暇なんだね、その人さ
暇?
千年先のことを考えているテロリストが、明後日のことなんか考えられないタクシードライバーに「暇なんだね、その人さ。暮らしって、そんな先考えてる暇はないやね」と煽られてピキるシーンが、個人的ハイライトでもあるマフティーが観光地にいる訳ないガンダム映画のワンシーンだ。
しかし「暇人」と揶揄されれば、十中八九良いイメージを持たれないのが世間での常識であり、ここに勤勉さを美徳とするプロテスタントの労働観に支配されている、日本人の基本的な価値観が垣間見える。
「真下警視、出ておいで。一緒に地下鉄走らせようよ。」でお馴染み「交渉人 真下正義」の中盤、鉄オタ社員が職務中にも関わらず、私物携帯でフリーゲージトレインの写メ(死語)を撮ったお陰で、携帯電話で遠隔操縦していることが明らかになるシーンがある。
無論、捜査の肥やしとなって私物携帯は用済みとなるため、返却すべく当該職員が総合指令室に呼び出されるが、どっちがヤクザかわからん指令長から「ご苦労だった。休んでいいぞ」と言われながら返され、懲戒に狼狽えながら謝罪するも、屈強な警備員2名掛かりで両脇を抱えられて強制退場するコミカルなギャグシーンへと繋がる。
私が監督なら、そこは謝罪ではなく、去り際に「今日からバカンスだ!思う存分楽しむぜ!イエェェェェ~~イ!!」くらい役者に言わせておいた方が、日本人なら十中八九ギャグシーンだと受け取るうえに、視聴者も却って清々しいのではないかと思うが、中央値的な日本人の感性なら、まず以てこのアイディアは却下されるくらいの良識は、一応は持ち合わせているつもりだ。
ここに日本人特有?の$${暇を持て余す≒プー太郎≒悪}$$みたいな暗黙の了解がある。
暇が、さほど忌み嫌う状況ではない、と感じている人
暇でぶらぶらしている人間はろくな奴ではない、という認識は、社会が貧しいときにはそのとおりだったかもしれない。なにか悪いことでもしていないかぎり、それでは生きていけなかったからだ。(中略)
社会が成熟し、今の日本のように全体に豊かになってくると、そんなにあくせく働かなくても質素な生活ならばできる金はある、という人はずいぶん多くなってくる。本人が困窮していても親が援助できたりする。だから、暇人でいられる。そうなると価値観もシフトしてくるだろう。暇が、さほど忌み嫌う状況ではない、と感じている人がけっこういるように見える。
かつての私は鉄道員という、出勤時間が毎日1分単位で異なり(これは乗務職場特有)、5・10秒単位(事業者による)で定められた運行計画通りに運行していないと旅客から苦情を貰うような、額面通り時間に追われている環境に身を置いていた過去も相まって、「暇」よりも「忙しい」ことを忌み嫌っている。
「心を亡くす」と書いて「忙しい」の漢字が成り立つ前提が正しければ、理屈の上で私は忙しかった鉄道員時代よりも、暇している今の方が人間味があることになる。だから人生の転機で、好き好んで暇人になれる道を選んだ。
それが世間で少数派なのは百も承知だが、勤勉さを美徳とする日本人のみんながみんな、好き好んで働き詰めでKaroshiやKamikazeをしたい民族ではないだろうから、「忙しい」ことを忌み嫌い、「暇」を重要視すること自体が間違っているとは思わない。
腐っても主要先進国の一角であり、全体的に豊かで成熟し過ぎて腐敗した社会であるならば、「あくせく働かなくても質素な生活ならばできる金はある」人が増えるのは、貧しい社会では実現不能であり、むしろ豊かさを象徴する良い傾向とすら思えるが、いかがだろうか。
完璧ではないかもしれないけど、僕は自分が良いと自信があるよ
ここまで読んで、画面越しに訝しげな顔が映った方は、コッチはあくせく働いて忙しいのに、暇を持て余していてムカつく的な嫉妬心か、完璧主義に支配されているのだろう。前者なら完全に人としての心を亡くしているようにも思えるため、休んだ方が良い。
後者であれば、その完璧主義がどこで植え付けられたか自問自答して、問題なければ取り除いた方が、これから生きていく上で心が軽くなるだろう。
僕にひとつも不満はないよ
君にとって完璧ではないかもしれないけど
僕は自分が良いと自信があるよ
今では上記のようなぐでたまメンタリティで、遅起きと二度寝とグデグデすることと昼寝を使い分ける私も、かつては人命を預かる職責上、ミスが許されない職場環境で、気付いたら心と内臓を亡くしていた。
それにも関わらず、シフトワークで年間の所定労働時間が2,085時間+36協定特別条項(年720時間以内)と激務で、かつ若手は年収400万円に満たないことがザラなのだから、いかに空運や海運と比べて、陸運業界のドライバーが軽視されているかが窺い知れるだろう。
元凶として考えられるのは、浅田彰氏の「逃走論」で言うところの、高度文明を成立させているパラノ・ドライヴへ引きずり込む回路(社会システム)と適合しなかったことで、基本特性が「すぐに気が散る、よそ見する、寄り道する」と、スキゾ・キッズの色合いが濃かったことだろう。
これは集中力を必要として、前方注視義務があるドライバーにはどう考えても不向きだ。鉄道はレールの上しか走らない構造上、寄り道だけは物理的に不可能だが、同じ場所を行ったり来たりする単純作業そのものが、スキゾ・キッズにはストレスの根源となり得ることに、乗務員となってから気付いた。
死傷者を出すような事態を引き起こしてからでは、時すでにお寿司なので、心と内臓を亡くしたのを機に、ミスをしても人が死ぬことのない株成金に転向した。
相変わらず、すぐに気が散り、よそ見をして、ミスもするが、寄り道したことがアイディアの源泉となり、ミスを帳消しにするに留まらず、お釣りまで来るレベルの利鞘が取れたりするため、こちらの方が性に合っている。
そんなことを考えると、すぐに気が散って、よそ見をして、寄り道しても何ら問題なく暮らせるだけの暇があるのは、世間で忌み嫌われるほど悪いものでもないと思うが、いかがだろうか。
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