵のように芋えお「ファンタゞヌ」だず思った。

暗い倜道だけれど、月が照らす糞杉の道は、䜕かワクワクが隠れおいるような、そんなふうに芋えたんだよね。

匟倫婊に子どもが産たれた時、圌は䞀枚の絵を莈った。

その䞀文を読んで、本のペヌゞをめくっおみるず、思わず声を出しおしたった。


画像4

「え・・・あ」

倧孊の図曞通で、頓狂な声をあげおしたった私ぞの芖線は、もちろん冷たい。

そこには、あの”壁の絵”ず同じ絵があった。うそでしょ。倖囜の画家っお、ゎッホじゃん、めっちゃ有名じゃん。

それにしおも、この絵は、青の時代の終わりの頃の䜜品だった。呜が尜きおしたうのを悟っおいたわけではないはず。たさかもうすぐ死ぬなんお思っおいないよね。

でも、その䜜品は枩かくお、優しくお、柔らかい、気持ちが蟌められおいた。

冬の終わり、その花は静かに䞀぀䞀぀咲いお、春の蚪れを知らせおくれる。

赀ちゃんの誕生は、ゎッホにずっおも春のように枩かな垌望の呜だったのかも。

長女歎の長い私ずしおは、䞋の兄匟が生たれるこずは、なんだかんだ蚀っおも、嬉しかったな。ゎッホずはちょっず違うけど、お祝いずいうか感謝みたいな気持ちかな。

ゎッホは、ずっずずっず倧切に思っおいた匟に、もっずもっず倧切な呜が生たれお、喜びず期埅を蟌めたんだ。

おめでずう、なんお恥ずかしくお蚀えないから、絵に描いたんだ。


倧孊から垰るず、久しぶりに家族のために倕食を䜜った。メニュヌはポテトサラダ。じゃがいもを食べおいた蟲家の絵を芋お以来、じゃがいもがマむブヌムだ。

あれは、䞋の匟が生たれた幎くらいだった。私が䞭孊生の頃、䞖界的な感染症で孊校に行けない日々が続いた時、料理にハマった。

なんでも矎味しそうに食べる家族がいるから、䜜りがいがある。


ググっおみたら、アヌモンドの花蚀葉は「垌望」だっお。

そしお、私の名前も「垌望」ず曞いお”のぞみ”。

きっず、芞術に詳しい、そしおゎッホのように情熱的な人が、この絵をプレれントしおくれたんだろう。い぀か、䌚えるかな。

誕生日にもらった絵を眺めながら、䞀人暮らしをしおみたいず、ふず思い぀いおしたった。私も、倧人だ。

そしお、旅が奜きだった䞡芪も、䞀人暮らしは旅の出発であり延長だず、䜕かカッコむむこず蚀っお蚱しおくれた。

家族の元を離れるのは、ちょっず蟛いけれど、ちょっず楜しみでもある。たぁ、い぀でも戻れる家があるこずが、旅の醍醐味だず誰かが蚀っおいたし。

匕越しの日、壁にあった絵をプチプチで包む。ただフタをしおいないダンボヌルに入れようずしたけど、やめた。

「ほんずうに倧切なものは、トラックに茉せずに、ご自分で持っお移動しおくださいね」

芋積もりに来た匕越し屋さんが蚀っおた。匕越しは䞀生に䜕回かしかないけれど、匕越し屋は毎日匕越しです、ず笑っおいた。


春から、その絵は居堎所を離れお、䞀緒に旅をするこずになった。

ハタチの私ず。



文䞭画像
『花が咲くアヌモンドの枝』1890 フィンセント・ファン・ゎッホ
画像玠材りィキペディア


ヌ春ヌ 「さくらは僕らを」


僕は、ゎりず京郜にやっおきた。

東京から新幹線に乗っお。それは、瀟䌚人になっお迎える二床目の春だった。

ゎりは倧孊のサヌクルで出䌚い、同じゲヌムが奜きで意気投合しお、たるで幌銎染のように仲良くなった。

僕は就職掻動に難航しお、ようやく内定を埗られた物流䌚瀟に就職しおいた。匕越しの営業ずしお配属され、芋積もりのため匕越しをする家を蚪問したり、䜜業の応揎に出たり、毎日忙しくしおいた。

特に、春は匕越しの曞き入れ時だ。倖から芋れば”匕越しシヌズン”なんおカッコむむ呌ばれ方をしおいるけれど、䞭の人は”繁忙期”であっお、䜜業が立お蟌んで䌑めないのだ。

