父は、愛情を言葉にしない人だった。
私の父は海外赴任が多かった。
行き先はいつもブラジル。
数ヶ月ではない。
年単位だ。
しかも父ひとりでは行かない。
一家まとめて引っ越す。
私も3歳年下の弟もブラジル生まれだ。
大使館には、まったく出番のないミドルネームが登録されている。
母は父を支えるため専業主婦。
そして父は、辞書で「亭主関白」を引いたら写真が載っていそうな人だった。
無口で厳格。
笑顔より説教のほうが多かった。
そして私の小学校卒業と同時に、一家で日本へ完全帰国した。
その頃、動物病院の前に捨てられていた幼い兄弟猫を迎えることになった。
当初は1匹だけの予定だった。
ところが父は、兄弟を離ればなれにする選択だけは、どうしてもできなかった。
予定は変更され、2匹まとめて我が家の一員になった。
ある日、そのうちの1匹の具合が悪くなった。
「病院へ連れて行こう。」
そう言った母に、父は真顔で言った。
「猫は家畜だ。病院なんか連れて行かなくていい。」
結局、家族総出の猛反対で、父はあっさり敗北。
猫は無事、病院へ連れて行かれた。
子どもだった私は「なんて冷たい人なんだ」と思った。
そして動物にあまり情をかけない人。
──ずっとそう思っていた。
年月が経ち、父の定年間際。
最後となるブラジル赴任が決まった。
私たち姉弟は独立していたため、両親だけでブラジルへ向かうことになった。
その頃、実家には猫が3匹いた。
弟が友人から譲り受けた、若くて美人の猫が1匹。
そして12歳を過ぎた兄弟猫が2匹。
それぞれ病気も抱えた、おじいちゃん猫たちだ。
若い美人猫はすぐ新しい家族が見つかった。
問題は、おじいちゃん猫たちだ。
私は、ひと悶着あると踏んでいた。
必要なら私が引き取ろうとも考えていた。
数週間後、母から驚きの話を聞かされた。
「ブラジルへ連れて行くことになったから。」
……。
……えっ?
父はあっさり決断を下し、必要な手続きもすべて済ませていた。
母は少し困ったように愚痴をこぼしていた。
「いつも勝手に決めちゃうんだから。」
こうして猫たちは、日本の真裏にあるブラジルへ飛んで行った。
まさか、老後を南米で過ごす猫がいるとは誰も思わないだろう。
猫界でもかなり珍しい経歴ではないか。
それから数年間、2匹はブラジルで暮らした。
そして、順番に天国へ旅立った。
最期は水しか飲めなくなったという。
その時、父と母は交代でスプーンで水を飲ませ続けたそうだ。
昭和の頑固親父そのものだった父。
その父が、猫の最期まで寄り添っていた。
仕事を無事に終え、迎えた完全帰国の日。
父と母は、猫たちのお骨も一緒に日本へ連れて帰ってきた。
家族だから。
父はその一言を口にしなかった。
でも、行動が全て物語っていた。
思い返せば、不思議だった。
「猫は家畜だ」と言っていた父。
でも、猫たちは誰より父が好きだった。
父が座れば膝の取り合いだった。
ブラジルへ老いた猫2匹を連れて行く…。
今になって思えば、その手続きは相当大変だったはずだ。
海外へ動物を連れて行くには、検査や書類など数多くの手続きが必要になる。
もちろん費用も安くはない。
そして完全帰国の時には、お骨も一緒に日本へ連れて帰ってきた。
すべて正式な手続きを踏み、費用を払った。
私は、そのことが何よりすごいと思った。
「最期まで面倒を見る。」
口で言うのは簡単だ。
でも父は、その言葉通り、本当に最期までやり切った。
面倒を見るとは、
かわいがることだけではない。
時間も、お金も、手間も
惜しまないことだ。
父は、それを黙って行動で教えてくれた。
あの2匹は、きっと今も天国で自慢しているだろう。
「うちの父ちゃん、世界一頑固だったけど、世界一やさしかった。」
動物は本能で相手の本質を見抜くという。
あの2匹は、とっくに知っていたのかもしれない。
父は本当は誰より情に厚く、不器用なくらい優しい人だったことを。
動物病院の前で捨てられていた幼い兄弟猫を、2匹とも連れて帰った父。
父という人は、優しさを言葉ではなく、行動で見せる人だったのかもしれない。
…とはいえ、父は今日も元気だ。
今は、母とビビリ屋の猫と3人で暮らしている。
亭主関白ぶりは、相変わらず絶好調である。
きっと今日も「家畜だから!」なんて言いながら、誰よりも猫の様子を気にしているのだろう。
