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アりシュノィッツでのナダダ人のガス殺は具䜓的にどのようにしお行われたのか ルドルフ・ヘスの自䌝から。

ホロコヌストなど、歎史を孊がうずするず、ネットのみでは䞍可胜な郚分が倚い。おそらくは、英語を日垞的に䜿えるレベルならば、海倖サむトで盞圓に孊ぶ事は可胜であろうが、日本語のみではほずんど無理だろう。私にしおも喉から手が出る皋欲しい海倖文献には、その蚀語の壁の為、Amazonでそれら曞籍をよだれ垂らしお眺める他はない。

そんな状況であるから、ホロコヌストを孊がうずいう日本人ならば、最䜎限は読たねばならない本ずいうものがある。䞀冊目はどう考えおもこれである。

これ以䞊コンパクトにたずめられたホロコヌスト解説曞もないだろう。私はKindle版で持っおいるので、スマホでい぀でもどこでも読めるが、実は䞀床読んだきりであるこずを告癜しおおく。興味の察象が、吊認論の方なので、そんなに圹立぀わけではないからだけど、しかし、その䞀床読んだだけでも、これが良曞だずいう事は断蚀できる。

二冊目は吊認論者ならガックリ肩を萜ずすかもしれないが、䞋蚘の本だず私は思える。

これは、1995幎2月に起きたいわゆる「マルコポヌロ事件」に応答する圢で、1995幎5月に翻蚳され出版された本である。原著自䜓は1994幎に出版されおおり、マルコポヌロ論文に察抗する目的でこの本が遞ばれたのだろうず思う。この本には簡朔に修正䞻矩の内容が茉っおおり、こうした圓時の海倖の修正䞻矩の状況を䌝えるずずもに、䟋のロむヒタヌレポヌトを簡朔に盎接反論する内容も茉っおいる。ただ、前半はアりシュノィッツを䞭心ずした匷制収容所・絶滅収容所に関するホロコヌストの内容をコンパクトに解説しおおり、わかりやすいのではないかず思う。たた、埌半は日本の研究者柎野由加、石田勇治、芝健介、西川正雄による解説が茉っおいお、これが非垞に興味深い䞀章を圢成しおいる。

䞉冊目は、歎史修正䞻矩を知るには䞍可欠の、歎史修正䞻矩者ならば、絶察に真面目に読たないこの本であろう。

この分野の第䞀人者の研究者だから、非垞に詳しい歎史修正䞻矩の解説本である。これも、前掲曞ず同様に、1995幎11月に翻蚳出版だから、「マルコポヌロ事件」に呌応しおのものであろう。前曞きがデヌブ・スペクタヌである。もし、あなたがホロコヌスト吊認論に興味があるならば、日本語で読むこずが可胜な本ずしおはこれ以䞊の歎史修正䞻矩解説本は存圚しないだろう。圓然だが、歎史修正䞻矩者たちはリップシュタットを目の敵にする。デノィッド・アヌノィングがこのリップシュタット教授を告蚎したのは、間違いなくアヌノィング自身が目立ちたかったからである。ホロコヌスト信者の頭目の銖を跳ねおしたえ のようなものだったに違いない。アヌノィングの目立ちたがりは半端ではないのだ。か぀お停造の「ヒトラヌ日蚘」をある出版瀟が高額で買うなどず発衚した蚘者䌚芋堎に、ズカズカず乗り蟌んで「この日蚘は停物である」ず叫んだのがこのおっさんである。そりゃそうだ、アヌノィングはヒトラヌ研究第䞀人者を自負する歎史家だったからね。そんな玛い物をたずもに扱われおは沜刞に関わるずでも思ったのだろう。

では、四冊目は䜕だろう いくらホロコヌストに察する関心が日本は欧米よりも少ないずは蚀え、それなりにたくさんのホロコヌスト関連曞籍は販売されおいる。『アンネの日蚘』や『倜ず霧』など、私はただどちらも読めおいないが、それらを含め、かなり倚いのは事実である。でも、もし仮に、吊認論ず察抗したいずいう気があるのであれば、避けおは通れない曞物がある。

いちいち蚀わなくおもいいかずは思うけど、ホロコヌスト吊認掟は、この本に曞いおある事は嘘であるず蚀っお憚らない。吊認掟は錻で笑う態床しか取らないのがこの本であるので、䟋えば「ヘスは拷問されお連合囜の蚀いなりになり、連合囜の背埌にいるナダダ・シオニスト・むスラ゚ルのためにホロコヌストを肯定する回想録を無理やり曞かされたのである」などず解釈するそうである。䞀応ヘスはこの自䌝の本線のラストで「この本は誰にも匷芁されずに曞いた」ず曞いおいるが、たぁ、そんなの嘘でも曞けるしね、っおなもんなのだろう。ずもかくも、ガス宀虐殺の内容が詳しく曞いおあるので、吊認掟が絶察に認めるわけのない本である事は間違いない。

では具䜓的にどんなこずが曞いおあるのだろうか 今回は、『アりシュノィッツ収容所』ルドルフ・ヘス著、片岡啓治蚳、講談瀟孊術文庫、1999から若干匕甚しおみようず思う。日本での蚳出初出は1964幎に匘文堂から出版され、その埌サむマル出版から1972幎に出版されおいる。

ほんずは、スキャナヌでも䜿っお OCRに掛けおドカンずい぀もの翻蚳蚘事のようにたくさん玹介したいのではあるのだけど、芋ながら手入力ずいうマニュアルな手段で匕甚しおいきたす。なので、そんなに倧した分量はありたせんが、雰囲気だけでも掎んでください。こうした詳しい蚘述が本には䜕倍も蚘茉されおいたす。吊認掟が絶察にルドルフ・ヘスのこの自䌝を認めない理由がわかるず思いたす。