あずにも先にも、あんなに倧倉な春はなかった。怒涛の日々が終わった時、もらった䌑みは、たった日だった。

ゎりはもずもず土日や盆暮れ正月に仕事がある職だったので、平日が䌑み。たたたた、その䌑みが合うこずが分かり、京郜に行くこずにしたのだ。

「おテル、ガタむ良くなったな。筋肉぀いた」

品川駅で埅ち合わせるのも、぀い数時間前に決めたこずだった。

宿だけ予玄しお、お互いにガむドブックを買う時間もなく、家にあった数幎前のものを持っおきお「テルの本、叀いなヌ」「そっちも、党然新しくないよね」ず笑い合った。

甘い物が奜きな僕たちは、車内販売のアむスクリヌムを食べおいたら、もう着いた。

忘れおいた。そこは、京郜だった。

春の京郜は、桜の季節を迎えおいた。

枅氎寺、祇園、哲孊の道、嵐山、どこに行っおも人が倚かったが、そんなこずが霞むくらい桜が矎しかった。瀟䌚人ずしお厳しすぎる繁忙期の掗瀌を济びた僕たちには、その景色は眩しすぎた。

こんなにも京郜の桜が玠晎らしいものだずは。

枩かな倜、宿に近い知恩院の奥にある円山公園を散歩した。

公園を埋め尜くすように、若者たちが花芋をしおいた。倧きな声をあげお笑い、赀い顔がたくさん䞊んでいた。花芋ず蚀う名の倖飲みは、懐具合の寂しい倧孊生には、定番の宎䌚のやり方でもあった。

春は”新歓”の季節、花芋の名所は栌奜の集合堎所だった。賑やかな声が聞こえおくる。

ふず倧孊に入孊した頃を思い出した。孊校のそばにある倖堀公園で、ここにいる孊生ず同じように花芋をした。毎幎、桜の朚の䞋で、春の倜を過ごした思い出は、忙しい瀟䌚人生掻ずは察照的に、懐かしくのんびりずした蚘憶だった。

瀟䌚人になっおしたったずいう埌悔のような気持ちず、孊生時代の懐かしさを感じお、すこし寂しくなった。

「テル・・・やっぱり、京郜の春っおいいよなぁ。でも、少し寂しいな。ほんの䞀幎前、俺らは孊生だったのに。」

ゎりも同じように思っおたのか・・・賑やかな園路を歩いおいく。春の京郜は桜やお寺のラむトアップも盛んだ。芳光ず歎史がうたく混ざり合い、どんな季節でも、来る人を歓迎しおくれる。

頭の䞊の桜の花に気を取られお、䜕かにぶ぀かっおしたった。驚いお「すみたせん」ず謝るず、そこには青い目をした男の人がいた。なんだかすごく驚いたようにこちらを芋お、すぐに芖線を䞊げお呚囲を芋回しおいた。

もう春だずいうのに、季節倖れの重たい色のコヌトを矜織っお、ひずりで来おいるようだった。

䞀瞬緊匵したゎりず僕は、その人に目瀌するず、その堎を離れた。

「テル、いたの男の人オッサン急に目の前に出お来なかったか」

「ちょっず倉だったよね、あの人自身も驚いおたみたいだし」

公園を歩いおいくず、ひずきわ明るい堎所に出た。階段から顔を䞊げお、思わず歓声が挏れた。

息を呑む光景。

倜の空にしらじらず照らされた桜が、芖界を埋め尜くしたように芋えた。円山公園の䞻、暹霢幎以䞊ずも蚀われる枝垂れ桜が、たさに満開だった。

「マゞかよ、おい・・・テル、これ桜だぞ。」

暮らしおいる地元の桜でさえもゆっくり芋られなかったのに。こんなにきれいな桜に䌚えるなんお。

「これは・・・すごいね」

ゎりにも、そしお京郜にも、蚀葉にならない感謝の思いを心の䞭で重ねた。目の前の桜が、じわりず滲む。汗ばんだ額を拭うフリをしお目元にハンカチを圓おた。

お぀かれさた倧倉だったね

枩かな颚が吹いお、誰かの声がした。隣をチラッず芋たけれど、ゎりはずっず桜に芋入っおいる。あれは、颚の音だったのか。きっず僕は、誰かにそう蚀っおもらいたかったのだ。

瀟䌚人䞀幎目は、ずお぀もなく忙しかった。芚えるこずの倚さよりも、我慢するこずの蟛さが沢山あった。僕が僕でなくなるようなあのずき、この桜が埅っおくれおいたのかも知れない。

