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なぜベイブレードは社会現象になったのか?2001年の記憶と、身体で学んだ「遊び」の本質

2001年という年を、大人の側から振り返ると、それは「未来が来なかった年」として記憶される。
1月に始まったアメリカの新政権は
早々から不穏な空気を漂わせ、ITバブル崩壊の
余震が日本経済を揺さぶり続け、
そして9月11日、世界の風景がテレビの中で一瞬にして変わった。
あの映像を見た大人たちは言葉を失った。
昭和に夢想した「21世紀」は、こういう姿ではなかったはずだ、という落胆が、その年の空気の底に静かに沈んでいた。
未来予想図が、誰も気づかぬうちに書き換えられていった一年だった。
しかしその同じ年、全国の公園や学校の休み時間や、アパートの廊下や、駄菓子屋の前の路上で、子どもたちはベイブレードを回していた。
不況が固定化され、リストラという言葉が日常語になり、父親たちが黙って帰宅するようになっていた時代に、子どもたちは毎日、勝って、
負けて、悔しがって、また挑んでいた。
大人が未来を失いかけていた年に、
子どもたちだけが、未来の練習を続けていた。
アニメ「爆転シュート ベイブレード」のテレビ東京系での放映が始まったのは2001年1月8日のことだ。
コミックは青木たかおが月刊コロコロコミックで1999年9月号から連載していたが、アニメ放映を機に爆発的な社会現象へと跳躍した。
象徴的な話がある。
当時早期退職制度を実施するほどの
赤字に苦しんでいたタカラの経常利益が、
2001年には過去最高を記録した。
ベイブレードはその年の上半期だけで
1500万個以上を売り上げたのだ。
第一世代だけで全世界に約1億6000万個、
売上1650億円以上という数字は後に明らかになるが、現場の子どもたちにそんな統計は関係なかった。
ただ、友達に勝ちたかった。
自分のドラグーンが、誰よりも速く、強く、長く回り続けてほしかった。
それだけだった。
スタジアムに二つのベイが叩き込まれる瞬間、
子どもたちは世界のすべてを賭けていた。
海外展開も同じ年に動き出していた。
アメリカ市場の販売パートナーとしてハズブロと提携を結んだのも2001年のことで、
ベイブレードは国境を越えて子どもたちの手に渡っていく。
日本の小学生がスタジアムを囲んでいたのと同じ年、地球の反対側でも同じシューターの音が鳴り始めていたのだ。
ベイブレードの構造は、日本の伝統玩具であるベーゴマの改良性と競争性を発展させたものだとされている。
確かにそうだと思う。
私が子どもの頃、ベーゴマというのは
理不尽なほど難しい遊び道具だった。
紐の巻き方から投げ方まで、身体で覚えるしかない技術があって、近所の年上の子に何度も負けてようやく少しずつ感覚がつかめてくるものだった。
チョロQのゼンマイの癖を読む感覚、
スーパーカー消しゴムで机の端の微妙な傾斜を
利用する感覚、ヨーヨーで技を磨く感覚。
昭和の男の子の遊びには、身体と対象物の間に
生まれる「対話」があった。
負けが悔しくて、悔しいから工夫して、
工夫したら少し勝てて、また負ける。
その繰り返しが、人格の何かを確実に形成していた。
ベイブレードはその系譜の上に立っていた。
ベーゴマより誰でも回せるように設計されていたが、パーツの選択と改造という入り口が、
昭和の遊びが持っていた「工夫する余地」を
現代的な形で引き継いでいた。
シューターとワインダーという道具の登場によって、かつては習熟が必要だった紐の回し方が誰にでも扱えるようになった。
入り口の敷居を下げながら、
しかし奥の深さは変えなかった。
それがベイブレードというものだった。
玩具と漫画とアニメの三位一体という、
タカラとコロコロが得意としていた戦略で、
ベイブレードは日本中の小学生の間に浸透していった。
主人公の木ノ宮タカオは負けず嫌いで友達思いという、いかにもコロコロ的な少年で、彼の戦いを読んでいた子どもたちは、自分もそうでありたいと思っていた。
漫画を読んで、アニメを見て、玩具を買って、
友達と戦う。
このサイクルが完璧に機能していたのが2001年だった。
アタックリング、ウェイトディスク、
ブレードベース。
この三つのパーツを組み合わせて自分だけのベイを作る。
攻撃型か持久型かバランス型か、どのタイプで組むかによって戦い方が変わる。
スタジアムの形状によっても有利不利が変わり、相手のシュートのタイミングを見て自分の発射角度を調整する必要がある。
小学生がこれだけのことを考えながら遊んでいたのだから、そこには確かに「思考」があった。
しかもそれは教室の中の勉強とは違う思考で、
結果がすぐに出るし、負けたら泥だらけのまま泣くほど悔しいし、勝ったら本当に嬉しい。
机の上では味わえない、身体ごとぶつかっていくような知性の使い方だった。
改造という行為には特別な高揚感がある。
自分の手で何かを変えて、その変化が勝敗という形で即座に返ってくる。
世界は変えられる、という感触を子どもに与える装置として、ベイブレードは非常によくできていた。
同じ時期、
遊戯王カードもブームの只中にあった。
ポケモンカードが1996年に日本初の本格的な
トレーディングカードゲームとして登場し、
のちのTCGブームの火付け役になったと言われている。
