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​学ぶ権利という贅沢な上部構造を支える徹底的な安全という土台。国側の政治的陰謀を勘繰る前に直視すべき教育現場の空虚さと、建前を絶対視する者たちがひた隠しにする自己満足の終わりなき荒野。

文部科学省が沖縄県辺野古沖での作業船転覆事故を受け、修学旅行生の安全確保を求める通知を出した。これに対し、長崎の被爆者団体など13の市民グループが、平和学習の機会を奪い活動を萎縮させるものとして、共同で抗議の意志を表明した。国側は安全管理の徹底を促す一般的な指導であるとするが、抗議側はこれが政権の意向に沿わない現地学習を抑え込む政治的意図を含んでいると受け止めている。安全への配慮という大義名分と、表現や思想の自由を守ろうとする草の根の論理が、地方の教育現場を舞台に真っ向から衝突している。

誰もが言葉にしない、しかし確実に底流している奇妙な反転に、私たちはどれほど自覚的になれるでしょうか。

平和教育という営みそのものが、じつは強烈な「萎縮」の産物であるという事実に。

70年以上前、この国は徹底的な破滅を経験しました。無数の若い生命が暴力的に奪われ、都市は灰燼に帰した。その圧倒的な恐怖と悲惨さに縮み上がり、二度とあの地獄を繰り返したくないと願うあまり、私たちは社会全体でひとつの強い自衛本能を形作ってきたわけです。それが平和教育の正体です。つまり、恐怖に怯え、傷つくことを恐れるという、人間として極めて正常で健全な「萎縮」こそが、現在の教育理念を支える原動力に他なりません。

そう考えていくと、今回の長崎の市民団体による抗議行動が内包する歪みが、綺麗に浮き彫りになってきます。

国側が提示した論理は、至極単純なものです。海上で民間船が転覆する事故が起きた。だから、子どもたちの安全を守るために、現地の状況をよく確認して慎重に行動しなさい。この命題単体を引き剥がして見たとき、そこに論理的な破綻は見当たりません。教育行政が児童の安全を第一に考えるのは当然の職務であり、むしろこれを怠れば不作為の責任を問われるからです。

しかし、抗議する側はそこに「政治的な意図」を瞬時に読み取ります。辺野古という極めてデリケートな場所だからこそ、国は安全を隠れ蓑にして、政権にとって不都合な現実を子どもたちに見せたくないのだろう、と。

彼らの主張する「平和活動の萎縮」という言葉を、彼らのロジックのまま突き詰めてみましょう。もし、この通知によって活動が縮小することを恐れるならば、それは裏を返せば、彼らのいう平和教育が「安全管理の徹底」というごく当たり前の行政指導ひとつで容易に崩壊してしまうほど、脆弱な前提の上に立っていると告白しているようなものです。命の尊さを教えるはずの活動が、命を守るための安全指導と衝突した瞬間に被害者意識へと転がっていく。この接続の不自然さに、なぜ誰も声を上げないのでしょうか。

安全への配慮という「正論」は、現実の世界において極めて強力な盾です。どれほど高潔な思想や歴史認識を語ろうとも、現場でひとたび子どもたちの生命が危険に晒されれば、すべての理想論は一瞬で吹き飛びます。市民団体が守ろうとしている「学ぶ権利」や「表現の場」は、徹底的な安全という土台があって初めて成立する、きわめて贅沢な上部構造です。その足元を無視して、お上の指導はすべて弾圧であると決めつける姿勢は、まるで自らの正義を絶対視するあまり、重力という物理法則を無視して飛行しようとする試みに似ています。

皮肉なのは、国側もまた、別の形の保身と恐怖によって動いている点です。官僚組織の本質は、責任の回避にあります。事故が起きたから、とりあえず通知を出して「私たちは警告しました」という既成事実を作っておく。そこには教育的な情熱も、おそらく市民団体が勘繰るような高度な政治的陰謀も存在しません。あるのは、ただ叩かれないための予防線です。

私たちは今、中身のない予防線と、被害妄想に支えられた正義感が、言葉の表面だけで殴り合っている滑稽な景色を眺めています。

双方が拠って立つ前提は、どちらも「恐怖」です。一方は事故が起きて責任を追及される恐怖に怯え、もう一方は自らの影響力が削ぎ落とされる恐怖に身構えている。この構図の中で、子どもたちの主体性や、現地の真実といった本質的な要素は、完全に置き去りにされています。

綺麗事だけで完結する議論は、常に現実の利害関係によって解体されます。今回の場合、真に検証されるべきは、通知の背後にある政治性ではなく、安全対策を講じながらなお現地を訪れるという、具体的かつ泥臭い解決策の有無です。それを示せないまま、たかが1枚の通知に過剰反応して「萎縮させられた」と嘆くのは、自ら進んで思考放棄の檻に飛び込むようなものでしょう。

互いが依拠する「常識」の脆さを自覚しない限り、この不毛な水掛け論は終わりません。どちらの理屈を最後まで信じても、行き着く先は、ただの自己満足と、形骸化した教育現場の荒野だけなのですから。

引用元:【長崎】辺野古沖転覆事故への文科省指導に被爆者ら13団体が「平和活動萎縮させる」と共同抗議(長崎文化放送)

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