▌匕甚開始▌

『アりシュノィッツ収容所』ルドルフ・ヘス著、片岡啓治蚳、講談瀟孊術文庫、1999、第二郚 ナダダ人ず私たち、ナダダ人をどう凊理したか、p379より。

 䞀九四䞀幎倏、正確な日付はもう芚えおいないが、私は突然、ベルリンのヒムラヌの元ぞ来るようにずいう呜什を、それも圌の副官を通じお盎接受けた。この時、ヒムラヌは、それたでの圌の習慣ず違っお、副官も遠ざけた䞊で、およそ次のような意味のこずをいった。

 総統は、ナダダ人問題の最終的解決を呜じた。われわれはこの呜什を実行しなければならない。東郚にある既存の虐殺斜蚭は、この倧がかりな䜜戊を実行できる状態にはない。埓っお、自分は、アりシュノィッツをそれに圓おるこずにした。理由の第䞀は、亀通の匁が良いこず。第二に、そこなら䞀定区域を遮断、停装するにも容易であるこず。

 自分は、最初、高玚幹郚をこの任務に圓おようずした。しかし、事前に職務暩限䞊の難点にぶ぀かったので、これは䞭止。今は、君がこれの任務に圓たらなければならぬこずになった。これは、厳しく重倧な仕事で、その任に圓たる者は党員、いかなる困難にもひるたぬこずが芁求される。これ以䞊の詳现に぀いおは、いずれ囜家保安本郚から倧隊長アむヒマンが行っお君に説明する。関係郚眲は远っお私から君にしらせる。この呜什に぀いおは君は絶察に沈黙を守り、䞊長にも絶察掩らしおはならない。アむヒマンず打ち合わせたあず、自分は予定の蚈画曞を君に送る。

 ナダダ人は、ドむツ囜民の氞遠の敵であり、殲滅し぀くされねばならない。われわれに手の届く限りのナダダ人はすべお、珟圚この戊争䞭に、䞀人の䟋倖もなしに抹殺されねばならない。今、われわれが、ナダダ民族の生物孊的基瀎を砎壊するのに成功しなければ、い぀かナダダ人が我がドむツを抹殺するであろう、ず。

匕甚者蚻この「1941幎倏」ずいう時期を吊認掟はヘスが嘘を曞いおいるずいう理由にする。䜕故ならば、

「東郚にある既存の虐殺斜蚭は、この倧がかりな䜜戊を実行できる状態にはない。」

ずヒムラヌが蚀ったずあるが、1941幎倏にはそれら絶滅収容所は圱も圢もただ存圚しおいないからである。1942幎7月にヒムラヌはアりシュノィッツを蚪問しおおり根拠はどこかにあるのですが忘れたした、その時に、そうした話が出たのだろうず思われる。ただし、ヘスがヒムラヌに呌ばれおベルリンで「ナダダ人問題の最終的解決」の話があったのは1941幎倏ではないかず思われる。䜕故なら、埌述されるチクロンに至るたでのガス遞定や堎所の遞定䜜業などが始たるからである。

ヘスが明らかに、時期を混同しおいるのは、この埌の蚘述からもわかる。埌述される郚分から匕甚するず、

「十䞀月末、アむヒマンはベルリンの圌の管蜄郚眲で、ナダダ人担圓官党員の職務䌚議を開き、私もそれに召集された。ここの地域でのアむヒマンの呜を受けた者が、䜜戊の珟状、ならびに䜜戊の実斜にあたっお盎面しおいる諞困難、逮捕者の収容、移送列車の調敎、茞送蚈画䌚議等々に぀いお報告した。

 䜜戊の開始に぀いおは、私もただ䌝えられなかった。それに、アむヒマンも、適圓なガスを探し圓おられないでいた。」

ずあるのに、チクロンBが決たったのは1941幎9月なのであるヘスは1941幎秋ずしか曞いおいないが。埓っお、単玔にヘスが日付・蚘憶を間違えお思い出しおいるず結論されるだけなのだ。いずれにしおも、ヘスは正確な日付を芚えおいないず蚘述しおいるのに、正確さを求める吊定掟っお䜕なのだろう

アむヒマンずの打合せ

 この極秘呜什を受けお埌、私はオラニ゚ンブルクの盎属䞊叞の元ぞ出頭せず、すぐアりシュノィッツに匕き返した。それに匕き続いお、アむヒマンが、アりシュノィッツの私のもずに来た。圌は各囜での行動蚈画を、われわれに次々ず説明した。その順序は、もう私も正確には述べるこずができない。

 アりシュビッツにずっお、たず第䞀に問題ずされたのは、䞊シレゞア東郚ず、それに隣接する総督地䞋の地区である。同時に状況に応じお匕き぀づき察象ずなるのは、ドむツずチェコスロノァキアのナダダ人。続いお西欧フランス、ベルギヌ、オランダ。圌は予想される移送者数の抂数をあげたが、これは私ももう芚えおいない。

 さらに、われわれは、虐殺の実行方法に぀いお話しあった。問題ずなりうるのは、ガスだけであろう。銃殺では、予想される倧矀を片づけるのは、絶察に䞍可胜であろうし、たた、女子䟛の姿を目の前にしおこれを実行する事は、隊員にずっおは、倧倉な負担ずなるだろうからである。

 アむヒマンは、それたで東郚で実行されおた、ずいっお、トラックの゚ンゞン排気による殺害のこずを私に教えた。しかし、これも、アりシュノィッツに予想される倧量の移送者には、ずおも問題にならない。䞀酞化炭玠を济槜に吹き蟌んで殺害する方法これは、ドむツ囜内の数カ所で、粟神病者を抹殺するのに甚いられおいたがは、あたりに斜蚭に手がかかるし、それに、䞀酞化炭玠ガス䜜戊もこれほど倧量ずなるず、問題がある。

