心と言葉の日本語文法(75)「洋」の文構造からみた「~は」――「主語」を決める
(↑のつづき)
「洋」の文構造での「~は」は、英文法のSubject(主語)を示すものである。
SubjectがObject(目的語)とのあいだになんらかの関係性を持つという主客二項対立の認識と表現が、近代西欧文明の根底にある世界観である。
その近代西欧文明的な世界観をそのまま日本語の世界に持ち込んだのが、この「洋」の文構図である。
下に、もういちど「洋」の文構造を示しておく。

言葉の西欧化は、法律や行政の領域だけでなく、日本人のあらゆる知的活動に及んだ。
たとえば、文学の世界でも1929年に井伏鱒二が『山椒魚』を以下のような文体で書いている。
山椒魚は悲しんだ。彼は彼の棲家である岩屋の外に出てみようとしたのであるが、頭が出口につかえて外に出ることはできなかったのである。今はもはや、彼にとっては永遠の棲家である岩屋は、出入り口のところがそんなに狭かった。そして、ほの暗かった。強いて出て行こうとこころみると、彼の頭は出入り口を塞ぐコロップの栓となるにすぎなくて、それはまる二年の間に彼の体が発育した証拠にこそなったが、彼を狼狽させ且つ悲しませるには十分であったのだ。
「なんたる失策であることか!」
(『山椒魚』、井伏鱒二)
私はこの文章を高校生のときに国語の教科書で読んだ記憶があるが、なんとおかしな文体だろうと感じたのを覚えている。
もちろん、このような翻訳文体が用いられているのは、国語の教科書だけではない。
たとえば、
数学や物理の教科書の文章はその大半が翻訳文体といってよい。
私たちが学校で勉強するというのは、じつは西欧的発想を身につけることにほぼ等しい。
そしてそれはまた翻訳文体としての新しい日本語の使い方を学ぶことにも等しいのである。

西欧的思考を日本語でおこなう
こうして、いまの日本人は翻訳文体を用いて近代西欧的な思考を日本語によっておこなっている。
そして、この世界を主体・客体の対立構造として捉えることに違和感を持たなくなり、そこから生み出された思考を「~は」「~が」を「主語」として日本語で表現しているのである。
この意味で
現代日本人の頭のなかの半分はすでに西欧化しているといってよい。
そしてその
半分西欧化した日本人の思考を表現するには日本語にも「主語」がなければならない。
その西欧的発想における「主語(主体)」を示すマーカーのひとつが「洋」の文構造における「~は」だと考えることができる。
(つづきは↓)
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