生存することは変化することであり、
変化することは成熟することであり、成熟することは己を止め処なく創造し続けることである
タイトルと大見出しは、フランスの哲学者アンリ・ベルクソンの言葉だ。演繹法で「生存=変化=成熟=創造」、ゆえに「生存=創造」といった具合だ。
ステレオタイプ的な日本人像は、兎にも角にも安定思考で変化を嫌う傾向にあるが、ベルクソン理論だと成熟せず「大人」と書いて子どものまま”大”きくなった”人”となり、止め処なく創造し続けることは難しいだろう。
エヴァで加持さんが言っていた「生きるってことは変わるってことさ」にも通じる話であり、私はこれと城島俊也(頭文字D)の「道を極める」理論を組み合わせている。
”どれほどの技術を習得していても、これでもういいと思ってしまえば、その状態を維持することも難しい。常に上を向いて努力を続けていなければ、上のレベルに移行する事はできない。道を極めるという事は、そういう事だと思っている。”
ここまでを意訳すると「安定があるというのは幻想だ。そんなものは存在しない。周囲の環境は常に変化している。高いレベルを維持するには変化するしかない。変化は脅威ではなく、機会である」という、カルロス・ゴーンの名言に行き着く。
彼が言う通りクーデターで安定は存在しなかったし、人質司法という変化は脅威ではなく、高レベルかつマニアックな逃亡劇を繰り広げる機会となった意味で、逃亡後の日産の経営状況を見ていると皮肉半分にはなるが、説得力の塊だ。
キャリアが中断した際は「自己研鑽の時間を与えられている」と捉える
かくいう私も社畜時代、工業高卒の中では恵まれた部類の鉄道屋に就いていたが、感染症が流行したことで環境が変化し、40代くらいで直面すると予期していた輸送人員の大幅減による業界全体の先細り感が、20代半ばに到来したことで安定の代名詞が瞬く間に沈没船となった。
否応にも自分自身を変化させざるを得なくなったことで、数年温めていた学歴ロンダリングに取り掛かったものの、シフトワークによる不摂生の累積が限界突破して身体を壊し、入院、手術と、安定が幻想で存在しないことを入院中のフランスベッドの上で諦観した。
とはいえ、先述した沈没船から脱出するために、学士号取得と並行して日商簿記2級の取得と、労働市場が最悪な時期に転職活動をこなした矢先に限界突破した、経験に学べる愚者ではあった。
だからこそ、病気でキャリアが強制中断した際には、焦る気持ちから何かを変えようとして「学歴が足りない」「資格が足りない」「どこも雇ってくれない」と足掻くのではなく、逆転の発想で「自己研鑽の時間を与えられている」と捉え、ジタバタしないと腹を括った。
幸か不幸か「社畜業」「学業」「資格取得」「転職活動」のうち、日商簿記2級を取得できたことで、緊張の糸が切れた矢先に限界突破して、社畜としては放し飼いとなった。転職活動をやめれば学業に専念できる環境が構築できた。身体は後遺症と折り合いが付くまで悪戦苦闘が続いたが、頭は元からネジが何本か外れているので然して影響はなかった。
とはいえ、社畜としての放し飼いが1年も続くと、「いい加減復帰しろ」というノンバーバル・プレッシャー攻撃が日増しに酷くなったため、組織の犬が「復職or退職」を突き付けて来たタイミングで、「黙れ小僧!(CV:美輪明宏)」のノリで後者を選び、都落ちして今に至る。
今ある豊かさに目を向けて足るを知り、今必要のないものを手放す分だけ豊かさがやって来る
振り返れば、感染症により社会構造や経済活動の姿形そのものが変化し、企業が悲観/保守的だった時期に、転職活動したことが愚行だったのは想像に難くないが、あの頃は「早く沈没船から脱出したい」「なんでも良いからホワイトカラー」と必死だった。
しかし、学歴ロンダリングしたり、簿記を取得したり、どれだけ手を尽くそうが、箸にも棒にもかからず、それを嘲笑うかのように病魔に襲われた。とても現職復帰できるような容態ではなく、袋小路から抜け出す道は一周回って吹っ切れる以外になかった。
そうしてキャリアに空白期間ができたら/退職したら人生終わる的な脅迫や怪文書をガン無視して、いざという時の蓄えとして運用で膨らませた資産を、療養、湯治、学び直し、読書などに惜しげもなく使用し、体力が戻りつつあることを実感したタイミングで歩き遍路の旅に出た。
四国八十八ケ所の巡礼で、世界中を見渡しても稀有な、水と安全はタダ同然で、物価も対外的に安く、食べ物がうまい豊かな国に生まれ、先進医療のお陰で今も生かされている。1ヶ月弱の入院と手術で100万円弱の治療費が掛かっても、手厚い社会福祉制度のお陰で保険適用部分は57,600円で済んだ。
こうした事実に「ありがたい」「満ち足りている」と思えるようになったことで、ないものねだりで必死になっていたあの頃とは対照的に、豊かさというのは案外、手の届く身近な場所に存在するのかも知れないと、自分自身のマインドが変わる。
足るを知り、今ある豊かさに目を向けると、それらがさも当然だと思って素通りしていた傲慢さにハッとさせられては、今、必要のないものを手放すと、その分だけ豊かさが自分に返って来る好循環が生まれる…筈。
禅問答のようで、信じるか信じないかはあなた次第の超スピリチュアルな世界でもあり、胡散くさいたま極まりないと、自分でも記しておきながら薄ら思うが「足るを知る者は富む」とは、そういう事だと思っている。
余計な一言的に事実を陳列すると、お遍路では鉄道畑にしがみついていたらまず以て交わるのない金融畑の方と出会い、noteで創作活動をしていたら新聞記者さんの目に留まり取材を受け、退職時しても純資産価額は減るどころかむしろ増え、ざまぁみろ、俺は生きてる。それだけだ。
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