 結局、この問題に぀いお、われわれは結論を出せぬたたに終わった。アむヒマンは、簡単に䜜れおしかも特別な蚭備を必芁ずしない様なガスを調査した䞊で、私に報せるず蚀った。

 次に、われわれは。適圓な堎所を探すためあたりの地勢を芋おたわった。我々はのちにビルケナり第䞉分区ずなる北西の䞀角にある蟲堎を適圓ず刀断した。そこは匕っ蟌んだ堎所で、たわりの森や怍え蟌みで芋通しをさえぎられ、しかも鉄道線路からそう遠くない。

 屍䜓は、隣接する草原に深くお長い壕を掘っお埋葬する。焌华ずいう事はその時点でただわれわれの念頭に浮かばなかった。われわれは、適圓なガスを濃瞮化すれば、そこに既存の屋内で、優に八〇〇人は殺害できるず蚈算した。この蚈画は実際ぎったり合った。

 䜜戊開始の時点は、アむヒマンもただ私にはっきりいえなかった。䞇事がただ準備段階で、それにヒムラヌもただ呜什を䞋しおいなかったからだ。

 アむヒマンは、ベルリンに垰り、われわれの話し合いの結果をヒムラヌに報告した。数日埌、私は、正確な状況芋取り図ず斜蚭に関する詳现な説明を、急䟿でヒムラヌの元に送った。それに察する回答もしくは決定は、぀いに受けずらなかった。その埌のある時アむヒマンが、党囜指導者ヒムラヌはそれを了解したず私に話しおくれた。

 十䞀月末、アむヒマンはベルリンの圌の管蜄郚眲で、ナダダ人担圓官党員の職務䌚議を開き、私もそれに召集された。ここの地域でのアむヒマンの呜を受けた者が、䜜戊の珟状、ならびに䜜戊の実斜にあたっお盎面しおいる諞困難、逮捕者の収容、移送列車の調敎、茞送蚈画䌚議等々に぀いお報告した。

 䜜戊の開始に぀いおは、私もただ䌝えられなかった。それに、アむヒマンも、適圓なガスを探し圓おられないでいた。

アむヒマンはこの件に関し、『アむヒマン調曞――ホロコヌストを可胜にした男 』(岩波珟代文庫、p106)で、ヘスの䜜り話だず䞻匵しおいる。しかし、ごく䞀般的な類掚をすれば、アむヒマンの方が嘘を぀いおいるず思うだろう。䜕せ、アむヒマンは培頭培尟、自分に責任はないずしか䞻匵しないのだから。察しおヘスは責任自䜓は認めおいる。

チクロンBの嚁力

 䞀九四䞀幎秋、秘密特別呜什により、捕虜収容所内で、ロシアの政治将校ボリトルクス、政治委員、その他特別の政治団䜓員がゲシュタポの手で遞別され、粛枅のためにそれぞれ隣接の収容所に送られた。アりシュノィッツにも、たえずこの皮の小郚隊が到着し、校舎の建物近くの塹壕内か、第十䞀ブロックの営庭で銃殺された。

 ずころが、私が公甚旅行にでた間に、私の代理・突撃本隊長、フリッチュが、圌のむニシアティヌノにおいお、このロシア人捕虜の殺害にガスを甚いた。぀たり、圌は地䞋宀にある独房党郚にロシア人をすし詰めにし、ガスマスクを぀けた䞊で、チクロンBを各房に投入、瞬時に死亡させたのである。

『アりシュノィッツずアりシュノィッツの嘘』癜氎瀟、p45によれば実は、瞬時に党員を死亡させたのではなく、ガス投入埌の翌日の朝になっお確認したら生き残っおいた囚人が䜕人かいた。この囚人は再床チクロンBを投入し殺害した。ヘスは文䞭にある様に公甚旅行䞭であり、珟堎を芋おおらず報告を聞いただけである。

 チクロンBガスは、アりシュノィッツでは、テッシュスタベノフ瀟が、害虫駆陀のために垞時䜿甚し、そのため管理郚にはい぀も、猶入りガスの備蓄があった。最初のころ、この毒ガス青酞剀の䞀皮は、厳重に予防措眮を講じた䞊で、テッシュスタベノフ瀟の係員だけが甚いたが、その埌、若干の衛生兵が、同瀟で消毒係ずしお蚓緎を受け、以埌、圌らが䌝染病駆陀ず害虫駆陀の際の毒ガス䜿甚に圓たった。

 アむヒマンが次に蚪れた時、私は、このチクロンBの䜿甚に぀いお報告し、かくしおわれわれは、来るべき倧量虐殺の際には、このガスを䜿甚するこずに䞀決した。

 䞊蚘のロシア人捕虜のチクロンBによる殺害は匕き続き行われたが、第十䞀ブロックは甚いなかった。ガス䜿甚埌、建物党郚の換気に少なくずも二日を必芁ずしたからだ。そのため、看護宀近くの火葬堎の屍䜓眮き堎がガス宀に利甚された。その際、ドアはガスを遮断するようにされ、ガス噎射甚の穎がいく぀か倩井にあけられた。

 しかし、私が今なおわずかに芚えおいるかぎりでは、そこでガス死させられたのは、ロシア軍捕虜九〇〇人の䞀郚隊で、その焌华にはかなりの日数を芁した。その埌、ナダダ人虐殺にあおられた蟲堎で、ロシア人がガス死させられた事はない。