その後を追うように遊戯王が台頭し、
2001年にはどちらも子どもたちの日常に
深く食い込んでいた。
カードゲームとベイブレードは、
表面的には別の遊びだが、根っこにある構造は
驚くほど似ている。
デッキを組む行為はベイのパーツを選ぶ行為と
同じで、どちらも「自分の世界の設計図」を描くことだ。
カードゲームが「知の勝負」だとすれば、
ベイブレードは「身体の勝負」で、
この二つが同時に爆発的に流行していたことは、2001年の子ども文化の豊かさを象徴している。読み合い、駆け引き、トレードと交渉。
カードゲームの裏側には社会の縮図があって、
子どもたちはゲームを通して、
人間関係のルールを身体で学んでいた。
欲しいカードを持っている友達に、
何を差し出せば交渉が成立するかを考える子どもは、すでに初歩的な経済の論理を動かしていた。
レアカードを手に入れるためにパックを何枚も買い、ダブったカードをトレードに出す。
その行為の中に、希少性と交換価値の概念が自然に存在していた。
子どもたちはゲームの外側でも、すでに世界の論理を学んでいたのだ。
少し前の世代にはミニ四駆があった。
第一次ブームが1987年頃、
第二次が1994〜97年頃。
どちらも、改造という行為を中心に据えた遊びだった。
モーターを換える、ローラーの角度を調整する、シャーシを削る。速さという明確な結果に向かって手を動かし続けた時間は、
子どもに「世界は変えられる」という感触を植え付けていた。
父親が関わりやすい遊びでもあった。
親父も昔やってたんだ、と言いながら一緒に
パーツを選ぶ、そういう時間が確かにどこかの家にあった。
そしてたまごっちは、デジタルの中に「命」を持ち込んだ最初の玩具として、
子どもに「他者の存在」を意識させた。
世話をしないと死ぬ。
育て方によって性格が変わる。
自分の行動が結果を変えるということは、
自分の行動に意味があるということだ。
デジタルとアナログの境界を曖昧にしながら、
たまごっちは子どもに責任感という感覚の原型を与えた。
ベイブレード、カードゲーム、ミニ四駆、たまごっち。
2001年前後の子ども文化は、
身体性・知性・技術・関係性という四つの軸を
同時に動かしていた。
振り返ると、それは贅沢なほど豊かな時代だったと思う。
これらはすべて、コロコロコミックという雑誌の文脈の中にあった。
ベイブレードはコロコロ連載の漫画が原作で、
ミニ四駆もコロコロで育った文化で、この雑誌は長年にわたって「男の子の遊び」の中心にいた。コロコロが持っていた力は、玩具と漫画とアニメとイベントを一体化させる力だった。
雑誌を読むと遊びが上手くなる、遊びを深めると漫画の面白さが増す、そういう関係性が成立していた最後の時代が、2001年前後だったと私は思っている。
その後、遊びはじわじわと一人遊びの方向へ、
画面の中の方向へ動いていく。友達と会わないと成立しない遊び、外で身体を使わないと始まらない遊び、そういうものが徐々に少数派になっていった。
ベイブレードのスタジアムは、二人以上がいなければ意味をなさない装置だった。
カードゲームも相手がいなければデッキは眠ったままだ。
あの時代の遊びは、
根本的に「他者を必要とする遊び」だった。
そしてその他者との摩擦の中でこそ、
子どもは何かを学んでいた。
今の子どもたちがゲームを一人でやり込む時代になったのは悪いことではないが、
ベイブレードのスタジアムが持っていたものは、対戦という行為そのものではなく、
対戦を成立させるために誰かを呼ぶという行為、負けたときに相手の顔を見なければならないという事実、勝ったときに同じ空間で喜びを分かち合えるという体験だったのだと思う。
画面越しではなく、路上に膝をついて、
同じスタジアムを挟んで向き合っていた子どもたちの間に流れていた時間は、
後に何かを支える根っこになった。
2001年の秋、9.11の映像がテレビを埋め尽くしていた頃、子どもたちは翌朝もランドセルに
ベイブレードを入れて学校へ行った。
スタジアムを広げて、シューターを握って、
叫んで、泣いて、また改造した。
大人が未来の形を見失っていた年に、子どもたちは何も知らないままに、毎日未来を作っていた。ベイブレードが回る音は、
そういう時代の底から聞こえてくる音だ。
あのドラグーンがスタジアムの壁に刻んだ傷は、子どもたちが世界に向かって放った、最初の爪痕だった。
未来はまだ、あの小さなスタジアムの中にあった。
ベイブレードという玩具は、2023年に第四世代「BEYBLADE X」として復活し、今も世界中の子どもたちを熱狂させている。
なぜ何度でも復活するのかと言えば、
それはベーゴマ以来この国の子どもたちが
求め続けてきた何かが、あの形の中にずっと
宿っているからだと思う。
回ること、ぶつかること、止まること。
勝つか負けるか、それだけを競うシンプルさの中に、人間の遊びの本質が詰まっている。
2001年の子どもたちが回したドラグーンは、
もうとっくに止まっている。
しかし、
あの熱量だけはまだどこかで
回り続けている気がする。

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nao46222 チップをありがとうございます。 そのまま宝にしておきます。^_^