大切な人を、大切にできる自由がほしい。私がフリーランスを目指す理由
最近、自分はなぜ、フリーランスになりたいのかを改めて考えている。
迷った時のために、一度ちゃんと言葉にしておこうと思う。
理由1️⃣→両親に恩返しをしたい
70代前半の父と母は、私の家から少し離れた場所で二人暮らしをしている。
父は、とにかく厳しかった。
娘の私には特に厳しかった。
今なら「虐待」と言われるようなしつけもあった。
褒められた記憶は、ほぼない。
しかし、父からの愛情は、言葉ではなく、行動のあちこちから滲み出ていた。
と、今になって思う。
私は若くして結婚し、離婚した。
離婚した時、息子はまだ2、3歳だった。
私は、メンタルの不調や不眠に長年苦しんでいた。
思うように子育てができない時期が続いた。
そんな私に代わって、息子を育ててくれたのが父と母だった。
「おじいちゃん、おばあちゃん」というより、もう一度、父親と母親をやってくれたようなものだった。
時間を使ってくれた。
お金もたくさん使ってくれた。
たくさん遊んでくれた。
時には叱ってくれた。
ちなみに、「元夫」からは、養育費が支払われたことは、1度もない。
その代わり…というのは、おかしいが、私と息子の目の前に現れることもなかった。
息子が道を外れ、少年院に入った時も、両親は決して見放さなかった。
少年院や福祉の関係者とも積極的に関わり、その後も息子の人生を支え続けてくれた。
私立大学まで行かせて、卒業させてくれた。
本来なら、子育てを終えて自分たちの人生を楽しんでいたはずの時期だ。
それでも二人は、もう一度「子育て」をしてくれた。
そして私に、
「あなたのせいで大変だった」
とは、一度も言わなかった。
恨み言も、小言もなかった。
考えただけで、胸がいっぱいになる。
感謝してもしきれない。
数え切れないほどの時間をもらった。
恩返しがしたい。
そう、ずっと思って生きてきた。
今、息子は社会人になった。
私自身も長い年月をかけて、驚くほど元気になった。
両親は、今、まだ幼い孫たちに囲まれ、誰が見ても「おじいちゃん、おばあちゃん」としての時間を過ごしている。
できるだけ長く、この穏やかな時間を守りたいと思う。
家族としてそろそろ気になるのが「介護」のことだ。
施設に入りたいのか。
できるだけ自宅で暮らしたいのか。
もし介護が必要になったら、誰にどうしてほしいのか。
肝心なことは、何ひとつ聞いたことがない。
弟が二人いるが、まるで蓋をするかのように、その話題には触れない。
私も、なんとなく聞けずにいた。
そうして、年月だけが過ぎていった。
そんなある日、母と電話で話していた時だった。
母が、ポロッと言った。
「施設には入りたくないよ…。
〇〇(私)が見てくれればいいのになぁ」
ずっと聞けなかった両親の老後について、当人から、初めて本音らしきものを聞いた瞬間だった。
そして、
「お父さんもそう言ってる」
その言葉を聞いた時、嬉しかった。
やっと、恩返しができるかもしれない。
そう思った。
同時に、緊張も走った。
私は介護職だ。
在宅介護が「親孝行」の四文字で片づくほど甘くないことも知っている。
きれいごとだけでは続かない。
いつかの上司が言っていた。
「施設は、家族を最後まで家族でいさせる役割もある。」
つまり、施設は、家族を「介護する人」に変えず、最後まで「家族」でいさせてくれる役割もある。
ということだ。
介護職員は、家族が知らない介護の裏側を見ている。
そして、そこで目にするのは美談よりも厳しい現実のほうが多い。
そんな役割を担う自分の仕事に誇りを持っている。
しかし、自分の両親となると、すごく怖い。
父を「介護する人」としてではなく、父として、見ていたい。
母を母として、ずっと見ていたい。
それでもいつか、家族だからこそ見たくなかった現実と向き合う日が来る。
それを、自分は「恩返し」という形で引き受けようとしている。
今、思うのは、自宅と行き来したりしながら、全部を一人で背負わず、使えるサービスは使いたい。
たまには、実家に泊まり込むこともあるかもしれない。
収入を維持しながら、自分の生活も守りたい。
介護を「辛い恩返し」にはしたくない。
一緒にご飯を食べる。
くだらない話をする。
父の頑固さに「はいはい」と笑う。
母とは今まで通り、親友のように話す。