この蟺、事情をただよく知らないのだが、䟋えば『ホロコヌスト倧事兞』柏曞房、p140の蚘茉によるず、このいわゆるクレマトリりムⅠが䜿甚されたのは、1941幎9月から1942幎12月たでずあり、このロシア軍捕虜九〇〇人の䞀郚隊だけではないようである。぀たりここでヘスが述べおいるのは、この最初のクレマトリりムⅠでの最初の䞀回のこずだけを述べおいるずいうこずであり、その埌のクレマトリりムⅠの䜿甚に぀いおは自䌝の䞭で䞀切觊れられおいない。

虐殺開始

 ナダダ人虐殺がい぀始められたかに぀いおは、私はもう正確に芚えおいない。䞀九四䞀幎九月には、確かにただ開始されおはおらず、倚分、䞀九四二幎䞀月のこずではないかず思う。

 最初に察象ずなったのは、䞊シレゞア東郚のナダダ人である。このナダダ人たちは、カトノィッツ地区囜家譊察の手で逮捕され、鉄道で運ばれ、アりシュノィッツ・ヅィヌヅィチェ匕き蟌み線西偎の荷圹ホヌムにおろされた。私がただ芚えおいるかぎりでは、この移送者は千人をこえなかった。

 荷圹ホヌムで、このナダダ人たちは囜家譊察から収容所の受け入れ郚隊に匕き枡されお、二組に分けられ、保護拘犁所隊長の手で、虐殺斜蚭に圓おられた倉庫にみちびかれた。手荷物は、ホヌムに残させられ、その埌DAWドむツ装備調達所ドむッチェ・アりスリュストりンクス・ノェルケず建蚭郚バり・ホフの間にある、遞別所――カナダずよばれた――に送られた。ナダダ人は、倉庫脇で脱衣させられた。その際、圌らには、虱駆陀のため特別な郚屋に入らねばならないのだず説明された。

 党郚の宀五぀が甚いられたに同時に詰めこたれ、気密化されたドアがネゞで締め぀けられ、猶入りの䞭身が、特殊な小穎を通しお宀内に噎射された。

ビルケナりのすぐ偎の、ビルケナり敷地倖に蚭けられた蟲家を改造したいわゆるブンカヌは、赀い家赀い小屋ずよばれる小さい方のガス宀が1942幎3月頃に出来たずされ、もう䞀぀のそれより広い癜い家癜い小屋は1942幎6月頃に出来たずされる。ヘスがここで蚀っおいるのは、郚屋ず蚀っおいるこずから癜い家の方だずいうこずになる。赀い小屋は宀しかない。赀い小屋ず癜い小屋を混同しおいるのだず思われる。

 䞉〇分経぀ず、ふたたびドアが開けられた。各宀にはドアが二぀あっお、死者が匕きずり出され、小さなトロッコにのせられ、トロッコ線を通っお壕たではこばれた。衣類は、トラックで遞別所にはこばれた。

 党䜜業――脱衣を手䌝うこず、倉庫に人を入れるこず、倉庫を枅掃するこず、死䜓を運び出すこず、倧量の穎を掘りたた土をかぶせるこず等は、ナダダ人の特殊郚隊によっお行われた。圌らは隔離しお収容され、アむヒマンの指什によりそれぞれの倧芏暡な䜜戊が終わったあず、同じく抹殺される運呜にあった。

 最初の移送の時すでに、アむヒマンは、ヒムラヌの次のような呜什を䌝えおきた。すなわち、屍䜓の金歯は抜き、女性の毛髪は切れ、ずいうのである。この䜜業も同じく、特殊郚隊によっお行われた。

 虐殺の際の看芖は、その時に応じお、保護拘犁所隊長か、連絡隊長によっお行われた。ガス宀に連れおいけないような病人は、小銃で頚郚をうっお殺害した。医垫がそれに立ち䌚わねばならなかった。ガスの投入は、蚓緎を受けた消毒係――によっお行われた。

 䞀九四二幎春ごろには、ただ䜜戊も小芏暡だったのに察しお、倏の間に移送者が詰めかけ、われわれは、さらに倧芏暡な虐殺斜蚭を䜜るこずを䜙儀なくされた。そのため、埌の第Ⅲず第Ⅳの火葬堎西偎の蟲堎が遞ばれ、手を加えられた。脱衣甚には、第Ⅰ倉庫脇に二぀、第二倉庫脇に䞉぀のバラックが建おられた。第Ⅱ倉庫の方が、倧きく、䞀二〇〇人を収容できた。

 䞀九四二幎倏にはただ、屍䜓は倧量埋葬壕に埋められた。その倏の終わり頃になっおはじめお、われわれは、焌华ずいうこずを始めた。最初は、巻朚の山の䞊に圹二〇〇〇䜓の死䜓をのせたが、埌には、それ以前に殺したもので再び土をずりのけた屍䜓を、壕の䞭で焌いた。焌华には䞀は廃油が甚いられたが、埌にはメタノヌル油にかわった。壕内では、ひっきりなしに、埓っお昌倜をずわず焌华が続けられた。

 こうしお、䞀九四二幎十䞀月末たでには、以前の倧量埋葬壕が党おカラになった。それらの郷に埋葬されおいた屍䜓は、䞀〇䞇䞃〇〇〇䜓にのがる。この数には、䞀番最初から焌华開始の時期たでに、ガス死させられたナダダ人移送者だけでなく、䞀九四䞀幎から四二幎にかけおの冬期、看護宀脇の火葬堎がかなりの期間䜿甚䞭止されおいた時に、アりシュノィッツ収容所内で死亡した抑留者の屍䜓も含たれおいる。さらにそれには、アりシュノィッツ収容所内で死亡した抑留者も党員含たれおいる。

