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家族にありがとうを伝えたい。けど、伝えたいのは家族だけじゃない

「ありがとうね、家のことやってくれて」
実家にいたのだから当然だ。

確かもう、4年前だろうか。母が入院して3か月後に帰ってきた。そのときはもう2月の寒さのこたえる時期だった。

母が言うには、家族みんな色々やってくれたけど、一番頼りになったのは俺だという。

俺は誰より、心配して声がけをやったとか、病院にお見舞いに行ったとか、そういうことは一切していない。

とにかく、俺のできることだけをやった。炊事洗濯掃除。親父は俺を、「お母さん」と揶揄した。

もう笑い話だ。
よかった。

これから書くのは、家族それぞれとの出来事だ。

最後まで読むと、一つの「ありがとう」につながる。


次男は、仕事で辛いときに俺に本音を吐いてくれた

去年、次男からLINEが来た。珍しいと思った。うちの弟たちは、自分から俺へ連絡することがめったにない。

「仕事を辞めたい」

そこには、職場でのお客様によるハラスメント、そして同僚先輩のハラスメントで心を痛めている辛さがつらつらと書かれている。

その頃の弟は介護業だった。介護は人間関係が難しい。俺の偏見だが。

とにかく、ここで俺ができるのはこれだけだった。LINEでこう打った。

「愚痴を全部吐き出せ。悪口全部だ。いやなことを言うのはここではタダだ」

なんとなく、チャットの向こうで、弟の家族に隠れながら、もしかしたら手を震わせていたのだろう。ミスタイプが多かった。沢山の辛さがチャット上に出てきた。

家族がいなかったら、殺人をやらかしたかもしれない。

追い詰められている弟に泣いた。とにかく相槌を打って、気持ちを吐き出させた。

今は、弟の妻の助力もあって、好きな仕事に就いた。
長続きしてほしい。

弟から俺にありがとうはないけど、ただ幸せな日常が戻っただけで十分だ。

甥っ子と元気に遊び、それを見て、ちょっと呆れている奥さんの姿が、俺にはただただ嬉しい。

家族っていいな。

俺に家族を見せてくれてありがとう。

三男がメンタルの病にかかって俺に電話してきた

昼間、スマホが鳴った。
三男の元気な声から始まった。

「俺、なんか会社に医師の意見書を出したら、傷病手当を出されて、1カ月ほど休職することになったよ」

なんでも会社でかなり、仕事のことで問い詰められて、何となく弟自身も調子がおかしいと思ったらしい。

それでメンタルクリニックに行ったら、そうなったのだという。
幸い、さほどひどくはない。

俺は精神障害者保健福祉手帳を持っている。
そして、その辛さは泣くほど辛い。
いや薬で泣けなくなって感情が死んだときもあった。

そんなことになってほしくない。
だから三男にしっかり休むように念押しした。

三男が会話の中でいったことで一番、多分本人が辛いのか辛くないのかわからなくなっていたことを言った。
「俺の話、他の人にはわからないらしいよ」

声は笑っていたけど、俺は笑えなかった。

弟はすごく優しくて、まじめで責任感がある。
だから聞いていて、もっと嫌なことは嫌だと、言っていい。

そう伝えたかった。

また電話したいと、三男は言った。
俺の憶測だけど、多分不安なのかも。
メンタルの病気は、怖い。

それは昔の俺の様子、感情が死に、やる気のなかったあの頃の様子を見たら、確かに不安になる。

こんな簡単な言葉ではかたづけられない話なんだけど、とにかく俺の言葉では、一日そこらで書ける辛さではないんだ。

ただ、よかったのは、これをきっかけに、三男の妻が、あちこち弟とデートに行ったことだ。夫婦仲が深まったのなら、まったく問題というほどでもない。

父が研削機で指を切ってしまった!

この時は、私と母は心がヒヤリとしてしまった。
会社から、「父が研削機で指を切ったから、病院に運ばれた」

母はやや笑顔で俺に伝えたが、無理をしているのはすぐにわかった。俺よりも、一番無理をしているのは母だった。

気丈にふるまっていたが、どういうことかわからないことには何とも。研削機で指を切ったということは、最悪、指が何本かなくなっていてもおかしくない。

俺はすぐに仕事に戻った。
だけど、集中するのが精いっぱいだった。

俺の会社は、フルリモートだ。
俺の恐怖感は社長には伝わっていないだろう。

チャットでも平然とした温度でしか、書かなかったから。
あれから3時間くらいしただろうか。

時間は仕事終わりの6時。
ようやく母のスマホに電話した。

電話に出たのは、一緒に働いていた父の兄だった。
電話口で、叔父は、父は大丈夫だと言ってくれた。

すこしして、叔父が、
「息子が心配して電話くれたよ」

と父に声をかけているようだった。
父の声は聞こえてこなかったが、叔父が言うには、意外に寂しがり屋なところがあって、心配してくれるのが嬉しかったらしい。

俺がお金で困っているときは父は相談に乗ってくれた。
お金なんかより、もう年なんだから、自分の心配をしてほしいよ。

どれだけハラハラしたか、わかっているのかなあ。

本当にお世話になったのは、俺

俺の話はここでは簡潔に書く。
俺の闘病記は、20歳のころからだから、その後20年以上たっても続いている。

単なるメンタルの病では済まないところがある。
この世から消えたくて、バカなことをしたこともある。

人に、おかしいと嘲笑もされたし、ここでは書けない時代錯誤の言葉もかけられた。

それでも、勇気づけてくれる方もいる。
うちの家族は、最初こそ理解はなかったが、今では俺の最強の味方だ。

俺が辛くて、暴言を吐いても、「ああ、またか」で済ませてくれる。
もう、当たり前なのだ。

俺は、どうやって「ありがとう」と「ごめん」と、伝えればいいのか。
いや、言葉にはしている。

父の日、母の日に食べ物も送っている。
弟たちの幸せを嬉しく思う。

でも、なんか返せていない。
俺の不幸を一身に受け止めて、

俺以上に多分傷だらけになったことだってあったはず。

母は、俺の暴言に口をふさいだ。

次男は、俺の病気のせいでなかなか結婚できないでいた。

三男は、俺の幻聴話に付き合わされた。

父は、俺の激しい入退院でお金を使った。

これだけ大迷惑をかけた俺は、どうやったら家族に恩返しができるのか。
最初にきれいなことをわざと書いたけど、実は、気持ちを返したいのは俺の方だ。

「生きるって辛い。
でも、生きなきゃいけない。
どんなに笑われても。」

ある時、病院の待合室で聞こえた知らない人の会話が、
耳に残っている。

生きるのは、耐えなければならない。
耐えた先に、見てくれる人がいるのだから。
応援してくれる人の気持ちに応えたい。

それから、「faith」と言ってくれた方もいる。

悪口だけではない。知らない誰かが応援してくれたんだ。
生きないと。

そして、noteを始めてから、恥ずかしいけど、意味がわからないと思われるかもしれないけれど、この記事を読んでくれたあなたへ。

「ありがとう!」

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