そんな日常の延長線上で二人を支えたい。
あの頃、私と息子に使ってくれた時間を、今度は私が二人に使いたい。
私は、一度だけ「自由に働く」という感覚を知っている。
以前、2年間ほどフリーランス介護士として働いていた。
1ヶ月の予定を自分の都合だけで決める。
働く日数も、休む日数も、連休の数も、自分で決められた。
誰かに休みの許可をもらう必要もない。
収入さえ維持できていればそれでいい。
実際、手取り収入は雇用されていた頃より、ずっと良かった。
「自分の時間を、自分で決められる」
自分の人生のハンドルを、自分で握っている。
ただそれだけのことが、私には驚くほど心地よかった。
あの頃の自由と幸福感は、今でも忘れられない。
しかし、現実はいいことばかりではなかった。
国保税や年金などの負担は想像以上に大きかった。
そして、もうひとつ大きな問題があった。
フリーランスとはいえ、介護士は現場に出向く仕事だ。
決められた時間に、決められた場所へ行かなければならない。
突然の体調不良や、どうにもならないハプニングが起きても、「今日は在宅に切り替えます」とはいかない。
行けなくなれば、朝から電話をかけて謝るしかない。
急に代わりの人員を確保することが、どれだけ難しいかも知っている。
たった一人欠けるだけで、現場がどれだけ混乱するかも知っている。
だからこそ、休まなければならない時の申し訳なさは大きかった。
結局、税金や年金の負担も重なり、私はフリーランス介護士を泣く泣く中断した。
働く日も、休む日も、自分で決められる。
確かに自由だった。
でも、今ほしい自由は、少し違う。
「大切な人に何かあった時、すぐに動ける自由」
今、私が目指しているのは、ただフリーランスに戻ることではない。
場所にも時間にも縛られず、大切な人に何かあった時、仕事を理由に諦めなくていい働き方だ。
一度知った、あの「自分の人生のハンドルを、自分で握っている」という感覚。
今度は、自分が自由になるためだけではない。
今度は「自由」のためだけではなく、両親への恩返しのために戻りたい。
理由2️⃣→夫の母の力にもなりたい
私には事実婚の外国人の夫がいる。
涙が出るほど優しい人だ。
私の人生が大きく変わったのも、
メンタルが劇的に安定したのも、
長年やめられなかったタバコをやめられたのも、彼の存在が大きい。
フリーランス介護士として先の見えない不安があったはずなのに、一度も否定せず応援してくれた。
そんな彼のお母さんは今、大きな病気と闘っている。
日本語もあまり得意ではない。
どれだけ心細いだろう…。
だから、もし助けを必要とする日が来たら、私も力になりたいと思う。
もちろん、介護される側の気持ちが最優先だ。
施設がいいかもしれない。
ヘルパーさんがいいかもしれない。
家族には頼りたくないと思うかもしれない。
私の両親にしても、半年後には、考えが変わるかもしれない。
それでいい。
ただ私は、大切な人が「助けて」と言った時、すぐに動ける自分でいたい。
理由3️⃣→もっと本を読みたい。色んな景色を見たい
まだ結婚していた時、お金が本当になかった。
歯ブラシ一本、本一冊、自由に買えなかった。
「もう死んでもいいかな」
毎日そんなことを考えていた。
ある日、図書館で東野圭吾さんの小説を借りた。
夢中になって読んだ。
そして思った。
こんなに面白い本が、世の中にはまだたくさんあるんだろうな。
この著者の他の作品も読みたい。
この『続き』を知らずに死ぬのは、あまりにももったいないと思った。
『面白い』という感情が、これほどまでに生きる力になるとは思わなかった。
お金がなくても、図書館なら本を借りられる。
もう少し生きてみようと思った。
あれから長い時間が経った。
今の私は、読書のほかにも、田舎の景色が大好きだ。
まだ見たことのない景色が、この国にも、この世界にも山ほどある。
見てみたい。
できれば、いつか田舎町に住みたい。
そして、本をたくさん読みたい。
そして、大切な人に何かあった時には、すぐに動きたい。
大切な人を大切にできる自由。
恩返しができる自由。
自分の人生を自分で選べる自由。
私は、その自由を手に入れるためにフリーランスを目指している。
私が自由になりたいのは、自分のためだけではない。
これが、私が働き方を変えたい一番の理由だ。
迷ったら、またここに戻ってこよう。