 党囜指導者ヒムラヌは、䞀九四二幎倏、アりシュノィッツ蚪問の際、荷圹ホヌムでの積みおろしから始たっお第Ⅱ倉庫の枅掃に至るたで、虐殺の党過皋を぀ぶさに芋た。圓時はただ、焌华は行われおいなかった。圌は、䜕䞀぀苊情もいわなかったが、さりずおそれを楜しんでいる颚でもなかった。その堎には、倧管区指導者ブラハトず、䞊玚垫団長シュマむザヌもいた。

 ヒムラヌの蚪問埌少ししお、連隊長ブロヌベルが、アむヒマンの叞什郚より掟遣され、ヒムラヌの呜什を䌝えおきた。それは、倧量埋葬壕を発掘しお、死䜓を焌华するように呜じおいた。同じく、灰も始末しお、埌あずに、焌华者数に぀いお䞀切手がかりを残さぬようにせよ、ずいうのである。ブロヌベルは、すでにクルムホヌフでさたざたの死䜓焌华法をためし、アむヒマンから、私にその暡様を䌝えるように呜じられおきたのである。

 私は、ヘスラヌず共に、クルムホヌフぞ芖察にいった。ブロヌベルは、呜什に応じおさたざたの焌华炉を䜜らせ、材朚ずベンゞン廃油で償华を行っおいた。圌はたた、屍䜓を爆砕するこずも詊みおいたが、これは党然䞍完党だった。

 灰は、先ず骚粉補造機で粉末にされた䞊で広汎な森林原野にたき散らされた。連隊長ブロヌベルは、東郚地区党域の倧量墓地党おを発掘しお、始末する任務をうけおいた。

党おは無理だったようである。䟋えば近幎でもマンション建蚭珟堎から発芋されたニュヌスがあった。「マンション建蚭珟堎から千人以䞊の遺䜓 ナチスによる倧量虐殺の痕跡」。

 圌の䜜業叞什郚は、「䞀〇〇五」ずいう秘密番号でよばれた。䜜業そのものは、ナダダ人郚隊の手で行われ、圌らは、䞀぀の分区が終わるごずに射殺された。アりシュノィッツ匷制収容所は、「䞀〇〇五」叞什郚のため、絶えずナダダ人を䟛絊した。

 クルムホヌフ蚪問の際、私は、トラックの排気ガスを甚いる、そこの虐殺斜蚭も芋た。ただし、そこの郚隊指揮官は、この方法は極めお䞍確実ず説明した。理由は、ガスの出来がきわめお䞍芏則でしばしば完党殺害にたでは至らないからである。

 クルムホヌフの倧量埋葬壕に、どれだけの屍䜓が埋められ、たた、どれだけがすでに焌华されたか、私は知らない。連隊長ブロヌベルは、東郚地区の倧量埋葬壕内の人数をかなり正確に知っおいたようだが、厳重に沈黙を申し枡されおいた。

芋解の察立

 本来、アむヒマンの管蜄郚門を通じおアりシュノィッツぞ移送されおきたナダダ人は、ヒムラヌの呜什により、党員䟋倖無しに抹殺されねばならなぬはずだった。

 このこずは、䞊シレゞア地方のナダダ人の堎合にも適甚された。しかし、すでにドむツ系ナダダ人が最初に移送されおきた段階で、働けるナダダ人男女は、党お遞別しお、収容所内の軍需目的に配転するようにずの呜什が出された。これは、ただ女子収容所が蚭眮される以前のこずだった。぀たり、アりシュノィッツに女子収容所を蚭眮する必芁は、この呜什によっおはじめお生じたからである。

 軍需産業が匷制収容所に生たれ、拡倧され、぀いには収容所倖の軍需工堎にたで抑留者が配眮されるようになっお、か぀おは党抑留者に仕事をあおがうため、以前の収容所叞什郚でしばしば、ドむツ囜内にたで仕事を探しに行かねばならないほどだったのに、今では逆に、抑留者が倧倉に䞍足するずいう事態が突劂生じおきた。しかもナダダ人は、アりシュノィッツ収容所内にしか配眮されおはならぬきたりだった。

 アりシュノィッツ・ビルケナりは、玔粋にナダダ人収容所になるべきものずされ、他の囜籍のものは党お他の収容所ぞ移されねばならぬこずになった。だが、この呜什が培底的に実行されたこずは䞀床もなく、たた埌には、ナダダ人も、他の劎働力の䞍足のため、収容所倖の軍需䌁業にも配眮されたものだった。

 働けるナダダ人の遞別は、医垫によっお行われた。しかし、私の知らぬ間に、もちろん党然私の了承もなしに、保護拘犁所や䜜業配眮郚の隊長がこれを行うこずも再䞉あった。そのため、医垫ず䜜業配眮郚の隊長ずのあいだに絶えず摩擊がおこった。

 アりシュノィッツの各隊長の間に芋解の察立が起こるず、それは、ヒムラヌの呜什をめぐる、ベルリンの所蜄䞊長官での芋解の察立によっお、いっそうあおられるのが垞だった。

 囜家保安本郚ミュラヌ――アむヒマンは、保安譊察的芳点からしお、できるだけ倚くのナダダ人を抹殺するこずに、最倧の関心をもっおいた。

 党囜医事郚ここが医垫に、遞別の基本線を指瀺したは、こういう芋解だった。実際に十分な䜜業胜力のあるナダダ人だけが䜜業配眮の際に察象ずなりうる。

 理由は、虚匱な者、老霢の者、条件付きで働けるが、短期間にたた働けなくなっおしたうような者、そういう者たちは、それでなくおもすでに負担になっおいる党般的健康状態をさらに悪化させ、病宀を䞍必芁に増加させ、それによっおさらに医垫や看護人を必芁ずするようになるが、結局は殺害されおしたわねばならぬこずになるから、ずいうのであった。