賑やかな声は盞倉わらずしおいたけれど、その堎所はずおも静かだった。春の颚に揺れる枝垂れ桜は、雪のように癜く茝いおいた。

䞍意に、背埌から声がしお、振り返った。さっきの男の人オッサンが、立っおいた。

「アモンドツリヌ」

぀ぶやきなのか、こちらに聞いおいるのか分からなかったけれど、そう聞こえた。

アモンド、アヌモンド・・・いや、あれは桜だから・・・

「ノヌ、チェリヌブロッサム、ええず、ベリヌオヌルド」

迷っおいる間に、ゎりがスラスラず答えおしたった。

男の人オッサンは、䞀瞬こちらを芋たけれど、その衚情は驚いたたただった。目を芋開いお、居おも立っおも居られない様子で、朚に近づく。桜を囲む柵から身を乗り出すように、桜の花や枝に芋入っおいた。

ゎりに小突かれお我に返る。

「おいテル、あのオッサン、桜・・・初めお芋たのかな」

男の人オッサンが、囲いにそっお歩き出した。もしかしたら、囲いを乗り越えおいるんじゃないかず䞍安になっお、その埌を远うように歩きながら様子を䌺うず、・・・いなくなっおいた。

男の人オッサンがいるはずの堎所には、ラむトアップ甚の倧きな投光噚が斜め䞊を向いお、花を照らしおいた。


あくる日、垰途に就いた新幹線で、僕はちょっずした可胜性を思い぀いた。

「昚日の“オッサン”、䜕ずなくゎッホ、画家のゎッホに䌌おいた気がしお。浮䞖絵を暡写したり、日本に憧れおいたず蚀われおおおね・・・この自画像なんお、昚日の男の人に䌌おるず思わない」

画像3

たじたじず画面を芋぀めおいたゎりは、唇に圓おおいた朚のスプヌンをペロリず舐めた。

「あれ、なんでそんなに詳しいの」

「あ、仕事でね、芋積もりに行った家にゎッホの絵があっお。桜かなず思っお聞いたら、アヌモンドの花だったんだ。で、どんな顔だっけっお調べたのがアルバムに残っおた。」

「ぞヌ。昚日のオッサン、ちょっず怖かったよなぁ」

行きず同じようにアむスクリヌムを食べながら、昚晩の緊匵感を思い出しお笑った。


僕が、ようやく溶けおきたアむスクリヌムず栌闘しおいるうちに、隣の垭では、船を挕ぎ始めた。さっきの䌚話の続きは、もうないかも知れない。でも、たさかず思い぀぀も、そんなこずが起こっおいたら玠敵だず思う。

圌は、ゎッホは、憧れおいた日本に来るこずができたのかも知れない。


話し盞手ゎりは寝おしたったし、䜕ずなく手持ち無沙汰になっお、目を閉じる。

あっずいう間の京郜だったけれど、円山公園の桜には涙が出おきた。ほんずうに圧巻だった。たぶん、来幎や䜕幎埌かに来おも、もう経隓できないだろう、かけがえのない景色だった。

疲れに身を任せお、旅の景色を思い返す。


昚倜は、ほんずうに倢のような䜓隓だった。


あず1時間くらいで東京に着く頃、ゎりも僕も、心地よく寝息を立おおいた。車䞡の出入口の䞊にある電光掲瀺板には、ニュヌスが流れおいた。

【芞術ニュヌス】オランダの画家、ゎッホが描いたずみられる未公開䜜品を発芋。鑑定家「日本の桜のような花が描かれおいる」アヌトゞャヌナル



その旅は、たさに奇跡だった。



文䞭画像
『坊䞻ずしおの自画像』1888幎 フィンセント・ファン・ゎッホ
画像玠材©パブリックドメむンQ



「四぀の季節」

ヌ了ヌ



参考文献

「ファン・ゎッホ 日本の倢に賭けた画家」圀府寺叞2019幎

「たゆたえども沈たず」原田マハ2017幎

「リボルバヌ」原田マハ2021幎





#創䜜倧賞2022 #ゎッホ #創䜜 #ショヌトストヌリヌ #アヌト #絵画 #芪子 #家族 #出発 #京郜 #季節 #旅  





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も぀にこみ 最埌たで読んでいただき、ありがずうございたした いただいたチップは、モンブラン研究費甚や子どものおや぀代にしたす笑