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27歳、適応障害、東南アジアの旅⑨ -ペナン島は謎の強化施設-

2025年の初夏。5月11日から23日までの13日間。
適応障害の休職中。深夜の衝動に背中を押されるように、日本を飛び出しました。シンガポールからラオスまで。東南アジアを南から北へ、電車と陸路だけで縦断する旅。

予定も決めずフラフラと。ただ、心の底に沈んでいた澱のようなものが、少しずつ消化されていくのを感じながら、旅に身を委ねていた記憶です。

クアラルンプールで見事に敗北した僕は、街を嫌いになることも、過去の自分を笑い飛ばすことにも、友人への嫉妬をなかったことにすることにも失敗した。

それでも旅は続く。
どれだけ惨めな夜を越えても、翌日には腹が減るし、次の目的地を決めなければならない。

タイへ向かうか、もう少しマレーシアに残るか。
迷っていると、ふとマレーシアの北側にある、ある島のことを思い出した。

ペナン島だ。

美食と、カラフルな街並みで知られる、マレーシア有数の観光地。

ーーと、世間では言われている。

しかし正直にいうと、僕にとってペナン島は観光地ではない。
野球ゲーム『パワフルプロ野球』における、「謎の強化施設」だ。

パワプロ好きには共感してもらえると思う。とあるモードでこの島に選手を留学させると、理由もわからないまま能力が跳ね上がって帰ってくる。
努力の過程は丸ごと省略され、結果だけがぽんと付与される、チート級の島。

学生時代、コントローラーを握りながら、そのチート級の島を何度頼っただろう。まさか自分が、社会人としての選手生命の危機へ立たされているその時に、バックパックを背負いながら、本物のこの島へ向かうことになるとは思ってもいなかった。

電車に揺られ、フェリーへと乗り換える。
ゲームの中の選手たちは、一体この島で何をさせられていたのだろう。

今の僕をペナン島に預けてみると、パワーは上がるのだろうか。
それともーー下がり切ったまま張り付いている「やる気」の矢印が、少しでも上を向くのだろうか。

そんな都合のいい期待を胸に抱えたまま、僕はこの島に上陸した。



上陸して最初に目に入ったのは、廃船
謎の強化施設というより、少し錆びた現実

生ぬるい風。
快適とは言えない温度。
そして快晴の中、キンキンにふり注ぐ紫外線。

「….あっつ…」

僕の最初の感想はそれしかなかった。

電車の中で急遽予約をとった近場のホテルに荷物を預け、
身軽になった自分は外へと繰り出した。

まずは腹ごしらえだ。
近場をのそのそ歩き、その白い綺麗な外観に惹かれた。
可愛いカフェ。日本にいる時は、その類のお店にはこっ恥ずかしくて入れないのに、今回は吸い込まれるようにお店に入った。

名前は忘れたけど、多分マレーシア料理
思わず汗が出てしまう辛さ、でも美味しい

普段なら水で済ませるところを、柄にもなく、なんとかの果汁が入っているジュースまで頼んだ。
グラスの中が慣れない色をしていて、少しテンションが上がる。
気分は確実に浮かれている。多分。

店内には、きれいに化粧をした若い女性たちが冷たい飲み物を前に楽しそうに話していた。
一方こちらは、汗と移動疲れをまとった薄汚い日本人バックパッカーである。
そんな対比に気付きながら、そして、気付かないふりをして、涼をとった。


色とりどりの壁、剥がれかけた看板、店の奥から聞こえてくる中華鍋の音。
低い建物の向こうに、やけに広い空が抜けていた。クアラルンプールの高層ビルに見下されていた時とは違って、この街では、空の方が人間に場所を譲ってくれているように見えた。

見上げなくても空がある。
そういう街だった。


都心でない街独特の、急いでいない感覚。
ゆっくり時間が流れている。
ゆっくり人が生活している。

ネコもゆっくり生活している


何もすることがない贅沢な時間。

アートが有名な島だという情報を知り、足はそちらへ向かう。
特に目的もないので、久しぶりに「やること」ができて嬉しい。

路地を曲がる度に、壁画が現れる。観光客たちは楽しそうに写真をとっている。ネコの絵の下では、本物のネコが面倒くさそうに横切っていった。

意地悪な自分は、つい面倒臭いことを考え始める
ーーこれはアートなのか?それとも、ただの観光資源なのか?

学生時代、現代アートにハマっていた頃の自分を思い出した。
美術館に通い、腕を組み、よくわからない作品の前で、わかっているふりをしながら「この作品は〇〇な文脈で、△△をオマージュして〜」みたいなことを友達に早口で捲し立てていた。
今思えば、かなり"イタい"大学生である。

でもその日は、文脈も、批評性も、作家の意図もあまり考えなかった。

さっきのネコが、今度は別の壁画の下で寝そべっているのを見つけた。それを目で追っているうちに、アートなのか観光資源なのか、なんて問いはどうでもよくなっていった。

自分はこれを、好きなのか、嫌いなのか。いや、そもそも楽しいのか。
それくらいの雑な感覚だけで、アートを見て回った。

有名なやつ?


夜が近づくにつれ、街は彩りを増していく。


夜になれば、もちろん腹が減る。
屋台のプラスチック製のチープな椅子に腰掛け、旅人っぽく振る舞う。
少し辛い焼きそばをタイガービールで流し込む。

何者にもなれていないくせに、こういう時だけは妙に旅人らしい顔をしている自分がいる。それが少し可笑しくて、アルコールのせいか、少しだけ気分が良かった。
旅人のふりでも、しているうちに本物になれるのかもしれない。


1泊2日の短い滞在だったが、ペナン島は確かに僕を少しだけ強化してくれたと思う。

パワーも走力も上がっていない。
肩力も守備力も、たぶん何も変わっていない。
でもクアラルンプールで下を向いたまま固まっていたやる気の矢印が、ほんの少しだけ横を向いた気がした。

腹が減る。
ジュースで浮かれる。
猫を見て、少しにやける。
意味のわからない壁画を、意味がわからないまま眺める。

劇的な能力アップなんて、もちろん起きなかった。
でも、今の自分にとってはこれくらいの緩やかさで十分だった。

まぁ、こんなもんでしょ。


続く



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