 䞀方、経枈行政本郚ポヌル――マりラヌは、できる限り倚くの劎働者をたずえそれがいずれは就業䞍胜になる者であろうずも、軍需甚に確保するこずに関心を持っおいた。

 しかも、軍需省やトップ工䜜隊が、ひっきりなしに抑留者劎働力を芁求し、しかもそれがうなぎのがりに増倧しおいったので、この䞡者の芋解の察立はたすたす鋭くなっおいった。

 ヒムラヌは、この二぀の郚門にたいし、䞀床ずしお実珟されたこずのないような数字を、絶えず玄束し続けた。連隊長マりラヌⅡ局長は、この難題をかかえながら、関係方面のたえたない圧力には、ごくわずかにしか応じられなかった。そこで、䜜業郚隊長は、できるだけ倚くの劎働力を確保するよう、マりラヌに尻を叩かれた。さりずお、ヒムラヌのはっきりした決定をずり぀ける事はできなかった。

ルドルフ・ヘスは芪衛隊党囜指導者のハむンリヒ・ヒムラヌに察しお、かなりの䞍満を持っおいた。こんな事になったのは党郚ヒムラヌが悪いずでも蚀いたげで、この自䌝にも「ヒムラヌ隊長ず私」ずいう䞀章が別に描かれおいるほどである。ヒムラヌずいう人間がいかに軜蔑すべき人間か、ヘスの自䌝以倖でも他にも色々ず知られおいるこずがあるのだが、これに぀いおは䞖界䞭に私より遥かに詳しい人が倧勢いるに違いない。さおしかし、この「芋解の察立」ずいう項は、䟋えば、ナダダ人は党員殺されたんじゃなかったのか や、ナダダ人を劎働力ずしお欲しおいたのではないのか党郚殺すわけがない、ずいうようなよくある吊認論的疑問に察する回答ずなっおいる。アドルフ・ヒトラヌの思想はいうたでもなく「ナダダ人の絶滅」である。ヒトラヌはそのはっきりした呜什を出したずいう圢跡がないずよく蚀われるのであるが、私に蚀わせれば、それはナダダ人絶滅はヒトラヌ総統の埡意志に他ならないのであっお、今颚に蚀えば「忖床」しおしかるべきものなのだ。そしお戊争に勝぀こずずナダダ人の絶滅のどちらも成功させる、それしか取る道はなかったのであり、䞡立させなければならなかったのだ。ただし、それが実際にはあたりに無茶苊茶な政策であったずいう事は蚀えるであろう。

 私自身ずしおは、実際に健康で䜓力のあるナダダ人だけが、䜜業甚にえらばれるべきだ、ず考えおいた。

 遞別はそんな状態の䞭でおこなわれた。貚車からはひっきりなしに、人が吐き出される。荷物をおくず、ナダダ人は䞀人ひずり、医垫の前を歩かされ、歩いおいるうちに䜜業的確かどうかがきめられる。䜜業可胜者は、少人数の班にわかれお、すぐ収容所に送りこたれる。䜜業可胜者の率は、移送者党䜓を平均すれば二五〜䞉〇パヌセントだったが、ひどくたちたちだった。぀たり、たずえば、ギリシャ系ナダダ人のうち䜜業胜力あるものの率はわずか十五パヌセントにずどたり、䞀方、スロノァキアからの移送者は、䞀〇〇パヌセント䜜業胜力ありず刀定された。ナダダ人の医垫や看護人は䟋倖なく収容所に送られた。

合理的焌华方法

 さお、戞倖での最初の屍䜓焌华の時、すでにこのやり方は、長く続けられないこずが明らかになった。悪倩候や颚の匷い時など、焌华の匂いはあたり数キロにひろがり、呚蟺の䜏民党郚が、党や行政圓局の反察宣䌝にもかかわらず、ナダダ人焌华のこずを話題にしたからである。

 䞀方、この虐殺䜜戊に加わった党おの隊員は事態に぀いお沈黙を守るよう、特に厳しく矩務づけられおいた。しかし、埌の法廷での審理でも瀺されたこずだが、関係者はこれに関し沈黙を守らなかった。重い凊眰も、このおしゃべりを封じるこずはできなかった。

 さらに、防空隊も、倜陰にも空䞭で芋えるこの火に察しお抗議を申し入れおきた。しかし、぀ぎ぀ぎ到着する移送者をずどこおらせぬためには倜も焌华を぀づけねばならなかった。茞送蚈画䌚議で、亀通省によっお正確にきめられた茞送蚈画は、関係路線の枋滞ず混乱をさけるためにも特に軍事的理由からしお、無条件に厳守されねばならなかった。

 こうした理由で、党力をあげお蚈画を掚進する䞀方、結局、倧きな火葬堎が二぀建おられ、぀いでは䞀九四䞉幎にはそれより小芏暡のもう二぀が远加された。さらに埌になっお、芏暡の点では既存のものを遥かに凌ぐような火葬堎が䞀぀蚈画されたが、これはもはや実珟の運びに至らなかった。ずいうのは、䞀九四四幎秋、ヒムラヌはナダダ人虐殺の即時䞭止を呜什したからである。

 第Ⅰず第Ⅱの倧火葬堎二぀は、䞀九四二幎から四䞉幎にかけおの冬期に建おられ、皌働を開始した。

これは、ビルケナりのクレマトリりムのこずで、通垞はⅡずⅢのように䞀぀ナンバヌが倧きく瀺される。なぜならば、火葬堎ⅠクレマトリりムⅠは、ビルケナりではなくアりシュノィッツ基幹収容所の最初の火葬堎のこずを指すからである。

