空港で本を読む
今年は名作と呼ばれる本をたくさん読みたいと思っていて、七月はどっぷり、トルストイ『アンナ・カレーニナ』の世界に浸った。初めてのトルストイ。ロシアの作品はどれもこれも長いし(本当はそんなことはない、掌編とは言わないまでも手に取りやすい短編だってたくさんある)、登場人物の名前は複雑だし(少なくとも日本人からするとね、本名と通称があまりにも違うしうんざり)、多くの人がそうであるように敬遠しがちだった。が、待てよ、『カラマーゾフの兄弟』はあんなにのめり込んで読めたではないか! 新潮文庫の原卓也訳で読み、ついでに図書館で亀山郁夫の『新カラマーゾフの兄弟』に出会い、ハイレベル二次創作みたいなものも楽しんだのだった。ああ、そうだった。今年はいろいろとチャレンジしたい。ということで、でも、『戦争と平和』ではなく、『アンナ・カレーニナ』。光文社古典新訳文庫は注の配置やフォントが工夫されていて本当に読みやすく、どんどんどんどん読めた。

どんどんどんどんと重ねたけれど、読むのが早くないわたしは結局七月いっぱいかかったのだった。他に数冊併読していたのもあったけれど、後半は進めるのが惜しいような気持ちになりながら読んだ。ほら、ミステリーを読んでいるときみたいに。
19世紀のロシアと令和の日本を行ったり来たりするのは、日常生活の中で思っている以上に心地よかった。読書というのはわたしにとって往々に「現実逃避」であるけれど、文化や慣習がまったく違う世界に入り込めるのはやはり救いなのである。とはいえ、違うのは文化や慣習で、人間が人間と相対したときに抱く感情はどうしてこうも通じるのだろうなと不思議にすら思う。人生観に多大に影響を与えていそうな宗教(ロシアにおいてのキリスト教、というべきか)も、これ以上入れない先があるのだろうか、と感じてしまう。
でも、アンナは、結局あの運命をたどるのだろう。わたしは物語の表面しか読めていないかもしれないけれど、あまたの悲劇的なエピソードは彼女自分への「報い」であって、起こるべくして起きた因果応報的出来事なのだ。そこはやはりキリスト教の背景が色濃いのかもしれないけれど、「因果応報」だと感じる仏教的思想も大きく外れてはいないと言えよう。ということは、人間にとって普遍的なストーリーなのだろうかと思う。(いや、でも、イスラム教はわからないな…? そういう教えはあるのだろうか?)
とはいえ、『アンナ・カレーニナ』を読んで一番魅力的に感じる登場人物は?と訊かれたら、多くの人がアンナと答えるだろう。それは、自分ができない(できなかった)行為への憧れから来るのかもしれないし、アウトロー的な生き方に惹かれるからかもしれない(物語の中という安心感を含めて)。あるいは、アンナの抱える苦しさには自分も類似するものがあって、どうしたって共感を覚えてしまうとか。女性の自由とか、フェミニズムにも通じるものがあるのかもしれない。
初のトルストイだったけれど、とっても豊かな読書をした感じだ。
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最近、とてもとても自分の世界が狭いような気がしている。物理的にも精神的にも。まあ、おもに後者が強いときにより感じるのだろうな。人は人、自分は自分、それぞれ。apples and orangesだよ。そう教えてもらったじゃないか。
実生活に何の影響も及ぼしていない人の生活に対して、どうしてわたしはこんなに引っ掛かってしまうのだろうというときがある。どう生きていたっていいじゃないか。何を選択していたって、多くの出来事に関して絶対的な是などないのだから。本人が良いと思っていれば、満足していれば、それ以上他人が何を言うことがある?
何か言いたくなるときのわたしは、おそらく「わたしだったら、」という物差しを持って話を聞いている。主観のフィルターがかかるのは仕方のないことだ。自分というのは、他人がいるからこそ感じる社会的な感覚である(実存主義のような、逆張り感覚の哲学思想も存在するのだろうが)。わたしはわたしから抜け出すことは不可能で、想像できることはおそらく自分の経験に基づいていているのだろう。ときどき点検のようにわたしはわたしを見直して、物差しの目盛りがどんな具合か確認して、それでむやみに物事を測っていないか確認する。変化することはできる。それは信じている。けれど、一足飛びにはできない。でも、たとえ見せかけの行動だけでも、やらないよりやるほうがいいときもあるのだろう。こんなの片手落ちじゃんと自覚しながら、誰かの真似でもいいからやるべきときもあるのかもしれない。
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タイトルは、いつだか空港で本を読んでいたときに打ち込んだもの(そのまますぎる)。今年やりたいことのひとつに、「飛行機に乗る予定がなくても、ただ空港に行って過ごす」というのがあって、それを実行したのだ。空港って、めったに行かない場所なのでそれだけでわくわくした。これからどこか遠くに行くのね、とキャリーケースを引いている人を眺めていると、それだけで現実逃避ができるようだった。連休最終日の新幹線の駅も好き。大きな紙袋を抱えて、疲れ気味に電車を待っている人たちをみるとなぜだか安心する。「これからおうちに帰れるよ」と言ってやりたくなる。個人的には年末年始やお盆などの帰省イベントは大の苦手なのに、妄想の中ではそんなセリフを思いつくから不思議。
そんな今日は、物理的には狭い世界で過ごしたけれど。さまざまな苦労を強いられている人たちにも思いを馳せることができるように、次は何を読もう。