 それには、各䞉宀にわかれた焌华炉五基があり、二四時間以内に、各二〇〇〇人を焌华できる。焌华容量を高めるこずは、燃焌技術の点からいっお䞍可胜だった。それをやるずひどい故障がおこり。そのため䜕床ずなく運転を党面䌑止しなければならなくなった。

 第Ⅰ・第Ⅱ火葬堎には、地䞋に、脱衣堎ず換気自圚のガス宀があった。屍䜓は、䞀台の昇降機で、䞊にある焌华炉に送りこたれた。ガス宀は各䞉〇〇〇人の収容胜力があったが、その数に達したこずは䞀床もない。䞀回の移送者数がそれほどにならなかったのである。

 第Ⅲず第Ⅳ蚻第Ⅳず第⅀火葬堎のこずのより小芏暡な火葬堎は、圓初、建蚭担圓䌚瀟゚ルフルトのトップ瀟の蚈算によれば、二四時間に各䞀五〇〇人を焌华できるはずだった。戊時䞋の資材䞍足のため、第Ⅲず第Ⅳは、資材をけずっお建おざるを埗なくなり、そのため、脱衣堎ずガス宀は地䞊に建おられ、焌华炉にも軜い建蚭方匏がずられた。

これは、トプフ・りント・れヌネ瀟のこずであり、よく䜿われる略称は Topf なので、倚分普通は「トプフ」ず呌び「トップ」ずは蚀わないず思う。

 しかし、ほどなく、この軜い建蚭方匏の焌华炉四宀にわかれたもの各二基は、芁求に適しおないこずが明らかになった。第Ⅲ火葬堎は、短期間のうちに完党に脱萜し、やがお党然圹に立たなくなっおしたった。第Ⅳは、ひんぱんに、䌑止させられた。わずか四〜六週間も焌华を぀づけるず、炉も煉瓊も焌け厩れおしたったからである。その為、ガス死者の倧方は第Ⅳ火葬堎裏手の壕内で焌华された。

 仮のものだった第Ⅰ号通は、ビルケナり収容所第䞉分所の開蚭ず同時に、取り壊された。第Ⅱ号通埌に、自由通たたは第⅀倉庫ずよばれたは、最埌たで皌働を぀づけ、第Ⅰ〜Ⅳ火葬堎が壊れた時は応急甚に甚いられた。䜜戊が立おこんでいる時のガス殺害は、日䞭にはこの第⅀倉庫で行われ、倜に到着した移送者には、第Ⅰ〜Ⅳ火葬堎が甚いられた。第⅀倉庫の焌华胜力は、昌も倜も焌华が可胜だった圓時は、事実䞊無制限だった。䞀九四四幎以埌は、敵空軍のため、倜は焌华ができなくなった。

これはブンカヌⅠず呌ばれるこずが倚い「赀い家」のこずである。Ⅱ号通はブンカヌⅡ「癜い家」である。

 ガス殺人ず焌华で二四時間以内に達成された、最高数は、䞀九四四幎倏、ハンガリヌ䜜戊䞭のこずで、第Ⅲ火葬堎を陀く党斜蚭により、九〇〇〇名以䞊にのがった。この時は、列車遅延のため、予定された䞉列車の代わりに、二四時間䞭に五列車も到着し、しかもこれが普通に満員だったからである。

この九〇〇〇ずいう数字をこの蚘事を入力しおいる最䞭に芋お、ふず思い出し、以前に翻蚳したハンガヌリヌのホロコヌスト研究で虐殺数掚蚈衚を確認しおみたずころ、数がどうも合わない。党郚を芋たわけではないが、䟋えば1944幎5月16日の虐殺掚蚈数は13,963人にも䞊り、5回の到着ずいう回数こそ合っおいるもののこれは䜙りに倚すぎる。同様に回の到着があった5月27日でも12,196人にも達しおいる。うヌむ  、いずれが間違っおいるのか䞡方ずも間違っおいるのか、あるいは別の解釈があるのか、他の専門研究者の解釈が欲しいずころである。ただ、遺䜓凊理数に぀いおヘスが考えおいた日あたりの凊理限界は䞇䜓ずはされおはいるが、䟋えば翌日以降に凊理遺䜓数を持ち越すなどはあり埗る話である。

 火葬堎は、ビルケナりの基幹になる二぀の倧きな建物のはずれの所に建おられた。第䞀には、収容者の芏暡ず、それにずもなう保安関係をこれ以䞊倧きくしないためであり、第二には、収容所からあたりはなれないようにするためであった。ずいうのは、殲滅䜜戊終了埌には、ガス宀ず脱衣堎は、济宀に利甚されるこずになっおいたからである。

 斜蚭は、塀か垣根で芋通しを遮る予定になっおいたが、資材䞍足でこれは駄目になった。ずりあえず、党虐殺斜蚭は停装した囲いでかくされた。たた、ビルケナり収容所の第Ⅰず第Ⅱの分所の間の䞉本の匕き蟌み線ホヌムは、駅らしく改築された䞊で、さらに第Ⅲず第Ⅳの火葬堎たで延長されるこずになっおいたので、積みおろしの際は、郚倖者に芋られないようにカバヌされるこずになっおいた。これも資材䞍足のため、取止めを䜙儀なくされた。

 さお、軍需産業に抑留者をもっず配眮せよずいうヒムラヌの芁求が、いよいよはげしくなっおくるので、䞊玚垫団長ポヌルは、䜙儀なく、働けなくなったナダダ人にたでもう䞀床手をのばさざるをえない矜目になった。そこで、働けないナダダ人で、六週間以内に再び健康になり、䜜業の芋蟌みのある者はすべお、特によく手圓おし、絊食せよずいう呜什が出された。

 それたで、働けなくなったナダダ人はすべお、次の移送者ず共にガス死させられるか、病気で病宀に入っおいる堎合は、泚射で殺された。だから、この呜什は、アりシュノィッツ・ビルケナりにずっおは、党くお笑いだった。なにしろ、䞀切が欠けおいたのだから。薬品は零に等しく、宿泊斜蚭もご同様で、重症患者でさえもかろうじお䞀぀の収容斜蚭を確保できるかどうかずいう工合だったのだから。

 食料も、党く䞍足で、それも月を远っお食料省に切り぀められるずいう始末だった。抗議しおも䜕の圹にも立たず、ずにかくやらねばならなかった。

 そのため、収容所では、健康な者にさえ宿泊難がおこり、それはもはや解消されるべくもなかった。党般的な健康状態もそれに䌎っお悪化し、䌝染病が蔓延した。先の呜什はたたほずんど飛躍的に死亡率を増加させ、ずもかく党䜓の状態の悪化はずめどもなくなった。――だから、私は、働けなくなったナダダ人のただの䞀人でも、たた䜜業に埩垰できるようになったずは思わない。

▲匕甚終了▲

「 ナダダ人をどう凊理したか」はただ続きたすが、自䌝の䞭にはもっずたくさん、虐殺に関する蚘述がありたす。これ以䞊は、図曞通で借りるか、賌入されるかしお、ご自身でご確認ください。

䜕れにせよ、ホロコヌスト吊認論者が絶察にこの自䌝を認めず、「ルドルフ・ヘスは暎行で自癜させられたから嘘である」ずか、「ヘスは連合囜の蚀いなりになっお連合囜のこのように曞けず指導されお曞いたのである」ずか、「そもそもヘスが曞いたずいう蚌明はないので、連合囜による捏造である」ずか蚀ったりしたす。たた、この自䌝の初出版はヘスの死刑埌、幎経っおかららしいので、その間にできるだけニュルンベルク裁刀などでの他の蚌蚀などず矛盟のないよう慎重にプランニングの䞊、むスラ゚ルの正圓化のために捏造されたものである、などず蚀うかもしれたせんね。䜕れにせよ、それらは陰謀論が行き着く劄想にすぎず、捏造行為それ自䜓に぀いおは䞀切蚌明されおおりたせん。

䜕も、このルドルフヘスの蚘述の党おが正しいず思っおいる研究者もあたりいないず思いたす。ヘス自身が䟋えば時期に぀いお蚘憶があやふやだず告癜しおいるのですから、党郚を䞞ごず正確なものず芋なす必芁はありたせん。この匕甚郚以倖でも、これの出版を手掛けお敎理した、埌にミュンヘン珟代史研究所所長を務めたマルティヌン・ブロヌシャヌトによる泚釈が入っおいお、ヘスのあからさたな嘘を䜕箇所か指摘しおいたす。しかしそうした嘘は、単なる疑いではなく、キチッず裏付けずなる蚌拠を瀺しお嘘であるず掚定しおおり、吊認論者のやるような単なる懐疑レベルではありたせん。

それにしおももし、初めおヘスの自䌝を読んだ人は、かなり具䜓的な虐殺の様子を蚘述した文章になっおいるこずに、驚いたのではないでしょうか 私も、ここたで詳现に蚘述されおいたずは、最初読んだずきには結構意倖でした。䜕せ、アりシュノィッツずいうホロコヌストを象城する堎所で、䞀番長く、しかも最初ず最も忙しかったハンガリヌナダダ人虐殺の時期に収容所叞什官だった人の自分自身による告癜なので、䟋えばゟンダヌコマンドの生存者や収容所生存者の䜓隓談ずは䞀線を画すレベルです。それらの生存者は、䜓隓したり芋たり聞いたりしたこずを、感芚で芚えお、その埌に蚌蚀したり回想録を曞いたりしおいるので、どうしおも䞍正確な蚌蚀になりがちだず思いたす。ヘスのこの自䌝にしおも、蚘憶だけを根拠に䞀郚は裁刀で蚌蚀台に立ったずきや尋問䞭に、色々ず資料を芋たり聞かされたりはしたのかもしれたせん曞かれおいるので、䞍正確な郚分もたたあるようですが、流石に叞什官を務めた人物ですので、事情を熟知しおおり、正確さのレベルでは他の人ずは党く次元が違うず蚀えるでしょう。

それだけに、吊認論者は䞀䞁目䞀番地ずしお、どんな解釈をしおでも、このルドルフヘスの自䌝は認めるわけにはいきたせん。しかし。ヘスの自䌝を华䞋した時点で、吊認論者の蟻地獄に萜ちおしたい、こちら偎に戻っおくる人は滅倚にいないわけです。だっお、䟋えば他の蚌蚀がヘスの自䌝にあっおいおも、ヘスは間違っおいるんだから、吊認論者の脳内ではそれらも自動的に間違いになるわけです。吊認掟は、こうした自己認識の固定化に自芚的になるこずは先ずありたせん。

埓いたしお、街䞭それはないだろうwやネットでホロコヌスト吊認掟を芋かけおも、説埗したり、論砎したり、そういう気を起こすべきではありたせん。ただただ、正確な情報をできる限り客芳的か぀冷静に刀断するように心がけるべきでしょう。

繰り返したすが、ヘス自䌝の党お䞀〇〇パヌセント正しいず蚀いたいのではありたせんよ。こういう内容のものがあるが、あなた自身がどう刀断するか、が倧切なのです。


いいなず思ったら応揎しよう